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そろそろ自分のことを信じてあげてもいいんじゃない?

明け方目を覚まして、うっすらとした微睡の中に、講演会のときのあきやさんの姿が出てきた。

ー聡明になりたいって思ったら10年後聡明よ!勝ったも同然よ!ー

そう言われた。


これは2024年5月18日に幻冬社大学で行われた、あきやさんことあきやあさみさんの講演会で、「聡明になりたいときにファッションでどうやってドーピングすればいいか?」という聡明な自問自答ガールの質問に、あきやさんが返答したときの言葉だ。(記憶で書いているので結構違ったらすみません…)

この時の講演会のアーカイブを繰り返し何度も見て聴いていたのだけど、この話のくだりが一番好きだった。聡明にわたしもなりたいと思っていたのもあるけれど、この質問のあきやさんの回答にを聴いて、自分の中でずっと自分のことをがんじがらめにして、動けなくさせていた。鎖のような、檻のような、呪いのような何かがあって、それで縛られて、何にもできていないのだとそれでわかった。

そうか、わたし、今は違うけど、すぐには変わらないけど、10年後は変わってるかもしれないんだ。時間をかければ変われるかもしれないんだ。

でもきっと、わたしが一番わたしのことを信じてない。
やりたいことをできるって思ってないし、なりたい自分になっていいって、そうなれるって信じてない。
そう思う前に、挑戦する前にやめておいたら、失敗したってことにはならないと、どこかで思ってやめている。
望むことすらやらないようにしている。

心の奥底で、強く願っていることがあるのに、それを深く沈めて、ずっと見ないように、感じないように、思い起こさないようにしている。

それに向き合わないことが一番の失敗なのに。

友だちや親に言われたこと、SNSで見聞きしたこと、今まで自分がやらかした間違いや失敗、いろんなことが重なって、そうやって自分のことを諦めている。それはそれで仕方がない、つらかったし、怖かったし、希望を持たないようにして守ってきたこともあるだろう。
でもそうやって何も感じないようにして、何もしないことは、随分と消極的で寂しいことだ。

でももう、そんなのは嫌だから。
今から変わってしまえばいい。
好きなわたしに変わっていい。

気づいときにはなんだか、体が軽くなって、まわりがふっと明るくなった気がした。

あ、わたし、やりたいようにやっていいんだ。
別にきれいになったって、可愛くなったっていい。
賢くなったっていいし、そうでなくてもいい。
望むことは自由だ。


ねぇ、そろそろ自分のことを許してあげてもいいんじゃない?
信じてあげてもいいんじゃない?
心の中でわたしがわたしに、そう言っているような気がした。



『好きな場所で好きな人と好きなように生きればいい』

昔から大好きなドラマのこのセリフ、これをずっと長い間忘れられなかったのだけれど、どうやらそれはわたしが誰かに言って欲しかったからみたいだ。
望んでなければ別に、こうやって20年もずっと記憶の中に残ってはいないだろう。

別に何が変わったわけでもないのだけれど、あきやさんのあの言葉を聞いてから、なんとなく、世界の見え方が、景色がちょっと変わった気がする。単純だなと思うけど、そういう自分のことは結構好きだ。

自分のことを縛っているものがすべて消えたわけじゃない、長い間の思考のクセはなかなか変わってくれない。だけどきっと10年後にはすっかり変わっている、そう今は思って自分なりに足掻いてみたい。実際にやってみていることもある。その行動や変化一つ一つは小さくて、ちょっと怖かったり、もやもやしたりするけれど、同時になんだか楽しくて面白い。

10年後のわたしが素敵であるように、わたしなりの悪あがきを、ちょっとずつ、楽しく重ねていきたい。

まずは昨日のあきやさんの講演会のアーカイブが見れるようになったら、それを見て、新しいワークをやろう。大人になった今は宿題がなんだか楽しくて嬉しい。

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