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西洋音楽の物語:第1話『ゴシックのモテット』V 謎の手稿

「最近ガラス作りの詳しいやり方をまとめた本がドイツから入ってきたっていうんだが、俺は読めねえから、その…」
 
ニコは言いにくそうに頭を掻いた。
 
「わかった。見てみよう。でも、それはもう皆がとっくに試してしまっているんじゃないか?」
 
「たぶん。まあ、でも一応見てくれ。」
 
二人は司書に新しく入ったガラス作り関係の本を出してくれるように頼んだ。
 
「3か月前に入った本ですよ。未整理で、きちんと閉じられていないので取り扱いに気を付けてください。」
 
そう言って、司書は疑いの目を向けることなどなく、すんなりと緑色の表紙の本を出してきてくれた。表紙にはラテン語でこう書かれていた。
 
『 Schedula diversarum atrium 様々な芸術のリスト』
 
「そうそう、この本だ。皆が言ってた。緑の本って。ちょっと読んでみてくれ。」
 
本の色だけで判断したニコに催促されるままに、ロベルトは本のページをめくった。本はいい加減に装丁された雑なコピーで、本来、3巻からなる書物だったはずなのに、そのうちの第2巻しかなかった。しかし、それはすべてガラスについて書かれており、コンテンツの細かな目次があった。
 
「本の内容はすごいのに、写し手が荒いのが残念だな。とりあえず目次を読むから詳しく知りたい個所を教えてくれ。」
 
そう言ってロベルトは目次を読み始めた。
 
『Ⅰ:ガラスを作るための窯の作り方。
Ⅱ:冷却装置について。
Ⅲ:拡張のための窯と作業道具。
IV:灰と砂の混合について。
Ⅴ:作業用容器と白いガラスの作り方について。
VI:ガラス板の作り方について。
Ⅶ:黄色いガラスについて。
Ⅷ:紫のガラスについて。
……』」
 
第31章まであったが、ニコのほうを見ると腕組みをしてげんなりしているので止めた。
 
「窯や道具はもうすでにあるからな。第4章から読んでみてくれ。」
 
ニコの顔色を気にしながらも、ロベルトは言われた通り第4章から内容を読み始めた。
 
「第4章。灰と砂の混合について。- 完全に煙で乾燥させたブナの薪を用意します。- 大きな窯の両側で十分な火を灯します。- 灰と、キレイに洗った砂、水、石を用意します。 - これらの材料をきれいな場所に集め、十分な時間をかけて砕きよく混ぜます。 - 鉄製のトラヤを使って混合物を持ち上げ、小さな窯の上の炉に置きます。- 炉を十分に加熱します。- 混合物が十分に温まったら、鉄製のトラヤを使用してそれを取り外します。- 火の熱で溶けないように気をつけつつ、これを1晩と1日の間に行います。」
 
「おい、おい。どんな砂で、どんな石だよ。そこが知りたいんだっての。」
 
突っ込みを入れてくるニコを横目で見ながら、ロベルトは続けた。
 
「第5章。作業用容器と白いガラスの作り方について。-白い粘土を取り、それを用いて壺を作り、それを乾燥させ、慎重に砕き、水を注いで木でしっかりと混ぜ、上部が広く、下部が狭く、内側に小さく曲がった縁を持つ容器を作ります。-これらが十分に乾燥したら、トラヤでそれを取り、それを用意された熱せられた窯の穴に置き、すり鉢と共に、焼かれた灰と砂を混ぜたものを持ち上げ、それをすべての容器に夜になる前に詰め、一晩中、乾いた木を追加して、灰と砂から溶け出したガラスが完全に焼かれるようにします。
 
第6章ガラス板を作る方法。朝、最初に鉄の管を取り、もしガラス板を2枚作りたいなら、その先をガラスで満たされた容器に入れます。それがくっついたら、自分の手でその管を回して、望む形になるようにまとめます。そして、管を取り出してあなたの上に置き、少し吹いて、すぐに口から離して、そして‥‥」
 
