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【#220】書き初めは必要なのか?

こんばんは。今日は自宅で、長男の冬やすみの宿題(書き初め)を一緒にやりました。指定の文字は「友達」。墨汁を垂らして新聞広げて大きな半紙に字を書く。

毎度思うのですが、この書き初め、わざわざ宿題で自宅でやる必要ありますかね。
もっというと「習字」って今、みんなでやる必要あるのかなという(もちろん、好きでやっている方を否定はしませんが)。

この書き初め、令和のこの時代にわざわざやる意味があるのか?ルーツはどこにあるのか調べたところ、鎌倉時代まで遡り、願掛けや伝統的な意味合いでの儀式として残っている習慣のようです。

書き初めの歴史的変遷
鎌倉・室町時代
「吉書の奏」は武家政権にも引き継がれ、「吉書始め」という新年の儀礼行事として定着しました。将軍に対して儀礼的文書が提出されるようになりました。

江戸時代
この習慣が庶民の間にも広がり、「おめでたい新年に書道(習字)をする」という行事となりました。寺子屋の普及により、書き初めの習慣が急速に広まりました。

明治時代以降
書道教育の普及とともに、書き初めも広く一般的になりました。

書き初めの意味と伝統書き初めには、以下のような意味や伝統が込められています:
・新年の抱負や縁起の良い言葉を書くことで、目標の成就や新年を祝う気持ちを高めます
・「若水」と呼ばれる新年最初に汲んだ水で墨をすり、恵方に向かって書くという習慣がありました
・神様にあやかって字が上手になるという願いも込められていました

このように、書き初めは単なる習字の練習ではなく、日本の文化や伝統、そして人々の願いが込められた重要な新年の行事として、現代まで受け継がれています。

perplexityの回答

これに似た話で、個人的にはお参りにも疑問があって、例えば「初詣」家族や親戚が揃って初詣に行きそのままご飯を食べて帰るなど、行事的な側面では良いと思うのですが、やたらとそこのお祈りとか投げ銭が厚い人を見かけると、神頼みも良いけど、日々ちゃんと努力してんのかね?とか思ってしまいます(ひねくれてますね 笑)。自力でやれることやって努力はし尽くした後に、最後にやれることとしての神頼みなのかなっていう印象があるんですよね。

初詣のルーツは平安時代の「年籠り(としごもり)」という伝統的な風習にさかのぼります。この習慣では、大晦日から元旦にかけて家長が氏神様のいる神社にこもり、新年の豊作と家内安全を夜通し祈願していました。

perplexityの回答

新年だからとか習慣だからとか、そういうことで思考を止めずに、今は選択肢が多様な世の中なので、しっかりと「なんのためにやるのか?」を考えて、行動したいなあと改めて思いました。

以上、墨汁が家の壁に散ってしまい、愚痴を言いたかったというnoteでした。
それでは!

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