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『ゴシックのモテット』解説その4:モテットの歌詞を錬金術的に分析するに至った経緯

 モテット”Virgo virginum-Quant voi remirant-Hec dies”を調べ始めてすぐに、歌詞の複雑さに困惑した。一曲にいくつもの歌詞が付いている。ラテン語と古いフランス語のテキストはすべて同時に歌うためのものだった。翻訳文なのではないかと勘違いしてしまっていた。もちろん、すぐに写本や現代譜を参照し、音楽ジャンル「モテット」を調べた。しかし、音楽的特徴、記譜法、リズム、ハーモニーの発展などが詳細に分析されているものの、歌詞の内容やその背景に関する分析は限られており、私が求めていた理解には至らなかった。

【音楽史書におけるモテットの歌詞の取り扱い】

 学生の頃、『中世音楽とその記譜法』という講義をを受講していた。写本の音符を現代譜に書き起こす作業はとても楽しかった。しかし、歌詞について触れられたことは、そういえば、一度もなかった。確か、ラテン語ばかりだったと思う。
宗教なんてわからないし、歌詞なんてどうでもいい・・・と思っていた、というのが本音だ。

慌ててCDの解説書を読む。

『このプログラムは1200年から1290年頃のパリで主に人気のあった音楽ジャンル、モテットです。これらの音楽作品は多言語で作曲されており、それが当時の主流のようです。

・・・私達の音楽文化で多声性(複数の声を同時に存在させることで、それぞれに最大限の多様性をもたらすこと)のアイディアがこのような一貫性と純粋さで実現されたことはありません。

・・・それぞれの声はポリフォニックな状況から解放された場合、宗教的、世俗的なモノディーとして単独で存在しうるユニークな閉じた世界です。

・・・中世の伝統にのっとり、音楽作品はたとえそれらのウィットが著しく冒涜的であったり、快楽主義的なテキストであっても、精神的な目標の中に固定されていますが、超越的なものへの言及や再宗教性はありません。』

Motetus: Music in the Days of Notre-Dame in Paris:Clemencic consortのCD解説書より

歌詞に言及しているのはこれだけだった。「精神的な目的の中に固定されている」とは、どういう意味だろうか?しかし、それは宗教には関係がないことらしい。グレゴリオ聖歌のテノールやラテン語で、明らかに聖母やキリストを指す語を使っていたとしても?

何十年ぶりかに音楽史書を開いてみる。

『アルス・アンティークアのモテットの特徴は”多歌詞性 polytextualism”であろう。
・・・複数の歌詞の採用や、首尾一貫しないように見える宗俗の混合があるが、そこで意図されている意味は、おそらく全体の音響からというよりは諸要素の象徴的な関係から引き出されているのである。この関連を考察することは本書の範囲を超えている。しかし、さまざまな象徴的表現に音楽的意味の中心があったと思われることを指摘しておこう。
例えば…ゴシックの図像と同じように、世俗的なものと宗教的な要素(神と人間)を大胆に並置したりする方法などがあげられる。さらに重要なのは、聴衆の種類がゴシック音楽に映し出されていることである。異なった歌詞や国語、パロディーなどの隠れた工夫が学識ある聴衆の存在を示している。』

西洋音楽史:音楽様式の遺産より

『さまざまな象徴的表現に音楽的意味の中心があった』にもかかわらず、それを考察しないままとは…。結局、納得できる説明は得られかったので、『例えば…ゴシックの図像と同じように』のヒントをもとにキリスト教の図像学の本を読んでみようと決心する。

【図像学でも、神学でもたどり着けない歌詞の謎】

しかし、如何せん初心者なものであまりに難解なものは避けたい。

そこで、選んだのが「ステンドグラスの絵解き フランス教会に見る光の聖書」という美しい写真付きの本であった。

13世紀の大聖堂はまさにステンドグラスの独断場と言えるほど、華やかな光に包まれていた。その仕掛人と言えるのが、サン・ドニ修道院長シュジェールである。彼はフランスにおけるステンドグラスの発展に大きく貢献した。サン=ドニの受胎告知(1140年頃)は、彼の理念に基づいてフランスゴシック建築の幕開けとなるパリ郊外サン=ドニ教会に残る受胎告知の聖母マリアである。最先端と言える技法では、すでに布の線が滑らかな曲線で描かれ、窓の分割や、作品の配置などは建築様式としてのゴシックと共に次世代のステンドグラスに伝えられていった。
この作品は12世紀の代表的なもので、天使聖ガブリエル手に棕櫚の葉を持ち(殉教を示す)、マリアには聖霊が降りている。二人の間には「アヴェ・マリア」(めでたしマリア)の文字が書かれる。足元にひれ伏しているのは、この場面とは全く関係のない、このステンドグラスの依頼者、サン=ドニ修道院長シュジェールである。

