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モモムギさんちのお引っ越し②捨てられない男たち

前回の記事にも書きましたが、我が家はものに溢れ返っている。

主に子どもたちのおもちゃとパパの趣味のあれこれ。

ワタシが結構ミニマリスト寄りで、使わなくなったと判断した自分のものはバッサリ処分したり売りに出す人間であるのに対し、我が家の男子どもはそれはもう、ものを捨てたがらない。

なぜなの?

ずっと使っていないから、という理由で捨てる、もしくは売ろうとすると

まだ使う
これから使うかもしれない

との理由で絶対にそうさせてくれないのだ。

例えば夫氏の服。結婚してからだからかれこれ12年は着ていない服を毎年リサイクルショップで売ろうとするのだけれど、毎回阻止される。

あれはフランスに着ていったお気に入りの一着なのだから、と。
ならばなぜ着ない!?

このままでは彼と一緒に棺桶に入れなくてはいけなくなりそうな気がする。

例えば次男くんの本。保育園のころに毎月配られていた月刊誌。4月から3月まで揃っているやつ。小学校に上がってからは全然読んでいないので、もう資源ごみに出していいかと毎月聞くのだけれど、うんと言ってくれない。

なにがここまで彼らをものに執着させているのか?

子どもたちはなんとなく分かる。
そうそれは思い出だ。楽しい思い出があるからこそ手放したくないのだろう。

ただ夫氏に関してはそれだけではなく、捨てられないの裏にあるものが圧倒的にもったいない、という気持ちだと思う。

彼は料理で出しすぎた小麦粉やパン粉も捨てることができず、そっと換気扇のダクトの上にトレーごと毎回置いておくのだ。

数日後にこれはなにかと気づいたワタシが、処分するということの繰り返し。
彼の中ではたぶん、残した粉やパン粉はワタシが使ってくれたことになっているのだろう。

思い出はともかくもったいないについては、使わないものを後生大事に溜め込んでおく方がよっぽどもったいない気がするのはワタシだけだろうか?

他に使いたい人に使ってもらったほうがよっぽど有意義だと思うのだが。

もしかすると自分が高いお金を出して買ったものを安く売るのがくやしいのかもしれない。

ケチってやつなのかもしれない(ぶつぶつ)

なんて捨てられない(売れない)夫氏に対して不満を抱えているワタシだけれど、

ならば大事だったものだろうが、高かっただろうが、バッサリと処分したり売りに出せたりする自分はなんなのかと考えてみたら、

それは、ものにあんまり良い思い出がない人(悲しい過去しかない)か、衝動買いしたものが失敗だった汚点を目の前から証拠隠滅したい人、なのかもしれない。

ああどっちもどっち!

これからは買い物は慎重にします、と反省するにいたりました。

それにしてもなんにしても買ってしまったもので使わないものは減らしていきたい今日この頃。

みなさんはどうしておられるのでしょう?
よかったら教えてくださいね。




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