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お前は女じゃないという呪い
わたしは言霊というものがあると思っている。スピリチュアルな話なのかはわからない。ただ事実、言葉に宿った力に触れる経験をしたことがあるというだけだ。
時々それは言葉に宿って、自分になかったパワーをくれたり、お守りになったり、変化のきっかけになったりする。相手の気持ちがこちらに届いて、心を掴んで揺さぶって、知らなかった感情を沸き起こさせたりする。あれはすごい。
そして言霊が引き起こすのは、ポジティブな反応だけじゃない。それは祝福にもなれば、とんでもない呪いになることもある。わたしにはここ数年、強い強い呪いがかかっていた。
お前は女じゃない、と言われたのだ。それは完全にわたしに対する呪い言だった。それを言われてから、わたしは女の人としての自信をすっかりなくしてしまった。
諍いの果ての言葉だったけれど、そのときの問題には、実は直接関係のない言葉だった。そのことには、随分経ってから気づいた。ただ単にわたしがその言葉を言った相手の好むタイプの女ではなく、積りに積もったその人の不満や違和感や苛立ちが、その人にとって都合が悪い状況をわたしが引き起こしてしまったことで噴出しただけだった。相手はわたしを嗜めて、律したかったのだと思う。確かにわたしに問題はあった、多分に。それは言い訳のできない事実だった。でものちに、その言葉自体はとんだお門違いだと気づいた。だけどもう手遅れだった。わたしには強い呪いがかかってしまっていた。それからわたしは、自分の中の女性性をうまく扱えなくなってしまったのだった。
数年間、わたしは髪を伸ばせなくて、髪型はいつもショートカットかボブにしていた。女らしい、ワンピースやスカートを身に着けることにも違和感があった。レースやフリルが大好きなのに、自分にはあまり似合わないように感じていた。女の人らしいと自分が思うもの以外を手に取っていた。身につけていたそのときは自分がきれいに見えるもの、すきなものを選んでいると思っていたけれど、今思うと違った。
身に着けるものだけじゃなく、ふるまいや仕草、言葉遣いも女性らしい、柔らかな雰囲気になることが自分自身に許せなかった。がさつにふるまって、キツい口調でふざけたことばかり言っていた。
自分よりも年下の可愛らしい女の子たちのことも、素敵だと思う自分よりも年上の女の人たちのことも、大好きな友達のことも大事にしたいと思って行動できるのに、自分のことは全然大切にできていなかった。
それでいいと思っていたし、それである程度安定していた。
ただ、本当はそんな自分が幸福だとは思っていなくて、どこかでずっと傷ついていた。
女の人らしくありたいと思うわたし自身はずっと心の奥底にいて、茨のような言葉の鎖で傷つきながら、暗くて湿った寒い場所に沈められたままだったのだ。お前は女じゃないと、そう言ったのは他人なのに、わたし自身が呪いのようにそう思い込んでいた。
たぶん、そう思い込むことでそれ以上深く傷つくことを避けていたのだと思う。でもそうやって新しい傷を避けたとしても、すでについてしまった傷が癒えることはなくて、それはずっとじゅくじゅくと膿んだまま、わたしの中に残っていた。まるで手負いの獣みたいに、わたしはそのまま変わることができず、動けなくなってしまっていた。それから数年が経った。
変化は少しずつだった。
美容液をいろいろ試してみたり、面倒だと思い込んでいたパックをするようになった。毎日全身に化粧水とボディークリームを塗って保湿をし、時々甘い香りのスクラブを使った。
高額だからとずっと避けていた脱毛のクリニックにも通うようになった。施術自体は楽しいものではないけれど、誰かに丁寧に体に触れてもらいながら、頑張ってきれいになりましょう、と言ってもらえるのは、とても幸せなことのように思えた。
ずっとブリーチをかけていたパサパサの髪をダークトーンに染めて、肩の下まで伸ばしてみた。美容師さんがトリートメントしてくれると、傷んだ髪も艶やかになり、鏡の中にいる自分は数か月前の自分よりも少し柔らかい雰囲気になっていた。
ピラティスにも通い始めた。腰痛があまりにもひどくて、どんな運動も避けていたのだけれど、友人に何度も勧めてもらい、怖々はじめてみるとそれはそれは楽しかった。はじめて少ししかたっていないけれど、すでに体型は変わりはじめていた。可愛らしい先生たちやおしゃれな生徒さんたちと同じ時間を過ごすと、自分もそういう風に変わっていけるように思えた。
変化は少しずつで、ほんのちょっとずつしか変わらなかった。それでも小さなことが積み重なって、数年前からわたしを雁字搦めにしていたものは、少しずつ溶けて弱まった。
わたしを縛っていたのは他人の言葉だった。相手の放った酷く強いものが、わたしを傷つけ、苦しめ、動けなくさせていた。それでも、わたしのことを変えてくれたのも、また別の誰かのくれたものだった。
まわりの人の優しさやぬくもりは小さなものに宿っていた。
手渡されたおすそ分けの小さなお菓子に、誰かと一緒に飲む温かい紅茶に、不意打ちで届いた甘い香りの花束に、わたしのイメージだと言って選んでくれるオレンジ色のネイルボトルに、書類につけられた可愛い付箋のメッセージに、それはあった。
出逢うことのない人たちが作り出した作品に触れて救われたこともあった。
いくつもの小説やエッセイの中の言葉に、SNSで流れて来た言葉や短歌に、旅先で撮られた写真の景色に、美術館で観る名画の色合いに、展示会で手に取った可愛らしいアクセサリーに、動画で見た華やかなファッションショーの世界に、初めて手にとった美しいハイブランドのバッグに、わたしは光と愛のようなものをみた。
沢山のものに触れて、時とともに、わたしの中にあった蟠りは少しずつ溶けた。呪いがすべて消えたかはわからない、だけど今、わたしは随分と自由になった。
言霊はたぶん、あるのだと思う。事実、わたしは随分と呪われていた。恐ろしい。
とはいえ、1人引きこもって黙りこくっているわけにもいかない。それに、言葉によるお呪いは、祝福にもなるはずだ。せっかくなら、誰かを縛るのではなく、自由にしたり、力強く励ましたり、優しい気持ちを満たすものとして使いたい。そしてそれは周りの人に対してだけではなく、自分自身に対してもそう思う。わたしを許していないのは誰よりも、自分自身だったのだから。
今、わたしはようやく女の人らしくありたいと思うことを自分に許せているみたいだ。
ずっと使っていた香水を切らしてしまったので、手始めに甘い香りのものを探しに行こうか。選んだことのない香りを纏って、うんと女っぽくするのも楽しいのかもしれない。そう思えること自体がとても嬉しくて、心底ほっとしていた。