「ステンドグラスの絵解き フランス教会に見る光の聖書」より
wikipedia commnsより

この本を通じて、ゴシック大聖堂やステンドグラス、さらにはシュジェールに辿り着くことができた。そこから、ゴシック建築や聖ドニ、シュジェールの業績、そして彼の思想であるディオニシウス文書に基づく天上位階論がステンドグラスの図像に与えた影響について調査を進めていったのは、これまでのあとがきの解説の通りである。

そして、お読みいただけばお分かりになると思うが、これらをいかに考察しても、モテットの歌詞に直接関連付けることは困難であり、具体的な解答に結びつくことはなかった。

【錬金術的解釈への転換】

モテットについて調べ始めたのは、コロナの影響で自宅にいる時間が増えた2020年のことだった。歌詞について情報がないかと、ゴシックに関する動画をなんとなく探していたら、この動画がオススメにあらわれた。2019年にノートルダム大聖堂が火災にあったことから、この動画は注目されていたようだった。修築が完成した昨年、偶然にもこの物語を載せたのは不思議な縁を感じる。

さて、この動画で紹介されていたフルカネリの『大聖堂の秘密』(『Le Mystère des Cathédrales』)を早速購入して読んでみた。

フルカネリは、「最後の錬金術師」といわれる、20世紀フランスのヘルメス学者であるが匿名であり、いまだその正体が特定されない謎多い人物である。

この本では、ゴシック建築であるパリのノートルダム教会を中心に、ヴィクトル・ユーゴーの言うところの「石の書物である大聖堂」が哲学的=錬金術的に解説されていく。フルカネリの主張によれば、大聖堂の設計や装飾には、錬金術の秘儀やプロセスが象徴的に表現されているという。この解説は、彫刻やレリーフが順を追って案内される形で進行し、美術館を訪れているかのように楽しめる。

 注目すべきは、キリスト教会を案内されているというのに、この本で紹介される彫像たちは聖書に出てこないキャラクターばかりなのだ。図像学で必死に学んだ、いわゆる聖人や天使などは出てこない。ここにいたってようやく、『例えば…ゴシックの図像と同じように、世俗的なものと宗教的な要素(神と人間)を大胆に並置したりする方法』という音楽史書の後半部分のヒントに気づかされたのである。

例えば、大聖堂は「ノートル・ダム (我らの婦人の意味)」に捧げられ、もちろんそれは聖母マリアのことであるが、フルカネリによれば、シチリア島では聖母は「マトリーチェ(母胎)」とよばれ、「母 メール(仏語)、マーテル(ラテン語)」であり、原初の物質の人格化で「第一質料 マティエール=錬金術の最初の材料」のことだという。

そしてノートル・ダム中央入口を分ける柱上にあるレリーフの女性は「哲学」とよばれる。

Wikimedia Commonsより

「頭が雲に達した女の像による『錬金術』。玉座に座り、左手に統治権を象徴する笏を、右手に閉じた本(秘教)、左手に開いた本(顕教)の二冊を持っている。9段の梯子は錬金作業において連続して起こる9つの作用の間、錬金術師が所持すべき忍耐をあらわす『賢者の梯子』である。

「大聖堂の秘密」より

この「哲学像」を入口に配置することによって、「石の書物」である大聖堂は哲学書として読み解くように、と暗示されている。

12使徒像の下の美徳と悪徳のレリーフもまた、哲学に捧げられているといい、錬金術作業工程として解釈される。

例えば、蛇の巻き付いた十字架のメダイヨンを持つ女性のレリーフは「賢さ」の象徴(へびのように賢く、鳩のように素直であれ(マタイ10-16)ですが、錬金術的には「哲学者のメルクリウス」=水銀であったり、「謙虚」「慎重」の美徳の象徴である鳥のメダイヨンを持つ女性のレリーフは錬金術の工程「腐敗」を表していたり、という具合に読み解かれるのである。

「聖母マリア」とは明言されていない「乙女」や、「主イエス」とは呼ばれない「復活した人」、さらには「鳥」、「ためいき」、「牢獄」といったモテットの歌詞に出てくる特定の用語やフレーズは、錬金術の象徴やプロセスで使われる用語と極めて高い類似性があると感じないだろうか。

このような錬金術的

「隠語 argothique」=「ゴシック芸術 art gothique」

であるなら、ゴシック音楽であるモテットにもその手法が用いられていても、何ら不思議でないのではないか?

