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1953年の名古屋ドラゴンズ

〜『ドラゴンズ年次成績』〜

大洋と松竹が合併し洋松となり
セ・リーグが6球団制となった1953年、
後楽園・大阪・西宮球場に次いで
中日球場にも照明設備が完成し
6月25日の広島戦にて
初ナイターが開催されたとのことです。


【年度・監督】
1953年(昭和28年)

坪内道典監督

【成績】
130試合70勝57敗3分.551
3位(首位・巨人まで 18.5差)

【順位】
①巨人 ②阪神 ③名古屋
④広島 ⑤洋松 ⑥国鉄

【対戦別・球場別勝敗】(☆=ホーム)
〈対巨人〉8勝17敗1分
 中日☆=4勝8敗1分
 後楽園=4勝5敗
 川崎 =0勝4敗

〈対阪神〉13勝13敗
 中日☆=5勝6敗
 鳴海☆=2勝0敗
 甲子園=4勝6敗
 日生 =1勝0敗
 岡山 =1勝0敗
 大阪 =0勝1敗

〈対広島〉15勝10敗1分
 中日☆=7勝5敗
 刈谷☆=1勝0敗
 広島 =4勝3敗
   =1勝0敗1分
 岡山・仙台
    =各 1勝0敗
 苫小牧・滝川
    =各 0勝1敗

〈対洋松〉15勝10敗1分

 中日?=9勝4敗1分
 大阪 =2勝5敗
 西京極・室蘭・甲子園・彦根
    =各 1勝0敗
 弘前 =0勝1敗

〈対国鉄〉19勝7敗
 中日?=13勝2敗
 豊橋?=1勝0敗
 後楽園=4勝3敗
 小倉 =0勝2敗
 大分 =1勝0敗

【月別勝敗】
 3月 2勝0敗1分
 4月 14勝11敗
 5月 14勝7敗
 6月 7勝5敗1分
 7月 9勝8敗
 8月 9勝9敗1分
 9月 11勝11敗
 10月 4勝6敗

【主な投手成績】
 杉下茂   45試合23勝9敗 2.83
 石川克彦  38試合18勝4敗 2.31
 大島信雄  37試合12勝9敗 3.83
 徳永喜久夫 48試合9勝10敗 2.62
 中西由行  31試合6勝9敗 3.47

【主な打撃成績】
 西沢道夫 119試合 .325 22本 81打点
 児玉利一 106試合 .303 5本 58打点
 杉山悟  104試合 .283 16本 70打点
 国枝利通 109試合 .260 1本 26打点
 本多逸郎 112試合 .244 3本 18打点
 牧野茂  118試合 .241 4本 35打点
 原田徳光 130試合 .228 4本 32打点

【タイトル】
 最高勝率=石川克彦 .818


【感想・ひとこと】(筆者年齢=誕生13年前)
前年の松竹戦と同様、
この年の洋松戦も中日球場で14試合
国鉄戦では中日球場15試合・豊橋1試合
いずれも過半数が地元開催となっており、
シーズン終盤にビジター扱いで
消化された可能性も否定できないため
ホーム・ビジターの分類においては
不明表記とさせていただきました。

手元の資料には
「チーム成績は、エース杉下の
故障が長引き 結局3位に終わった」
とありますが、それでも杉下投手は
266イニングを投げ 23勝を挙げています。
今では想像すらできない話ですね。

この年のオフ、坪内道典監督が中心となり
選手総出で天知俊一総監督に
監督復帰を要請し、受諾したとのこと。

同時に球団経営も
再び中部日本新聞社に一本化され、
チーム名も翌年から
『中日ドラゴンズ』に戻されました。

会社もチームも紆余曲折を経て、
翌1954年=初優勝&日本一の年を
迎えることになったようです。

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