「そこは飛ばしていい。そういうのは得意だから。」
 
「…第7章。黄色いガラスについて。もしガラス容器が何かを黄色に変えるのを見た場合、それを3時間まで調理せずにそのままにしておきます。そうすれば、軽い黄色になり、その後、前述の手順で作業を進めることができます。もしもっと濃い黄色を望む場合は、6時間まで調理を許可し、濃い黄色になります。また、望む色になるまで作業を続けることもできます。
 
第8章。紫色のガラスについて。もしもある容器が肉のような黄褐色に変わることに気づいたなら、そのガラスを膜として使い、それを取り除いて望むだけの量を残し、残りを2時間、具体的には1時から3時まで、ゆっくりと煮込んでください。そうすれば、軽い紫色が得られ、再び3時から6時まで煮込めば、赤みがかった完璧な紫色になります。」
 
「おい!もういい加減にしろ。そんな適当な話し聞きたくねえ!そんな大雑把じゃ、薬草だってうまく煎じられねえぞ!」
 
ニコは眉間にしわを寄せ低く唸るような声で抗議した。
 
「僕が作った話じゃないよ。」
 
ロベルトは苦笑した。
 
「この本の手順はでたらめなのか?」
 
ニコは怒りを抑えて呟くように言った。
 
「そういうわけじゃない。概ね正しいが、ガラス作りはもっと繊細なんだ。ちょっと何か入れるモンが違っただけで結果が変わっちまうんだからな。その細かいところが知りたいってのに…。俺が探すレシピ本はこれじゃねえな。」
 
「そう…。残念だったね。他を探してみる?」
 
そう言って、ロベルトが本を閉じて立ち上がろうとすると、雑な装丁の本の間から、未整理で閉じられていないページがばらばらとこぼれ落ちた。
 
「おっと、こんなにバラまいたら怒られてしまう。」
 
ロベルトとニコは急いで落としたページを拾い上げた。
 
「···なあ、これには何が書いてあるんだ?第2巻の文書は全部綴じられていたんだろう?この紙にはなんか、気持ち悪い落書きがしてあるぞ。」
 
ニコに手渡された羊皮紙は、清書されていないメモ書きの寄せ集めの一枚だったが、それを見てロベルトは顔をしかめた。
 
「落書きじゃなくて、異国語だ。ラテン語のほうが、その翻訳文なんだ。でも、何語か全くわからない。見たこともない文字だ。…ギリシャ語でないことは確かだな。ギリシャ語はこんな文字じゃないから…確かに気味が悪い。」
 
「じゃあ、ラテン語のほうを読んでみてくれ。」
 
「まず、鉢にメルキュールとビトリオールと塩を同量入れて挽く。それから、挽いた物質を何度か熱する。次にそれを、ポットにいれて加熱する。」
 
ロベルトが読み上げるとニコはふーん、と頷いた。
 
「そのレシピ、10日前から実践してるやつだ。白い透明の石ができるんだ。この手稿を見てたんだな。だが、これも信用できるもんじゃない。例えばまず、鉢にメルキュールとビトリオールと塩を同量入れて挽く。だがどのくらいまで挽くかが書いてない。
それから、挽いた物質を何度か熱する、とあるが回数がわからねえ。次にそれを、ポットにいれて加熱するがこれも、時間も何も書いてねえってのに、一つミスれば、もう透明にはならない。5日前には成功したが、昨日は失敗した。かなり大雑把だ。」
 
「ははは。ニコが何を話しているのかさっぱりわからないよ。まるで錬金術師みたいだな。」
 
ロベルトは感心して笑った。ニコはそっぽを向いて早口で言った。
 
「べつに賢者の石を作ろうってんじゃないんだ。」
 
「わかってるよ。修道院で錬金術なんて許されるわけない。」
 
そう言いながら、ロベルトがどんどんページをめくっていくと突然、詩ばかりが並んでいるページが現れた。
 
「なんだこれは?未整理もいいとこだ。分類が違うだろう。それともなにか関係があるとでもいうのか?」
 
読めもしないのに、ニコがすぐわきにきて羊皮紙をのぞき込んだので、ロベルトはラテン語の詩を読み上げた。
 
「~美しき乙女、
たくましき獅子に抱かれ、
海藻の海の泡を沈める。
朝に笑い、夕に泣き、
ほほが赤く染まる。
暖かなベッドで幸福に愛を交わす
白い朝を迎えるまで ~
 
