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1950年の中日ドラゴンズ

〜『ドラゴンズ年次成績』〜

昨年、球団史上初の2年連続最下位を
記録してしまった中日ドラゴンズ。
残念ながら今季もそのワースト記録を
更新してしまう結果となりました。

采配に対して思わず首を傾げてしまったことも
少なからずあった3年間でしたが、
立浪監督が育成された若手戦士が
近い将来 再び黄金期を築いてくれることを
心より祈念いたしまして…
過去の年次成績を振り返ってみたいと思います。

まずは セ・パ 2リーグに分立した
1950年の記録でございます。


【年度・監督】
1950年(昭和25年)

天知俊一監督

【成績】
137試合89勝44敗4分.669
2位(首位・松竹まで9差)

【順位】
①松竹 ②中日 ③巨人 ④阪神
⑤大洋 ⑥西日本 ⑦国鉄 ⑧広島

【対戦別・球場別勝敗】
〈対松竹〉6勝13敗1分
 中日 =0勝4敗1分
 後楽園=4勝3敗
 衣笠・神宮=各 1勝0敗
 下関・倉敷・甲子園・長野・大阪・鳴海
              =各 0勝1敗

〈対阪神〉14勝6敗
 中日 =1勝1敗
 後楽園=3勝1敗
 甲子園=1勝2敗
 下関 =2勝0敗
 広島・西大寺・熊本・金沢
 ・函館・札幌・大阪  
=各 1勝0敗
 彦根・富山=各 0勝1敗

〈対巨人〉11勝8敗1分
 中日 =2勝1敗
 後楽園=3勝3敗1分
 大阪 =2勝0敗
 鳴海・福井・金沢・宇都宮 =各 1勝0敗
 水戸・国府台・富山・太田 =各 0勝1敗

〈対大洋〉13勝7敗
 中日 =3勝0敗
 衣笠 =2勝1敗
 後楽園=1勝2敗
 豊橋・下関・旭川・札幌
 ・富山・磐田・山田 
=各 1勝0敗
 平和台・甲子園・昭和・静岡  =各 0勝1敗

〈対西日本〉14勝3敗1分
 豊橋 =2勝0敗
 桐生・一宮・鳴海・佐賀・多治見・岐阜
 ・浜松・鶴岡・米沢・松阪・熊本・広島
              =各 1勝0敗
 後楽園=0勝0敗1分
 中日・新潟・一関 =各 0勝1敗

〈対国鉄〉17勝2敗1分
 中日 =5勝0敗
 後楽園=5勝1敗1分
 挙母 =2勝0敗
 広島・沼津・仙台・小樽・熊谷 =各 1勝0敗
 豊橋 =0勝1敗

〈対広島〉14勝5敗
 中日 =2勝1敗
 後楽園=4勝3敗
 日生 =2勝0敗
 福山・上田・熊谷・青森三沢・徳山・水戸
               =各 1勝0敗
 広島 =0勝1敗

【月別勝敗】
 3月  11勝2敗
 4月  13勝4敗
 5月  10勝6敗
 6月   3勝10敗
 7月  12勝5敗1分
 8月   9勝4敗
 9月   8勝5敗2分
 10月 12勝3敗1分
 11月  11勝5敗

【主な投手成績】
 杉下茂  55試合27勝15敗 3.20
 服部受弘 41試合21勝7敗 2.94
 宮下信明 31試合14勝8敗 3.97
 近藤貞雄 23試合10勝4敗 3.60
 清水秀雄 22試合9勝5敗 4.20
 星田次郎 19試合6勝4敗 3.22

【主な打撃成績】
 西沢道夫 137試合 .311 46本 135打点
 原田徳光 137試合 .306 13本 79打点
 杉浦清  128試合 .296 26本 96打点
 坪内道典 123試合 .288 7本 57打点
 国枝利通 133試合 .272 3本 58打点
 野口明  137試合 .271 18本 73打点
 松本和雄 135試合 .258 1本 52打点
 杉山悟  128試合 .241 21本 63打点

【タイトル】
 最多奪三振 =杉下茂 209
 ベストナイン=西沢道夫 一塁手


【感想・ひとこと】(筆者年齢=誕生16年前)
 資料を見て まずビックリしたのは
 試合の日程ですね。
 フランチャイズ制が確立する前の時代で、
 1試合ごとに相手や球場を変えて
 全国様々な球場で戦っていたようです。

 そのため1か月間の試合数は15試合前後。
 開幕日が3月10日 そして
 11月20日が最終ゲームになっています。

 東京や広島での中日対阪神や
 大阪での中日対巨人など、
 今では考えられない試合も多数ありますね。
 本拠地・中日球場での試合数も
 137試合中 たった22試合だったようです。

 豊橋でのゲームも数試合ありますが、
 これは現在の豊橋公園内にある
 市営球場で開催された公式戦です。
 対西日本戦は 豊橋のみ2試合行われ、
 あとは中日球場を含めて
 全て異なる球場で1試合ずつ
 実施されています。

 選手の個人成績においては、
 杉下茂投手の
 55試合登板のうち30試合が先発、
 投球回数が325イニングという
 今の時代では有り得ない数字に驚きました。
 杉下投手は打者としても
 32安打 .269 3本塁打 15打点という
 数字を残しています。

 チームは89勝44敗の貯金45という成績。
 なのに、松竹に9差も離され
 2位に終わってしまいました。

 この松竹ロビンスというチーム、
 翌年は4位、翌々年は最下位に転落し、
 大洋と合併した後に
 松竹が球団経営から撤退したため、
 1954年には消滅しています。

 「どうせ数年後に消滅するのなら
  この年も控え目な成績で終えてくれれば…
  もしかしたら ドラゴンズが
  セ・リーグの初代優勝チームに
  なったかもしれないのに…」
 な〜んて愚痴のひとつも
 こぼしたくなってしまいますが、

 後に『男はつらいよ』を制作してくれた
 映画会社なので、まぁ良しとしましょ〜!
 (^_^;)

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