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でっかい鏡の『ミラさん』がやってきた
万物に命が宿る、とまでは思っていないけれどなんとなくものに対して生き物のように接することがあるし、よく名前をつけている。
小さい頃、ぬいぐるみやお人形はもちろん、お気に入りの毛布にも名前をつけていた。そしてその習慣はなくなるどころか、大人になってさらに悪化している。
父にもらったオラウータンのぬいぐるみにも、テーブルに置いている小さなカメのフィギュアにも、ずっと一緒に暮らしている観葉植物たちにも、長く使っている大好きな犬の柄のポーチにも名前がある。
ネットでサイズをはからずに買ってしまった大きすぎるゴミ箱にも、知り合いから譲ってもらった異様に重いノートパソコンにも、それぞれに名前をつけてたりする。
買ってから違和感を感じたり、もらいもので自分にぴったりではないな…と思っているものに対しては、意識的に名前をつけて呼ぶことがある。名前を呼んで、家族やペットのように、同居人に対するように話しかけるのだ。心のうちにとどめておこうと意識してはいるけれど、時々声が漏れ出ていたりする。そうすると不思議と親近感が湧いて、楽に使えるようになる気がしていた。
自問自答ファッションをはじめて、段々と自分にぴったりのものだけの生活に近づけようとしているものの、以前はそうやって気持ちのバランスを取っているところがあった。それはそれで悪くないとも思っている。
そんなこんなで暮らしていた2024年の年末、わが家に新しい仲間がやってきた。
でっかい鏡の『ミラさん』だ。
自問自答ファッションの世界の中で『でっかい鏡』と言われるのは「全身鏡」のことだ。
お教室の主催をされているファッションスタイリストのあきやあさみさん、あきやさんからわたしたちはみんな課題を出されているが、そのうちの共通しているものの1つがこの『でっかい鏡』、つまり「全身鏡」を買うことだ。お教室に参加した11月、わたしはまだ鏡を購入していなかったので、お教室の最初のほうでまずはこれを買いましょうね、と言われていたのだった。
自問自答ファッションはあきやさんの書籍、講演会などでもやり方を習えるし、自分自身で進めていくものではあるのでお教室にいかずとも取り組むことができる。とはいえ、意思の弱いわたしには、実際に身銭を切って、ちゃんとあきやさん御本人や同期の方たちの刺激を受けるということが必要だったみたいだった。そこからは年末に行った試着の旅でハイブランドを回ってシャネルのココクラッシュが欲しくなったり、ついに転職を考えたり、更にはパソコンといったガジェット系も買い揃えたいと思い立ったり、変化が目まぐるしい。そしてファッションを頑張るぞ、と意気込み始めたというのに、とにかく物入りになってなかなかファッションに関するアイテムが気軽に買えなくなっているのだった。もちろん試着を続けたいと思っているけれど、実際に何かを購入するまでには時間がかかるかな…とちょっと小さく絶望した。わたしも欲しい、可愛い靴もバッグもアクセサリーも欲しいよ…としょんぼりしたりもした。
それでも、その年の終わり、自問自答ガールの一人として、一つは大事なものは買うことができた。それが全身鏡だった。
全身鏡は自問自答ガールズにとっては大切なアイテムだとされている。いつものファッションのチェックに欠かせないし、基本的に年4回、『段服式』といってクローゼットの中の服を見直す機会がある。そのときにその全身鏡を使って今の自分にその服やアクセサリーがあっているかをチェックするのだ。わが家は狭いこともあって今まで全身鏡を買ったことがなかった。一番大きなもので上半身がうつるものだけだったのだけれど、それで服を合わせて見てもなんとなくしか自分のことが見えなかったのだった。
あきやさんから言われている全身鏡の条件は横幅が40cm以上のもの、とされている。
そしてできれば自立するスタンディング式のもので、部屋の中を移動できるとよいらしい。
あまりにも大きい買い物(物理)なので、ひさしぶりに困ってしまった。そもそも、わたしは『必要』なものを買うのが苦手だ。無駄なものほど好ましく、愛おしいものはない。バラを愛でて、お菓子ばかりを食べていていいならばそれでいいのに。だけれど残念、生きていくにはそんな自堕落なことはしていられないらしい…お洋服の世界にもちゃんと、必要なものはあった。
うーん…と悩み、探し、また悩んで、結局最終的にわたしが購入したのがミラさんだった。
あきやさんがあげていた条件の40cm以上よりもさらに大きな50cmだったので、届いたときには笑ったし、梱包を解くのにじたばたした。わが家が狭いせいだった。玄関のすぐ横のキッチンで梱包用の発泡スチロールが舞ったりした。設置したときの感想がまず『やばい、でかすぎたかも』だった。
あきやさんが全身鏡に関する記事でちゃんとおすすめの、もう少し小ぶりな全身鏡を紹介してくれていたのでそちらを中心に探せばよかったのかもしれなかったけれど、サイズの他にもう一つわたしの中で外せない条件があった。それは『重さ』だ。
以前、ピラティスに関する記事でも書いたけれど、わたしはとてつもなく酷い腰痛持ちだ。はちゃめちゃに優しい同僚たちはわたしに決して重いものをもたせようとはしない。腰痛をひどくすると歩けなくなるし、下手すると救急車を呼ぶ羽目になるからだ。そんなわたしの部屋に、大きくて重いものを置くのはかなりのリスクだ。倒れてきても支えられないし、腰痛になったときにそれを動かさないといけないと思うと絶望だ。なんなら動かしたときに腰を痛める可能性がある…恐ろしい。全身鏡のことを調べていると、だいたいは5kg以上だった。そんな大きな重いもの、自分が使いこなせるとは思えなかった。