やれやれ、意味不明だな。修道僧になんてものを読ませるんだ。」
 
ロベルトはあきれて羊皮紙を机に放りだした。
だが、ニコは違っていた。真剣な顔で羊皮紙を取り上げもう一度メモを見つめている。
 
「…まてまて、聞いたことがある。錬金術の技は外国から持ち込まれてるって話だ。で、それを禁じられているヨーロッパ国内では隠語を使うんだってな。実際、ガラス作りでも似たような表現をすることがある。蒸気のことを「汗」とか「涙」とか。」
 
ニコはニヤリと笑った。
 
「…お前が俺を錬金術師呼ばわりしたのも、あながち間違いでもなかったってことかもな。」
 
「まさか、この詩が錬金術的な隠語だっていうのか?」
 
あまりにも飛躍した話にロベルトは啞然とした。しかし、ニコは熱心に持論を語り始めた。
 
「これ、さっきのレシピの注釈じゃねえか?
 
乙女がメルキュールで獅子をビトリオールに置き換えると、
 
”海藻の海の泡を沈め”のくだりは、メルキュールの泡が亡くなるまで混ぜろっていう注意書きになる。そしてこの時の塩はただの塩じゃなくて海藻入りだ。
 
”朝に泣き、夕に笑い”は夜に火を入れて、朝塩水を足すんだ。そして夜また火を入れるを繰り返す。そうだ、職人たちは確かそんなことやってたな。おぼえてる。
 
そして”ほほが赤く染まり”だ。できあがった物質は最後には赤く変化してた。
 
“暖かなベッドで~”はポットに入れて加熱するわけだが、その火は柔らかいものでなくちゃいけねぇってことだ。強火でやれば失敗するんだ。
そしてうまくいけば白いというか透明の石が出来上がる。」
 
「すごい発想の転換だな!」
 
ロベルトは興奮していった。
 
「これでキミは大いなる技を手に入れたってわけだ。」
 
「だが、完全じゃない。分量とか細かな数値がない。さっきの本よりましだがこれでもまだ大雑把で、失敗の確立のほうが高い。まあ、このレシピは入手したてで、これから試行錯誤しながら確実な方法をみつけていくんだろうが…。全員がつきっきりでやってるわけじゃないからな。誰かが総括して、どこかにこっそり書き記してるはずだ。それを突き止めてやるぜ。」
 
「そんな本、本当に見つけられるのか?それこそ禁書になってるんじゃないか?まあ、いいさ。一生かかっても待っててやるから頑張れよ。」
 
冗談半分にロベルトが言うと、
 
「ふざけんな!俺に一生外国暮らししろってのか!」
 
とニコに逆切れされた。怒っているニコの様子は、まるで興奮した子犬のように愛らしく、ロベルトはつい微笑んでしまった。しかし、周囲の職人たちに対して信頼を持てず、彼はホームシックになっているのかもしれないと感じた。そんなロベルトも、のんびりとした故郷を思い出すと、懐かしさでため息が出た。
 
とりあえず、ロベルトは気を取り直してこれまでのことをまとめてみた。
 
「ニコが言うように、密かに書き記された究極のオリジナルレシピ集がこの図書館のどこかにある。だが、それは奇妙な詩の注釈がつけられた謎めいた本になっている、ということだね。」
 
その時ロベルトはなにか既視感を覚えた。
詩で注釈する方法は最近どこかで見たような…
 
「あ!」
 
目を大きく見開いてロベルトはニコの目を見た。
大きくて青く輝くロベルトの瞳に見つめられ、ニコは思わずたじろいだ。
 
「なんだよ、急に!」
 
「もしこの詩に、音楽がつけられていたら?音符は言葉の一音節に一つ付けられてるとは限らない。必要な分だけ装飾することができる。「なにか」の数値を事細かに記せるんだ。」
 
ロベルトの言葉にニコは思わず息をのんだ。
 
「僕は今見たこともないような奇妙な俗謡を写譜する仕事をしてる。怪しいと思わないか?」


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