この新たな視点を得て、モテットの歌詞を錬金術的視点から解釈する試みを行ったというわけである。

 とはいっても、錬金術的にモテットを解釈し、その過程を進めたとしても、「水銀」や「硫黄」は単なる象徴に過ぎず、文字通りの意味を持たない。それらは「そのようなもの」として存在し、錬金術の用語は本質的に象徴的なものだ。そこで、これらの象徴を具体的な現象やプロセスに関連付けることで、より明確な理解が得られるのではないかと考えた。その中で、ガラス作りという具体的な技術に焦点を当てることにした。

【ガラスを錬金作業に当てはめた理由】

 モテットの歌詞の単語をひとつずつ検索にかけている時、情報量が一番多かったのが「マリオン」である。一番上に表示されたのが「有楽町マリオン」だった。あの懐かしく美しいビルディングの名前が建築用語だったとは驚いた。(今はそれだけではないと疑っている(笑))

「マリオン」という女性名は「ミリアム」に由来し、それは「海のしずく」を意味しており、ガラス作りにも使われた宝石ウルトラマリンを指している。またウルトラマリン自体にも「海を越える」という意味があり、モーセとともにエジプトから海を越えてきたミリアムにつながる。そして「海の星(フランス語で海はメール)」で象徴される聖母マリアともつながっている。

ここで連想したのは、聖母マリアに使われる青いマントである。シュジェールは惜しげもなく宝石をステンドグラスに練りこんでいたといわれている。

そこで、この音楽は青いステンドグラス錬成のレシピであると仮定して工程作業をモテットに当てはめてみた。

「乙女の中の乙女=聖母マリア=第一素材のケイ素」

「光の中の光=金星=銅」

「復活する人間」キリストのお墓は石灰岩の洞窟です。なので、炭酸カルシウムかもしれません。

「主を産みし者」=聖母マリアのことなのでミリアム=ナトロン=炭酸ナトリウム

「受胎告知の前も後も乙女」哲学の卵に入れた後も色が変化しない。

ガラスは、砂(主成分である二酸化ケイ素)や植物灰、金属酸化物などの原料を高温で溶融して作られる。このプロセスは、物質を変容させ、新たな形態と性質を与えるものであり、錬金術の追求する「物質の純化」や「霊的昇華」と重なる。さらに、ステンドグラスに使用される色ガラスは、金属酸化物を添加することで多彩な色彩を実現します。例えば、コバルトで青色、銅で緑色、金で赤色を生み出すことができます。これらの色彩の創造も、錬金術における元素の変換や色彩象徴と関連している。

などと言葉で説明できるほど、詳しいわけがないので、この動画を参考にしてモテットに当てはめた。(モテットの上声部はろ過とか熱したりとかの具体的作業を表していると解釈。動画だとほぼレンチン)

コチラの”圧倒的不審者の極み”さんの動画では、まさにこのガラス作りの錬成が行われています。

1.砂からケイ素を取り出す。
2.貝殻をレンチンして砕いてできた炭酸カルシウムに水を入れて熱し、水酸化カルシウムを取り出す。
3.葉や木片をレンチンして炭を作り、ろ過してアルカリイオン水を作る。それをフライパンで熱して炭酸ナトリウムを取り出す。
4.1.2.3をお人形でまぜて、レンチンしてガラスを作り、砕いて粉にする。
5.銅の粉をレンチンして酸化銅を作る。
6.4と5を混ぜてレンチンする。青いガラスができる。

小説第12章(XII)を読む際の参考にしてみてください。

この方法で聖母マリアの青いマントのガラスができる。
中世フランスでは炭酸ナトリウムはエジプトの乾燥した湖からとられたナトロンという鉱物を使っていたという。これがミリアム=マリオンを示していると考えた。

【小説の小道具】

・中世牧歌劇『ロバンとマリオン Le jeu de Robin et de Marion 』

この作品は1283年にアダム・ド・ラ・アル Adam de la Halle( 1240年頃 - 1287/1288/1304年頃) が作曲した、フランス語で書かれた牧歌劇です。

