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ちっぽけな自分に気づくとき

シンプルに体調が悪い。
胃と腸がうまく働かず、ホルモンバランスが乱れ、おまけに寒暖差で体がこわばって腰と首が痛い。騙し騙し動いていたけれど、誤魔化しきれなくなって急に動けなくなった。ボロボロだった。

お休みをもらって1日半たっぷりと寝たところ、だいぶ体は楽になった。本調子ではないけれど、多少は動けるようになった。

こんなふうに体調を崩したときには不思議だけれど、普段は考えないこととかを考えたりする。体が弱ってネガティブになっている部分もあるけれど、なんというか、普段強がって誤魔化しているものが体調の変化によって振るい落とされて、するすると本音が出できてしまっているのではないかと思う。

本来、体調なんて崩すものじゃない。
仕事を休んで周りの人に迷惑をかけるし、病院に行くのも面倒だし、とにかく今回は辛かった。
複数の症状が重なりすぎて、どれが辛いのかもわからなかった。

それでも寝込んでよかったかもしれないと、そんなことをのんきに思っているのが自分でも不思議だ。

頑固で、怖がりで、ビビリで、自分の考えに執着しやすいわたしは、自分の本音に気づくのが遅い。今回もそうだ。体調を崩してやっと、こんなことに気づくのだから。

わたしはずっと、本当は誰かに何かを与えるよりも、自分自身がずっと何かを与えて欲しかった。望んだらそれをもらえるんだと、安心していたかった。そんな自分を認めるのが怖かった。

そう思っているくせに認められなくて、そのままじゃいけないと、誰かに何かを与えるような人じゃないと、存在してはいけないと思っていた。誰にどんな言葉をもらっても、ずっとそれが拭えなかった。

自問自答のコンセプトにも、何かを作り出して、それを誰かに還元するような要素をずっと入れていた。

だけど本当は、わたしはただ、この世界のまだ知らない、いろんなことを知りたいだけみたいだった。
見たことのないような、きれいなもの、美味しいもの、優しいもの、びっくりするようなものを、自分の体と心を通して感じたかった。

誰が作り出した美しい芸術品、人の手で作ったなんて思えないほどの雄大な建築物、信じられないほど寒い土地のスープの温かさ、土埃の舞う路地で売られている目に染みるような鮮やかな花の色、物語の世界の中だけだと思っていたうそみたいな景色。

知らないものに触れたとき、怖かったり、驚いたり、とんでもなく緊張していたりする。だけど今こうして普通の暮らしに戻ると、それういったアクシデントのような出来事はむしろ、豊かな記憶として残っている。そうしたいりとりどりの記憶のカケラを眺めながら、こうして文章を書いていたりもする。

ずっとずっと、誰かになにかをあげなきゃいけないと思っていた。自分にばっかりなにかをあげることを求めるなんて、そんなの分布相応というか…いやいや、それよりも、だからお前は子どものままなのだと、ダメなやつなのだと、心の中でそう言われている気がした。そんなの誰も言わないし、わたし自身、他の誰かにそう思うこともないというのに。呪いのように、わたしはずっと、他人の役に立たなければ存在してはいけないのだと思っていた。

今もまだ全部その感覚が拭えたわけじゃないけれど。認めてしまったら、少し気持ちは楽になっている気がする。
ちっぽけで、随分と子どもじみた願いではあるけれど、本当の願いなんてそんなものかもしれない。

わたしはきっと、もっと身軽になって、いろんなものを見てみたいのだと思う。この世界には、わたしの知らない、たくさんの不思議なものが溢れているんだから。


寝込んでいたとき、空っぽになった体に水分を入れようと、ポカリを探したけれど買い置きをすっかり忘れていた。脱水気味で痛む頭を抱えてて途方に暮れたけれど、冷蔵庫の中にあっためんつゆを薄めて飲んだ。意外と美味しくて、からだも楽になった。

そんな馬鹿みたいな状況を超えてやっと、ようやく大事なことに気づけたのだった。
わたしはこれからもこんなふうにへんてこなことをしながら、日々をサバイブしていくのかもしれない。


🍓🍨🥄写真は冷蔵庫に眠っているハーゲンダッツのいちご味です。体調が戻ったらNetflixを見ながら残り半分を食べちゃおうと思っています。パイントで食べるとなお美味しい😋🍨🍓


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