満月の日に願うこと
あきやさんの講演会のアーカイブを見て少し経ったので、感想を上げようと思っていたのだけれど、体調のせいなのか、トラブルが重なっているからなのか、何を書いていいのかわからなくなってしまった。暦とは異なる辟易するような暑さの中、仕事だけは行かなくちゃと思いながら、ここ数日なんとか暮らしていた。
わたしは毎日音楽をイヤホンで聞きながら通勤している。今日の帰り道も、いつものように耳にイヤホンを突っ込んで、ぼんやりと見慣れた通勤路を歩いていた。イヤホンの色はインターネットの通販で急いで買ったので気に入っていなかったけれど、ケースの丸みとなんともいえない柔いベージュの色がたまごに似ている。アプリを使って音楽を流すと、外の世界と自分の間に、不思議な空気の層がふっとできたように感じて、色がすこしはっきりと見える。気温と湿度は高いままなのに、少し暗くなるのがはやくて、まわりの景色の色は少し秋めいていた。
一番好きなアーティストではないけれど好きだったドラマの主題歌であるその曲を選んだのは、本当になんとなくだった。9月に入ったというのに体が溶けそうなくらいに暑くて、汗のにじんだTシャツを背中とお腹に張り付けながら、真冬をイメージしたはずのその曲を繰り返し聴いた。なんでそれを今選んだのかはわからなかったけれど、知っていてよかった。その曲の歌詞が、今のわたしの気持ちそのままだった。
ときどきこんな風に歌のメロディと言葉の意味が、自分の気持ちや経験や想い出と重なって、雷に打たれたように、ふっとその言葉の意味がわかった、と思うことがある。この時もそうだった。ドラマの主人公たちが経験したストーリーとわたしの状況は全然違うし、わたしの中で起こったことは彼らのような恋愛や友情とは関係なかった。その時、わたしはただ、わたし自身が今どうしてもやりたいことがあると、そうふっと気づいたのだった。
くすんだ水色に白い水玉模様の日傘の合間から、ふっと暮れかけた空を見上げたら、湿気をはらんだ鈍い青色が見えた。それを見ながら思った。
わたし書きたい。
言葉を、本を書きたい。
わたしの書いたものが誰かのに届くのか、届かないのかはわからない。それでも伝えたい。言葉にしたい。放り投げてみたい。そう思っていた。
わたしがここまでなんとか生きてこれた、生き延びられたのは、いくつかの物語や歌の歌詞や、誰かのふとした言葉が、わたしの心を守ってくれていたからだった。わたしはずっと大切にしている言葉を、そっと胸に、お守りみたいに抱いて生きてきた。
わたしにできるかはわからない。わたしに言葉をくれた人たちみたいに、賢いわけでも、言葉が巧みなわけでも、美しいものを作り出す才能があるわけでもないと思う。それでもずっと、書きたいと思っていた。
それでも行動しなかったのは、やらなければ、やりたいと思わなければ、なかったことになるかもしれない。そう無意識のうちに押し込めていたからだと思う。怖くて、不安で、心配ばかりしてしまって、見ないようにしていた。だけどそんな風に逃げるのは、ちっとも楽しくなくて、逃げているわりに、ちっとも安心できなかった。たぶんもう、そんな自分のことも嫌だったのだと思う。
自分の中にある、この不思議な気持ちを言葉にのせて、そっと放り投げてみたい。小さなちょうちょみたいに風に乗って、いつか誰かに届くだろうか。
届かなくても、遠くから誰かがその姿を見てくれるだろうか。
今、祈るような気持ちで、この文章を書いている。
こうしてその祈りを言葉にして、記事にして放ってしまった。
だからきっと、あとはもう、夢中でやるだけだ。
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