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西洋音楽の物語:第1話『ゴシックのモテット』XII “Virgo Virginum 乙女の中の乙女 / Quant voi revenir 夏が戻るのを見る時”の錬金術的分析

 「続いて中声部と上声部だけど、二つのテキストは終始、互いに註釈しあっているから、同時に解説していくよ。キミは楽譜が読めないから、テキストを並べて書いてみた。


詩の押韻からも分かるように、下声部の聖歌に対応して前半と後半に分かれている。

モテットにおいて天上位階論はとても具体的に応用されていると思う。下声部はこれから描かれるステンドグラスの主題と構想で、中声部はその材料とレシピ、上声部が工程作業表という具合にね。ここで役立ってくるのが例の錬金術用語集だ。」

ニコはのぞき込んでいた羊皮紙から顔を上げ、ロベルトをじっと見た。

「ちょっと待っててくれ」

机に羊皮紙とペンを用意するとメモの用意をした。

「よし、たのんだ。」

 ロベルトは頷いた。

「つづけるよ。第1行目の”Virgo virginum乙女の中の乙女”は聖母マリアのことで、だとすると錬金術用語では「第一質料、銀、白」といったところだろうか。つまり、この作業の大元になる素材で、白っぽいものということらしい…。
 だが、ただの乙女ではなく”中の”と言っていることから精製処理済みの、ということかもしれない。例えば、るつぼの中で熱したとか…その辺のことはわからないが。
さらに、工程表と思われる上声部をみると”戻ってくるのを見る時”とあることから、その物質は以前は存在していたが現在はそうではない状態の物のことかもしれない。そして、”revnir 戻ってくる” は装飾的な音符がつけられているから、元の状態はより細かいものであるのかもしれない。
…だいぶ抽象的で大雑把だが解るだろうか?」

ロベルトは怒られるのではないかとニコの様子ををうかがった。

「砂だよ。」

ニコはぶっきらぼうに言った。

「え?」

「ガラスを作るんだから、砂から作るんだ。砂の中から透明のガラスの粒をより分けて、それを熱して溶かし透明ガラスにしておけって書いてあるんだ。」

ニコはペンを走らせメモを取りながら言った。

自分の説明が通じているのに驚きながら、ロベルトは続けることにした。

「2行目の”Lumen luminum 光の中の光”も同じく、精製処理済みということだ。それは『金星、ルシファー、銅』のことで、音符の細かい装飾を見ると赤い粉なのかもしれない。上声部の”夏”という説明から、乾かして、乾燥させて作るのだろうか。」

「ああ、赤い粉にするためには加熱処理するんだ。」

ニコはうなずいた。

どうやら、このへんの工作過程はニコにとっては日常的なことらしいと、ロベルトは思った。

「3行目、"Restouratrix hominum 復活した人"はもちろん主イエスのことで、”回復させるもの”のことでもある。キリストが示す素材とは何だろうか?そこで思い出されるのが、修道院のステンドグラス”青銅の蛇”の窓だ。モーセのかざす杖と、キリストの十字架。もしかしたら下声部の聖歌で全く同じものが2回繰り返されるのは、前半4行の素材準備の工程は豫見としてのモーセの青銅の蛇を、後半の4行のガラス作りの工程はキリストの磔刑として予言が成就されたことを表しているのかもしれない。そうすると、2つだと思われた主題は受胎告知、キリスト磔刑、そして主の復活の3つであり、キリストの生涯ということになるだろう。

さらに、上声部には”木々を鳴らす”とある。だから、まあ、よくわからないんだが、ここで示される素材はズバリ「木」だろうか?」

ロベルトは頬杖をついて自信なさげに、ぼそぼそ言った。

だが、ニコは深くうなずいた。

「なるほどな。ここでも精製処理が必要だ。灰にするんだ。白い粉だな。」

ロベルトは続けた。

「次の第4行目”Que portasti,Dominum 神を産みし者”はもちろん、聖母のことだが、何の物質かはわからないんだが、上声部”oisilins鳥たち”は“昇華させる”こと、つまり“高次の状態にする”ことだそうだ。」

「昇華させるって、高次元の状態にするって意味なのか‥‥」

ニコは何か思うところがあるようで、細かくメモを取っている。

「ここまでが前半部の材料と工程で…」

ロベルトの言葉にかぶせて、ニコが早口に言った。

「工程というか、作業台の上に用意するものといったところだな。本当の作業はここからだろうよ。」

「ああ、そういえば…」

ロベルトは思い出して付け加えた。

「図書館で見たガラス作りのレシピ本も、最初の4章までは窯や装置や道具なんかの準備に必要な物の説明だった。そして5章目以降、実際のガラス作りの工程の説明にはいった。そういうのレシピの書き方の定型なのかもしれない。」

修道院のステンドグラスと、実際のレシピ本、そして全く無関係に思えるモテットという音楽の間に共通性を見出して二人は感心した。

ニコは、はりきって言った。

「まあ、難しい話はよく分からんが、前半部の素材の準備部分が詳しく書かれてるってのは理にかなってるぜ。最重要だからな。しっかり目の前に並べてから始めねえと、後でアタフタして上手くいくモンも上手くいかなくなっちまう。そう考えると、ますます、このモテットこそが俺たちが探そうとしてた“修道院オリジナルのガラスレシピ”なんだっていう真実味が増してくる。よし、ロベルト、ここまでの数値の詳細を教えてくれ。」

