体癖識別のあれこれ。雑記。
私が野口晴哉の体癖論を読んでまず感じたのは科学的にやろうとしてはいるが中途半端だなという印象だった。確かに体重の分配や腰椎の歪み等々がその人の性格を左右しているのは恐らく本当だが、一方でその体癖から来る症状に話が移っていて、体癖を消すとどうなるかといった記述は私の記憶では無かった。
また、体癖を学んで数分後に書いたシャニマスと絡めた雑文は読み返す度に経験不足から酷く深刻な詐欺レベルの間違いが目立つが自戒の目的で残している。けれど良い面も有って、当初予想していた体癖の遺伝についてはほぼ確実にあるだろうと今では思う。私の浅い知識から単純な次の段階を予想をすると、遺伝するということは遺伝子に腰椎の形成を左右している部分が有って、その遺伝子が何に役立っているかまでは不明だが少なくとも後天的に制御するにも限度がありそうだ。
次に経験則ではあるが、体癖を見る時は頬骨を上限にしてそこから顎までを中心に判別した方が楽そうだ。他所様の記事では首から上という意味での頭部全体の造形を重視していたが、頭頂部付近はどうも別の要因で形成される確率が高いような気がする。
また、性格からのみの判別も早々に限界が来る。たとえば左右型と前後型が似た嗜好を示す場面がある。それはヒト以外に語りかけるという行動だ。左右型は共感能力からそれを示すし、前後型は空想の筋書きをなぞる傾向からそれを示す場合があり得る。他にも上下型と捻じれ型は同じく他者を制御しようとする場合があるし、開閉型と前後型は双極という基準で見ると表出する性格に差が無いとさえ思える場合がある。このように性格は補助機能としてしか使えなさそうだと思った。因みに演技をする場合でもできなくはないが体癖が合っていないと絵が映えないなと思う。最近の時代劇は特にそう感じる。
それから、1人の人間から2つの体癖を見出すやり方だが、やはり2つ目の体癖は後天的な獲得が絡むようで印象深い出来事の経験などから来ていると私は感じる。それをトラウマと呼ぶか学習と言うかは臨機せずには判らない。この場合、本来の体癖に抗っている判定が下るのなら本人は強いストレスに曝されるだろうし、本当に獲得したならやはり無理に分離させるのも間違っているので扱いに困る事がままある。なのでそういう時は支障がなければ放っておく。
時に、判別をしていく上で不思議ではあったが人種や国籍に関係なく人類全体では左右型がやはり多いように思う。これは今後解明したい問題の1つだ。