好きなこと:登山 嫌いなこと:下山
2023年8月30日、人生で2度目の富士登山に挑戦した。
天気は晴れ。
ブルームーンってのが出るような本当にラッキーな日だった。
しかも頂上に着いた31日にはプロスキーヤーの三浦雄一郎さんが90歳にして登頂したという記念すべき日に出合わせた。なんたる幸運。
今回2度目の富士登山を決した理由は前回の不完全燃焼に遡る。
2年前、私はひょんなことから出発数日前に富士登山を決めた。確か家族で夕食に行った帰り道の車内で決めたような気がする。
しかし、9月頭でシーズン末期だったこともあり、激サム。私と母は大雨の中、必死に登り続けた。
結局、母を宿において頂上にはいけたが、見るものなし。無念の下山となった。
その次の年はと待ち望んだ1年前、新型コロナウィルスに感染し、せっかく手に入れた切符を弟たちに泣く泣く贈呈。しかも彼らは最高のご来光が見れたとのこと。ぐ〜悔しい!
もう我慢ならん。今年は早めに宿も予約して、迎えた当日。
私はルンルンな気持ちで、母は少し緊張した面持ちで登山をスタートさせた。
そこで私はあることに気づく。母の体力がなさすぎる…
元々前準備が苦手な母なので、運動をしてる気配が全くないことにとやかく言うのは違うと思ったが、それにしても遅い遅い。
まつ私のイライラ
待たれる母のイライラ
これがミスマッチすぎて私たちは6合目からの2時間ほどをほぼ別行動した。(これが案外良かったらしい。母はウクライナ人の人と友達になれたらしいので)
さて、独り身になった私はとにかく強い。
毎日40分のサイクリングをこなしていたからか、難なく登っていくことができた。むしろこんなに好調だと後が心配だぞってレベル。
12時過ぎに登り始め、8合目の宿に着いたのが16時。それから約1時間後ほど経って母も到着。無事に二人とも1日目は達成。
なんていっても山の上で食べるご飯はうんまい。
オニオンスープ、ハンバーグ、ポテサラ、カレー。もう山で食堂ビジネスやろうかなってレベルでうんまい。あんなに食に感動できるならもう一回行きたいな。
そして迎えた登頂当日。宿の人が早朝1時ごろに出ていくのに対して1時間半遅れて出発した私たち。正直もう頂上でご来光は見れないのかと諦めた。
前回の悔しさがどうにも忘れられなかった私はこれまた母を置いて。「8時までに待ち合わせの神社にいなかったらあとは5合目で」と念押ししておいてきた。
頂上付近はまさかの長蛇の列。
「この人たちみんな頂上でご来光見るのか〜いや頂上ひろっ」
そんなこんなで頂上到着。時刻は4時40分。まさかの予定から1時間巻き。
自分の体力、ありがとう。
そしてご来光。ずっと夢見たご来光。うん、綺麗。言わずもがなでした。
しかし寒い。凍える思いでご来光を見届け、急いで軍手とカイロを購入。お値段なんと1000円。いや山頂恐ろしや。
この頃からだろうか、私のテンションはめためたに下がってしまった。
寒いからなのか、頂上について燃え尽きてしまったからか、どちらが原因かは明確ではないが、ここからの自分は自分ではなかったと感じている。(ただ後悔はしていない、自分の感情に嘘をつく方が嫌なので)
6時半ごろ到着した母と二人でお経ちめぐり。今回は霧ヶ峰の日本一高いところまでもいけた!私が日本のTOPだ!!そこは少しテンションが上がった。
あとはもう降るだけ。須走をサッサッッサ降りていく。2年前、須走から一人で下山していた時、母から宿にいるとのLINEが来て、あの須走を逆走した完全アタオカだった自分を思い出した。
須走は巻き爪の自分には余計に辛かった。あんなに遅かった母が私の何十メートルも先で歩いてる下山道。う〜情けない!
ま、そんなこんなで結局最後までテンションも上がらないまま5合目到着。到着したのは14時ごろ。つまり私たちはほぼ24時間富士山に篭っていたことになる。我ながらすげ〜
さて、今回思ったことは、自分は常に上昇志向であると言うこと。やばい状況の方が燃える、ということ。そういえば人生で一番ワクワクしてた状況もサンフランシスコでホームレスに捕まらないように一人街を練り歩くことだったなぁなんて。(これに関してはまた別記事で)
多分母や多くの人は帰ってお風呂に入って、美味しいご飯を食べることがモチベーションになっていたのだが、私はとにかく落ち着くことが嫌いなのだと、そういう人間なんだと自覚できた。
母のあの感じから、多分彼女も昔はそうだったんじゃないかなとは思う。
ただ人間は変わる生き物だから。わかっていることは一つだけ、21歳の蒲田鞠は登りが好きで下りと安定が嫌いなのだ。
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