「うん…。中声部で使われている音符の数は第1行:5音、第2行:8音、第3行:7音、第4行:10音といったところだ。
上声部は第1行:7音、第2行:5音、第3行:11音、第4行:9音だ。
あと、第2行目と第4行目は上声部より中声部の音域が高くなっている。まあ、”光”や”神”を表してるからだけかもしれないけど。
ところで、この上声部、中声部の音符数の違いは何か関係あると思うか?」

ニコは考えながら答えた。

「歌詞に『戻ってくる』ってあるだろ。ガラスはよくリサイクルされるんだ。もしかしたら、透明ガラスの割合がリサイクルの場合は“7”に対して、砂から集めたガラスの元になる透明の粒の割合が“5”。そして、上声部に細かい音符が使われているのはリサイクルガラスは細かく刻めってことかもしれねえ。

逆に、第2行目は中声部が細かい。だから始めから粉にした銅luminum(光)を使う。それを高温処理(夏の季節)しておけってことだ。」

ロベルトは感心していった。

「なるほど。高温処理…。1オクターブの音の上昇もそれを指すのかもしれない。火の温度の調節まで指示されてるってことか。」

ニコは付け加えて言った。

「それから、3行目だが、前2行より長いだろ?工程数が多い。木はただ灰にしただけじゃダメなんだろうよ。水で洗浄して、ろ過する。それをさらに熱したものを使うんだ。
で、4行目の物質は貝殻じゃねえか?」

「そうだ!よく気がついたな、ニコ!なるほど、フランス語の “母 la mer” はそのまま “la mer 海” を指す語でもある。『Ave Maris Stella めでたし海の星』は聖母マリアへの讃美歌だ。聖母は海に例えられる。海に関係する物質である可能性は高い。」
 
「まあ、よくやる工程ではあるからな。貝殻やそれが含まれる泥なんかを焼いて砕き、水に入れて混ぜて、さらに熱して、水分を蒸発させてから粉を取り出すんだ。」

「はあん?」

ロベルトにはちんぷんかんぷんだったが、ニコは納得したようだったので続けることにした。

「じゃあ、後半部分に行くよ。第5行目の “Per te,Maria マリアによって”  つまり、1、3、4行目でできた白っぽい物質を窯にいれて”Adonc pleur et souspir 泣き、ため息をつく”蒸気が出るようにする、のかな?

そして、第6行目 ”Dtur venia 許されますように ”pour le grant desir 深い欲望のために” これは両方とも強い願いであることから、強く熱するとか、よく混ぜるとかを表しているのかもしれない。ここで注意してほしいのはこの6行目の部分が割り振られた下声部には唯一の最低音であるUtが出てくるということだ。前半部ではルシファーの部分に対応していた。
だから、ここで第2行目の物質『精製した銅』を加えるのかもしれない。」

ニコはもうずっとガリガリとメモを取りながら言った。

「ああ。前半部でできた素材を混ぜて窯で焼けば、透明ガラスができる。それを砕いて粉にし、精製した銅と混ぜて焼けば、青銅の蛇の後ろのキリスト磔刑で使われてた青緑のガラスの出来上がりだ!」

「そ、そうなのか。魔法みたいだな。」

ロベルトにはガラスが木や貝殻や土からできるなんて不思議でしょうがなかった。

「じゃあ、続けるよ。第7行目で再び ”Angelo nunciante 天使が告げる” は昇華することらしい。天使は鳥と同じような意味だけど、より高次なものを表している。だけど、上声部の ”Qu'ai de la Marion 美しいマリオン” の意味が全く分からない。
そして申し訳ないけど、第8行目の意味も解らない。”Virgo es post et ante 告知の前も後も乙女のまま” ってどういう意味だろう?だが、上声部の”Que mon cuer a en sa prison 私の心は牢獄につながれるは、やはり窯に入れることのようだ。

音の数は、中声部第5行目:5音、第6行目:6音、第7行目:10音、第8行目:9音。
上声部第5行目:9音、第6行目:6音、第7行目:9音、第8行目:11音。
以上だ。」

ペンを止めてニコが言った。

「細かい数値だな。ありがてえ。ところで、マリオンなんてそのままだろ?ガラスを窓にはめる縦枠のことだ。つまり、ガラスが縦枠という牢獄につながれて、はい、できあがりって意味じゃねえのか?」

ロベルトは驚いて言った。

「マリオンて縦枠のことなのか?」

「そうだ。建築用語だな。」

ロベルトはニコのメモを覗いてみた。イタリア語でびっしりと書かれているが、何が書いてあるのかほとんどわからなかった。

「これが建築用語?」

「まあ、専門用語だな。お前の音楽用語だって一言も解らんぞ。」

「ああ、そうだね…」

まったくかみ合わない二人が超難解な謎に挑んでいるなんて、無謀としか言いようがないとロベルトは思った。本当にこんな説明でニコはガラスを作れるのだろうか?それに、あのなんとも意味深なマリオンが単なる窓枠のことだったなんて。ロベルトは釈然としないまま書類をかたずけ始めた。