悩んだ末に選んだのは、フィルム式の鏡だった。調べてみると通常のガラス製のものと比べてずいぶんと軽い。わたしが購入したものは3kgだった。お米をスーパーから抱えて帰ってくることはあるし、実家で一緒に暮らしていた猫はたしかそのくらいの体重だった。それならば、わたしにも扱えるかもしれないと思ってこれにした。でも、フィルム式のミラーを買うことはちょっとした博打ではあった。
難点は4つあった。1つ目は店舗で実際に見ることが難しいこと。調べてもおいているお店を見つけることができなくて、最終的にはネットで購入した。枠部分の色や質感を確認したかったので、本当は実物を見たかった。最終的に予算や部屋のインテリアとの兼ね合いでナチュラルな木枠のものにした。木目の質感がチープでないことを祈るしかなかった。
2つ目の難点はフィルム式だと通常のガラス式よりも歪みが発生する可能性があること。調べてみると多少はあるとかれていた。この『多少』がどれだけなのか、見て確かめることができなかった。レビューを見て満足度が高いことは確認できたし、わたしはまあ大雑把な人間ではあるので大丈夫だろうとふんでいた。そもそもわが家で使っているのは古道具の鏡だったりするのだ。ちょっと傷や汚れもあるけれどデザインが可愛いのでよしとしている…わたしの暮らしは思えばそんなものなのだった。
3つ目の難点は価格が上がってしまうことだった。同じサイズの全身鏡がガラス式のものだと1万円しないのに、フィルム式だと1万円以上するのがザラだった、デザインがかなりシンプルだというのに。
4つ目の難点はサイズが限られていることだった。スタンディング式で手頃なものを探していたけれど、気にいる条件の物を選ぶと横幅が50cmと大ぶりのものになってしまった。そうでなければ小さいか、立てかけるタイプのもの…最後までサイズについては悩んだ。
そうした難点4つを頭の中に思い描きつつ、それでもわたしはフィルム式のミラーを選んだ。届いたときには覚悟していたものの、やっぱり大きかった。そもそもわたしの部屋が全身鏡を奥には小さすぎるというのもある。だけど年末、思ったのだ。これからちゃんとファッションと、自分と向き合っていくには、大きな鏡くらい置かなくっちゃと。これを買うことを最初にやってみようよと、尻込みする自分にそう言って、セール期間中のAmazonのサイト画面をタップしたのだった。
それでも大きなその鏡を、わたしはちょっと持て余した。
いや、とてもいいのだ。大きな鏡が家にあるのは実家を出て以来、10年くらいぶりだったけれど、もっとはやく買っておけばよかったと思った。それくらい、自分の姿を毎日ちゃんと見ることができるのはわたしには必要なことだった。
体型の変化、肌の様子、そして姿勢。ファッションだけじゃなくて美容と健康の状態を把握して、自分のことをよく見るのには適していた。ピラティスに通って変わっていく体を見るのは面白かったし、とても嬉しいものだった。洋服を合わせたときにもよく様子がわかった。服だけじゃなく髪型、メイク、バッグやアクセサリーなどの小物がどんなふうに周りからは見えるのか、小さな鏡ではわからないことがよく見える。わたしの部屋にきた大きな鏡はすぐに、たくさん働いた。それはそれはよくわたしをいい感じに映し出してくれた。
枠の色や質感、フィルム式であることゆえの歪みは全く気にならず、さらにはとても軽いので移動させるのも気楽だった。セール中に購入したこともあって、価格も少しは抑えられた。
そこで、問題なのはサイズだけだった。わたしはそもそも大きすぎるものが苦手だった。
iPhoneはもともとのSEのサイズが大好きだし、実家を出るときに母に大きめを買うといいよと言われたフライパンやザルを持て余してその後小さなものに買い換えた。大きな身長の男性を見ると申し訳ないが少し怖いと思ってしまうし、パリの凱旋門を見に行ったときにはスケールが大きすぎて感動する前にすっかりビビった人間なのだ。大は小を兼ねない、少なくともわたしには。
とはいえこの鏡はよく働いてくれるし、現時点のベストな選択だったと思う。事実、鏡としての働きは完璧にこなしていた。ありがとう、鏡よ!と心から思っている。
だからわたしはなんとか、この大きな大きな鏡と和解をしたかった。折り合いをつけて、一緒に穏やかに暮らしたかった。
そのためには大きな部屋に引っ越す、他の家具を処分して部屋を広くする、などの選択肢もあった。でもそれはすぐに実施するにはハードではあった。
そこで冒頭の方法を取ることにしたのだった。わたしはその鏡を『ミラさん』と呼ぶことにした。
英語のmirrorからきてるので、割とそのままだ。わたしにネーミングセンスはあまりない。
でも女優のミラ・ジョボビッチが好きだし、大好きなイラストレーターの飼い猫ちゃんの名前がたしかミラちゃんだった。そしてなんだか、ミラさんと呼ぶとしっくりきた。彼女はスラット背の高い系女子なのだと思う…おそらく。
そんなこんなで名前を呼ぶと、本当に不思議だけれどミラさんは小さなわが家に馴染んだ。完璧ではないかもしれないけれど、最初に感じた違和感や威圧感はだいぶ薄れた。これからも頑張って働いてもらいたいと思っている。
反対に、今はミラさんをちゃんと置けるスペースを確保できるように、ものを減らしたり、家具の配置や内容を見直したいなとも思っている。むくむくと、生活を変えたい気持ちが湧いてきている。ミラさんに映るわたしが、優しい、穏やかな顔でいられるように、生活を変えたいのだ。
2025年はちょっと、気持ちよく生活できるように、変わっていけるように、頑張りたいなと思っている。