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『狂気の館』に通う日々

アレッサンドロ・ミケーレがはじめて手掛けたVALENTINOの2025年春夏コレクションのタイトルは『Pavillon des Folies』(パヴィヨン デ フォリ)、わたしはこのコレクションがとても好きだ。服や靴などのファッションはもちろん、イントロの音楽から舞台の演出に至るまで、すべてが美しかった。
タイトルの意味をよく知らず、何語だろう?くらいしか気にしていなかったのだけれど、その訳を目にして驚いた。
『狂気の館』、確かにわたしはそれが好きなのだと思う、ちょっと笑ってしまった。

わたしは精神科の病院に勤めていて、10年ほどになる。
つまりは毎日のように、『狂気の館』に通っているのだった。

わたしの勤める病院は田舎の中では比較的都心にアクセスのよい、微妙な立地の場所にある。
山と川が近くにあるのどかなところだけれど、食事をする場所も買い物をする場所もちゃんとあって、比較的便利なほうだと思う。
病院には常時数百人の患者さんが入院していて、外来の治療も行っている。わたしはここで、リハビリを担当する作業療法士という仕事をしている。

精神疾患というのは心の病気だとされる。心はこの場合、心臓にはない、心は『脳』にあると考えられている。最近では体と心の働きの結びつきも注目されているが、基本的には脳の機能がうまく働かなくなって、症状が出てしまうのだ。

その症状は人によってさまざまだし、重なっていることも多い。様々な症状や問題を抱えた患者さんやご家族が病院に通ったり、暮らしたりしていて、わたしは主に毎日、彼らと一緒に過ごしている。

就職するときに、家族にも友人にもちょっと心配された。
怖くないの?と聞かれたことも多い。それでも、精神科での仕事はそこそこわたしに向いていた。
大変なことはもちろん沢山あったけれど、こうしたほうがもっといいんじゃないか、これが患者さんにとって必要なんじゃないか、と周りのスタッフと協力して日々働くのは、想像よりもずっと面白かった。自分の居場所が手に入ったような気がしていた。これをずっと続けて、自分のできることをしていけばいいと思えて、わたしははじめてやっと自分の未来を見つけた気がしていた。

たまに食べるおやつを考えたり、体操をしたり、お花を植えたり、お散歩をしたり…日々やることはさまざまだ。スタッフによって得意なことが違うので日々お互いにやりとりをしながら、一緒に患者さんに提供するリハビリの内容を考えている。

患者さんたちの持つ病気は、とても苦しいものだと思う。
見えるはずのないものが見えたり、聞こえたりするし、ありえないことが本当のことだと思い込む。
症状を抑えるために副作用の強い薬を飲み続けなければならなかったり、そのせいで病気以外の症状を抱えることもある。
病気の症状を本人も家族もコントロールできなくなって、家族や生活を失って、病院で暮らさざるを得ない人もたくさんいる。
身体に起こる病気ももちろん苦しくつらいものだけれど、心が壊れていくのもまた、別種の苦しみを生むことがある。それを抱えながら、患者さんたちは日々暮らしている。

それでも、そんな中でも、ささやかな楽しみはある。
甘いコーヒーもプリンもショートケーキも、いつだって美味しいこと。
春に咲くチューリップやヒヤシンスを見て目を細め、柔らかな香りを楽しむこと。
キラキラのビーズでアクセサリーを作って子供の頃の楽しみを思い出すこと。
童謡や演歌、メロウな歌謡曲の、言葉と音の複雑さを歌うたびに深く感じるようになること。
誰かと一緒にいて、まなざしを交わすだけでも幸福な気持ちになれること。
言葉にならないような声でも、気持ちだけは分かち合うことができるということ。

わたしはそういったことを患者さんに、たくさん教えてもらってきたんだと思う。それを期待して仕事をしてきたわけじゃないけれど、それはたぶんずっとわたしの中に降り積もっていて、消えることはない。それは彼らからのわたしへのギフトだ。

苦しみや混乱、混沌の中でも、心を和ませ、すべてを忘れさせてくれる瞬間があるんだというのを、わたしは彼らと、彼女たちと体験したのだと思う。
アレッサンドロ・ミケーレがコレクションの中で見せてくれた美しい装いの数々は、それと同種の、どうしようもなく儚く、不確定な、ある種の恐ろしさをはらんだこの世界で生きるための小さな希望のような、光のようなものだった。それと同じものをわたしは患者さんとみていたんじゃないだろうか。

わたしが患者さんと一緒に行っていることは、ミケーレのそれと比較できるようなものではないかもしれない。随分と稚拙な、些細なことではあるけれど。でも不思議と心の中、脳の中の、同じ部分が反応しているような気がするのだ。

大変なことはたくさんあったけれど、こうして言葉にしてみると、嬉しいことも、楽しいことも、幸せだと思えることもたくさんあった。
ただ、とても寂しいけれど、わたしは今この仕事を辞めたくなっている。

わたしの気持ちが変わったきっかけはコロナ禍だった。世界中が混乱して、さまざまなことが変わったあの時、わたしもわたしの勤める病院も、それまでとは変わらざるを得なかった。多くの人の中では終わったとされるコロナ禍はまだ、わたしたちの業務を圧迫している。
そして何より、わたし自身があの頃壊してしまった心と体を、元に戻すことができなくなっていた。
たぶんもう、以前と同じようなわたしではない。変わるときがきた、もしくはもとに戻らないくらい変わってしまった、ということなのかもしれない。思っていた以上にボロボロだということに、ここ最近気づいた。もう全然、以前のようには頑張れないのだった。

勇気や元気のような、精神的なエネルギーは、貯金のように貯めるものだと思っている。
それは美味しいおやつや、あたたかな食事、日の光を浴びることでたまったりする。それ以外にも、好きな髪型でいること、その時に聴きたい音楽を聴くこと、ハイカロリーのラーメンを夜遅く食べること、お気に入りの靴をぴかぴかに磨いて履くこと、部屋に甘い香りの花を飾ること、美術館に行って時空を超えて名画を見ること、そういった様々な、ある種の『贅沢』を重ねることでたまっていくように思う。

最近調べたPRADAの理念は『日常を贅沢に飾る』だった。
その言葉と、その時に調べていたショートブーツの写真を見て、わたしの心は踊った。そうなりたいと思った。非日常的なことを日常にするのではない、日常を非日常にするのだ、と少し前、SNSの誰かの言葉で見た気がする。わたしもそれがいいなと思う。そうやって、わたしも少しずつ元気を、勇気を、動き出すエネルギーを貯めたいと思っている。

どこへ行こう、何をしよう、まだちゃんとは全然決めていない。
患者さんと過ごした日々で降り積もった、優しい、美しいあの瞬間は、わたしの中に残っている。それを美しいままにするために、わたしはたぶん、居場所を変えるのだと思う。

狂気の館から、別の場所に。

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