あらすじ
物語は美しい田園風景の中で展開されます。主人公のロビンと彼の恋人マリオンは、村の祝祭の中で楽しく過ごしています。しかし、彼らの幸せは、騎士がマリオンに求愛することで一時的に脅かされます。マリオンはロビンへの愛を貫き、騎士の求婚を断る一方で、ロビンは勇気を奮ってマリオンを守ります。最終的に騎士は去り、二人は再び平和な日常を取り戻します。

主人公の名前をロベルトにしたのは「ロバンとマリオン」という牧歌劇があったから。この劇作品とモテットのどちらが先に作曲されたかはわからないが、すでにこの主題はフランスではポピュラーな物語だったのだろうと推測して設定した。本当はちゃんと二人の恋物語にしたかったのに、全然そうはならず、うっすらBL風味になってしまい自分でも驚いた。

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・『De diversis artibus 様々な芸術について』:
テオフィルス・プレズビテル著Theophilus Presbyter(fl. c. 1070-1125) wiki

12世紀の工芸技術に関する重要な文献の一つであり、中世ヨーロッパにおける金属加工、ガラス製造、壁画、写本装飾などの技術を詳細に記録した有名な書物。著者はベネディクト会の修道士でドイツ出身のようです。彼は実際に職人としての経験を持っていたと考えられている。錬金術との関係もみられると言われるが、素人目にはどの部分がそうなのかわかりませんでした。

本書は3巻に分かれている。

第1巻:絵画と写本装飾
第2巻:ガラス製造とステンドグラス
第3巻:金属工芸と彫金

Schedula diversarum artiumこちらで閲覧できます。

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・妖しい錬金術師

錬金術が盛んになったのはルネサンス期であり、錬金術用語集なんて言う便利な本が12世紀末にあるわけもなく、未来から来たであろう錬金術博士を気取ったゲーマーに登場してもらうことになった。ホラー風味にしようと更なる小道具を足した。効果はいまいちだった。

・壁の落書き

Virgo VirginumあるいはLumen LuminumMicrosoft Designerで普通に描いてくれました。

・おまじないの道具

khamsa:ハムサ wikiより

ハムサ(アラビア語: خمسة, khamsa [xamsa])は、主に中東、マグリブ地方で使われる、邪視から身を守るための護符である。

イスラム社会ではファーティマの手あるいはファーティマの目としても知られ、中東のユダヤ教徒社会(ミズラヒムなど)ではミリアムの手(Hand of Miriam)あるいはアイン・ハー=ラー(עַיִן הָרָע ‘ayin hāRā‘、悪い目、「邪視」)として知られる。

典型的なハムサは5指のうちの中央の3本が山形を成し、親指と小指が同じ長さの手の形をしたデザインである。中央に目やダビデの星、イクトゥスをあしらったハムサなどがある。 中東では、邪視に対抗するアミュレットとしてイスラム教徒とミズラヒムの社会では、ハムサを壁などにかけた。 マグリブ地方では邪視除け以外にも、豊饒のシンボルとして贈答品や奉納品、結婚式や店舗の飾りとして用いられる。

中東や南ヨーロッパでは、青い瞳を持つ人間は邪視を持つ、つまり、故意または無意識に人々に呪いをかける力があるとされる。ある人物から見られると、自身やその財産に危害が及んでしまう、という呪術的な信仰とも言われる。

いくつかの文化では、邪視は人々が何気なく目を向けた物に不運を与えるジンクスとされる。 他方ではそれは、「妬みの眼差し」が不運をもたらすと信じられた。

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・妖しい音楽分析
音楽の分析で音符(ブレイヴィス)の数で読み解いていくやり方は、アルスノヴァ以降の方法であり、フランコ記譜法以前の楽譜に適用させるべきではない。つまり、分析部分は言うまでもなく時代考証がでたらめである。
一番主要部分がでたらめ…。いつか再挑戦したいです。
まあ、この小説とあとがきで一番言いたかったのは
【ゴシックのモテットの歌詞は錬金術と関係があるのでは?】
ということです。

一応、以上であとがきと解説終了です。今後も小説を書いていこうと思っていますが、こんなあとがきは今回限りにするつもりです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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それにしても、『大聖堂の秘密』は改めて面白い本だと思ったので、しっかり調べていこうと考えています。今後も役立ちそうだし…。

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