「ロベルト、本当にありがとう。実験は暇を見つけてこの作業場でやることにする。誰かに手伝われて、盗まれちゃ困るからな。成果は必ず伝えるから待っててくれ。」

改まった真剣な調子でニコに礼を言われて、ロベルトは少し照れくさい気持ちになった。

「これが君の役に立つといいんだが。祈っているよ。」

***

それから2か月ほどして、ロベルトはニコに呼び出された。

「おかげさまで、完成した。もうガラスの色付けなんざ、自由自在だ。もちろん、修道院の潤沢な資金あってこそだがな。それでも、何とか自分でできる腕は磨けた。故郷に帰ろうぜ。ロベルト。」

思いもよらないニコの言葉にロベルトは目を丸くした。

「あんな中途半端な御伽噺みたいな説明で、君は大いなる技を身につけたのか?」

「はあ?俺は錬金術師じゃねえ。ガラス職人だっての。それまでの結構長い下積みがあるんだ。そこに正確なレシピと細かい数値が手にはいりゃ、なんだってできるようになるに決まってんだろ。」

突然のことに戸惑ったロベルトだったが、故郷に帰れるという言葉に心が躍った。

「冬になる前にここを発たないとな。」

ニコの言葉にロベルトは強くうなずいた。

「その前に、俺の技を見せてやるから来いよ。」

そう言ってニコはロベルトを修道院のガラス工房へ連れて行った。
彼が見せたのは色とりどりのステンドグラスのかけらでできた小箱だった。

「懐かしいな。」

「お前の持ってたヤツに負けずとも劣らずってとこだろ?」

「すごい。ついにやったんだな。」

「何言ってんだ、俺が作りたいのはこんなもんじゃなく、お前みたいな姿の‥‥」

ニコがそう言いかけた時、後ろから誰か入ってきたのに気付いた。

「なんて素晴らしい色とりどりの輝きだ。これをあなたがたったお一人で作られたのですか?」

二人はたじろいで後ずさった。

見るとその人物は書記官長のジェラールだった。

「それとも、ロベルトさんからレシピをもらって作られたのですか?そうだとしても大したものだ。何しろこの工房では職人は自力で色ガラスを作れないような仕掛けがされていたのですからね。」

張り付いたような笑顔でジェラールは続けた。

明らかにまずい雰囲気だった。これは機密情報だったのだ。とっさにロベルトはニコを自分の背中に追いやって前に出て言った。

「私がモテットを分析して彼に渡し、作ってもらったのです。礼拝堂のステンドグラスの窓に対応するようなモテットが、いくつもあるのに気付いたものですから。実験的に彼に頼んだのです。私の独断です。罪はわたくし一人にあるのです。」

「好奇心という罪ですか?ならば罪深いとも言えましょう。でも、研究熱心で勤勉な者に与えられた神の恩恵、ともいえるのではないでしょうか。私はゆくゆくはあなたに私の後継者となってもらうべく教育していくつもりだったのですから、手間が省けました。私はまだまだ、この地を離れるわけにはいかない。ノートルダムとシャルトルでの大仕事が控えているのですから。

でも、サンチャゴ・デ・コンポステラ行きの人員がこれで確保できました。わたしは次なるケルン行きの人員、そうですね、リュカさんを教育することにしましょう。」

「‥‥?」

彼が何を言っているのか理解できず、困り果てているロベルトを無視して、ジェラールは一人でどんどんしゃべった。

「まずはモンペリエでさらなる研鑽を積んでもらいましょう。あなたの写譜してくださったモテットも広めてもらわないといけませんしね。いくつかの言語への翻訳版も必要になるでしょうね。ラテン語やイタリア語、そしてスペイン語…。
ノートルダム聖歌隊があなたの声を失うのは大きな痛手です。が、仕方ありません。あなたの美声を聞いて、聖ヤコブはさぞお喜びになるでしょう。」

そして、ロベルトの背中に隠れているニコをのぞき込んでいった。

「モンペリエ、トゥールーズ、ボルドー…ギュイエンヌのガラス工芸品は正直、パリよりもずっと優れているといわざるを得ない。北は南の知識と文化に追いつこうと必死なのです。あなたも、ここでは得られないような高度な技術に舌を巻くかもしれませんよ。ふふふ。」

ニコはジェラールの変な笑いが気持ち悪くて、思わずロベルトの腕にしがみついた。

「そうですね。冬になる前に発ったほうがいい。雪は厄介ですから。紹介状を書いておきますね。」

二人に言葉もはさませず、ジェラールは言いたいことだけ言って去っていった。

「すまねえ。ロベルト。俺たち帰れなくなっちまったみたいだ。」

「ああ‥‥。え?で、どこだって?」

「わからねえ…」

二人とも変な汗でズクズクになりながら、しばし呆然と立ち尽くした。

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