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1951年の名古屋ドラゴンズ

〜『ドラゴンズ年次成績』〜

名古屋鉄道が球団経営に加わったため
球団名が「名古屋ドラゴンズ」となった
1951年は、西日本パイレーツが
パの西鉄に吸収合併されて7球団に。

8月19日には、本拠地・中日球場が
試合中に全焼したとのこと。
死者3人・負傷者335人の大惨事。
中日球場で予定されていた残り試合は
鳴海・刈谷・四日市などで
消化したそうです。


【年度・監督】
1951年(昭和26年)

天知俊一監督

【成績】
113試合62勝48敗3分.564
2位(首位・巨人まで18差)

【順位】
①巨人 ②名古屋 ③阪神
④松竹 ⑤国鉄 ⑥大洋 ⑦広島

【対戦別・球場別勝敗】
〈対巨人〉6勝12敗2分
 中日 =0勝1敗1分
 後楽園=2勝2敗1分
 大阪 =0勝2敗
 武蔵野=2勝0敗
 鳴海 =0勝2敗
 山形・札幌
    =各 1勝0敗
 岐阜・甲子園・浜松・仙台・豊橋
    =各 0勝1敗

〈対阪神〉14勝5敗1分
 中日 =3勝0敗1分
 後楽園=4勝1敗
 大阪 =3勝2敗
 彦根・刈谷・倉敷・茅ケ崎
    =各 1勝0敗
 甲子園・豊橋
    =各 0勝1敗

〈対松竹〉14勝5敗1分
 中日 =3勝0敗1分
 後楽園=4勝1敗
 大阪 =3勝2敗
 彦根・刈谷・倉敷・茅ケ崎
    =各 1勝0敗
 甲子園・豊橋
    =各 0勝1敗

〈対国鉄〉6勝10敗
 中日=2勝2敗
 大阪=0勝3敗
 鳴海=1勝1敗
 豊橋・沼津・小樽
   =各 1勝0敗
 甲子園・武蔵野・後楽園・松阪
   =各 0勝1敗

〈対大洋〉12勝7敗
 中日 =3勝1敗
 後楽園=3勝1敗
 甲子園=2勝0敗
 日生 =0勝2敗
 豊橋・刈谷・大阪・浜松
    =各 1勝0敗
 静岡・挙母・鳴海
    =各 0勝1敗

〈対国鉄〉17勝2敗1分
 中日 =5勝0敗
 後楽園=5勝1敗1分
 挙母 =2勝0敗
 広島・沼津・仙台・小樽・熊谷 
    
=各 1勝0敗
 豊橋 =0勝1敗

〈対広島〉13勝5敗
 中日 =0勝2敗
 後楽園=4勝0敗
 大阪 =3勝1敗
 広島・甲子園・札幌・四日市・刈谷・秋田
    =各 1勝0敗
 日生・函館
    =各 0勝1敗

【月別勝敗】
 3月  1勝1敗
 4月  6勝6敗1分
 5月  9勝11敗1分
 6月  17勝4敗
 7月  4勝7敗1分
 8月  11勝8敗
 9月  11勝6敗
 10月  3勝5敗

【主な投手成績】
 杉下茂  58試合28勝13敗 2.35
 三富恒雄 25試合12勝7敗 3.09
 星田次郎 22試合10勝7敗 3.37
 宮下信明 27試合5勝9敗 4.16

【主な打撃成績】
 原田徳光 111試合 .316 12本 68打点
 杉山悟  97試合 .289 18本 58打点
 国枝利通 113試合 .286 0本 40打点
 土屋亨  91試合 .279 4本 30打点
 坪内道典 113試合 .278 2本 39打点
 服部受弘 89試合 .272 6本 28打点
 西沢道夫 95試合 .270 14本 61打点
 野口明  108試合 .265 8本 49打点

【タイトル】
 最多勝   =杉下茂 28
 ベストナイン=野口明 捕手
 沢村賞   =杉下茂


【感想・ひとこと】(筆者年齢=誕生15年前)
この年は日米野球のために
公式戦が途中打ち切りなったとのこと。
そのため各球団の試合数は
広島の99試合から阪神の116試合まで
バラバラな数字で終わっています。

杉下茂投手の28勝は
チーム勝利数62勝の45%超という
驚異的な記録ですね。

中日球場の火災と再建については、
2017年4月11日付の中日スポーツにも
掲載されていました。


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