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光に焦がれている

 憧れている女性がいる。ヘアメイクアップアーティストで、自身のブランド『rihka』のディレクションを行っている松田未来さんだ。彼女自身やブランドのSNSを見るのが好きだし、彼女の書いた本も持っている。元々はrihkaのネイルが好きでずっと使っていたのだけれど、最近はアパレルも購入して着たりしている。インスタライブでの着用動画を観てどうしても欲しくなってしまい、この前シャツを購入した。しばらくは手持ちの服だけでなんとかしようと思っていたけれど、ちらっと見た未来さんの姿がとても素敵で、つい買ってしまった。あぁ、買っちゃったよ、と思った。でも、シャツはとても可愛いからちゃんと着ようと思っている。

 わたしはなんで、彼女の作るものが欲しいのだろう。その日、美容院で仲良しの美容師さんに髪を染めてもらいながら、最近買った服の話になり、わたしも未来さんの商品を買った話をした。美容師さんは長い付き合いのまるで姉のような人で、わたしたちは服の好みが結構似ている。購入したシャツの画像を見せると彼女も可愛いと言ってくれていたし、それはすごく、素敵なのだ。だけどなんだろう、手に入れる前も手に入れてからも、なんとも言えない『これ、なんか違う』という感覚があった。

 そしてなんとなく気になることがあった。そのシャツを購入したした時、別のお客さんがわたしよりも先に試着をしていた。試着室から出てきたその人はこの冬rihkaから出ていたニットを着て、憧れの人が着ていたものによく似ている…たぶん同じコートも持っていた。髪型も少し前の未来さんに似ていた。とても素敵な人で、とても可愛らしかった。雰囲気も装いも、本当によく似ている…そう思った。でもなぜだろう、わたしはそのお客さんになりたいとは、不思議と思わなかったのだ。憧れの女性とほとんど同じ佇まいなのに、何が違ったのだろう。


 髪の染まり具合をチェックしている美容師さんにそれ伝えると、憧れのその彼女にはなりたいと思わせる何かがあるし、わたしにはきっとそうなれる要素があるんだとは思うよ、でもそれは格好をそのまま真似ることじゃないんじゃないかな、と言ってくれた。


 そう言われて、わたしはその憧れの女性の好きなところを考えた。

 自分の美意識を持って暮らしていること。身につけるものや部屋に置くものはお気に入りのものばかりであること。人への接し方や生きるための考え方。そして自分の考えをプロダクトに落とし込んで表現をしていること。大切な家族の猫愛して一緒に暮らしていること。

 一息に、するするとそれは出てきた。驚くほどにあっさりと、わたしの口からは、彼女に憧れていて、好きだな、いいなと思う部分ばかりが出てきていた。

 そうなりたいんだね、と美容師さんにそう言われて、素直にうんとうなづいた。たしかに、わたしはずっとそれがしたいのだった。

 でも、それは多分、彼女を真似るだけじゃ手に入らないのだった。彼女は彼女の作るプロダクトに、生活の中に、人や生きものとの関係に、彼女の美意識を、哲学のようなものを落とし込んでいる。だけど、わたしは彼女じゃない。だからきっと、それをそのまま真似たって、どこまでいっても満たされず、なんか物足りないと思ってしまうのだ。わたしがそれを体現するには、また別の方法を取る必要がある。そのためには、わたしはわたしのことをもっと知って、好きなもの、大切なものを、譲れないことを選び取って、作り上げないといけないのだった。

 結局、今、やっていることに戻ってくるだけではあった。ちょっと笑ってしまった。

 でもひとつだけ、気づいたことがある。憧れの彼女のブランドのコンセプトには『光』というものが含まれている。確かに彼女と彼女の作るものは、優しい木漏れ日のような、朝焼けの日の光のような、春のあたたかな日差しのような、柔らかな光を感じる。そういう光を自分で掴み取ろうと、生み出そうとする、確かな意志と強さが彼女にはあると思うのだ。

 比較すると、悲しいかな、わたしはとても暗い。ネチネチしてるし、後ろ向きだし、ポジティブな人とはたぶん気が合わない。明るい人は好きだし、いいなと思うけれど、がっかりさせるのではないかと不安になったりするのだ、一緒にいるとちょっと緊張してしまう。

 もしかしたら、わたしは彼女と全然違うから、そこに惹かれたのかもしれない。本当は、わたしもできればそういう優しい光のようにありたかったのだから。

 でも、それはなかなかに難しい。圧倒的な光には、わたしは多分慣れない。下手に目指せばメンタルに支障が出る…太陽に向けて飛ぼうとしたイカロスの如く、真っ逆さまに落ちると思う。鋼の翼は持っていないのだ。

 ただ、自分の文章を読んでいても思うのだけれど、わたしは多分暗い闇の中から見る光がとても好きなのだ。夕方、夜の始まりに星を見つけるみたいな、小さな光を見つけると、とても嬉しい気持ちになる。子供の頃、暗闇は怖いものだったけど、大人になった今は、夜がとても優しいこともわたしは知っている。夜は、いろんなものを隠してくれる。都合が悪く、ごちゃごちゃして、ヘンテコなものも、ふわりと包み込んでそこにあるような仄暗い夜。そこに浮かぶ微かな光ならば、わたしは怖くはなかった。

 なんとも抽象的なのだけれど、たぶんそんな感じなのだと思う。だからきっと、このブランドのシャツを身につけると感じる違和感は、わたしじゃないよな、というものなのだろう。買っちゃったし、すごく可愛いから着るけれども。なんとかして着方を考えたいところだけれども。


 今回、シャツを買わないという選択肢もあったのかもしれない。だけど、わたしがこれを買わなければ気づかなかったことがきっとある。それに、憧れの女性は憧れのままだし、ずっとずっと後には、彼女のような光を躊躇いなく体現するわたしになっているのかもしれない。それを諦めてはいない。今は違う、というだけだ。今は自分の中の光を、小さくてもいいから何か光を見つけたいんだと、そう思っている。

 今わたしの手元はrihkaのネイルが塗られている。淡い、猫の肉球をイメージした色だ。指先を染める小さな薄紅色は不思議と、とてもしっくりきている。今はまず、このくらいの小さな光を身につけるのが、わたしには似合うと思うのだ。



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