「Live in Japan 1973, Live in London 1974 」 ベック・ボガート&アピス
日本が世界に誇れるものとはなんだろう。実直で勤勉な国民性だろうか? すでにレガシーな技術力だろうか? "外国人が驚愕した○○"のような涙ぐましいYoutubeを見て悲しい気持ちになっているかも知れない。しかし、50年前にベック・ボガート&アピスの唯一の公式ライブ・アルバムが作成されたのがこの国であることは間違いなく日本が世界に誇るべき偉業である。
ジェフ・ベックはあまりライブ・アルバムに前向きではなく、それゆえこの傑作も長年日本でしかリリースされていなかった。それがロンドンでのライブも合わせて2023年9月に全世界で公開され、ついに各種ストリーミングでも聴くことができるようになったのだ。しかし、ここでは多くの日本国民が長年慣れ親しんだ日本でのトラックを中心に紹介したい。
この伝説的なライブはドラムのカーマイン・アピスが鳴らす"銅羅(ドラ)"の音から始まる。そして不思議なトーンのギターに導かれるようにはじまるのが、このバンドの唯一のヒット曲である「Superstition」だ。スティービー・ワンダーが作曲したこのファンクの名曲は重量級のドラムと破滅的なベース、ドライブ感溢れるギターによってヘビーロックの名演となった。
ベック・ボガート&アピスとは、英国ロック・シーンを代表するギタリストであるジェフ・ベックと米国でもその破壊力で衆目を集めていたベースのティム・ボガートとドラムのカーマイン・アピスによって結成されたパワー・トリオだ。その高度な演奏技術ゆえに楽器演奏パートがメインであり、ヴォーカルは3人が交代で添え物程度に担当している。明確なリーダーは存在せず、3人が対等な立場でときに対立し、ときに調和しながら、究極のインプロヴィゼーションを繰り広げる。いわば70年代版のクリームと期待されたバンドであったが、何やら中途半端なスタジオ・アルバムを1枚残して消えていったというのが米国や英国での評価だった。しかし、多くのパワー・トリオ同様、彼らの真価が発揮されたのはライブ演奏だった。1曲目であるにも関わらず鬼神のようなハイ・テンションで繰り広げられるこの「Superstition」の演奏がその事実を雄弁に語っているだろう。3人が作り出す極上のサウンドは大地をどよもし、怒涛のクライマックスへと登り詰める。
「Lose Myself With You」はティム・ボガートのベースをフューチャーしたナンバーだ。ボガートのベースは轟音すぎてわかりにくいが、もともとはモータウン系のソウル・ミュージックにルーツがあるようだ。このバンド独特の躍動感はボガートによって生み出されていたのだろう。中盤のベース・ソロはこの男の異常性を物語っている。ベースを持ったジミ・ヘンドリックスとは彼のことではないだろうか。
しかし、3曲目の「Jeff's Boogie」は当時のギターキッズを絶望の淵に叩き落としたであろう名演だ。わずか3分ほどの演奏の中にブルースやカントリー、ロカビリーなど様々な奏法が現れては消えてゆく。チェット・アトキンスやクリフ・ギャラップなど知られざる天才たちの断片が凄まじいブギーとなってほと走る、究極のギター・ナンバーだ。模倣するだけでも至難の技だが、ジェフ・ベックはこれを本能の赴くままにアドリブで演奏しているのだ。まさに魔術士というべき天才ぶりに恐怖すら感じる。恐らく近世にパガニーニをリアルタイムで見た人たちも同じような感覚を抱いたのではないだろうか。
続く「Going Down」にしろ「Boogie」にしろ曲というにしてはあまりにもシンプルな素材なのだが、まるで大排気量のエンジンが唸りを上げるような三つ巴の演奏によって壮大に盛り上がるジャム・セッションと化している。もはやこの3人にとっては曲というものはそれほど重要ではなく、それを土台としていかに高みに登ってゆくかというチャレンジになっているのだ。それがこのバンドの魅力でもあり、限界でもあったのかもしれない。
「Morning Dew」は14分ほどの演奏の大半をカーマイン・アピスのドラム・ソロが占めている。ドラム・ソロというものは往々にして退屈なものなのだが、ここでのアピスの演奏はツーバスを駆使した絨毯爆撃のような低打音にシンバルやスネアを撒き散らし、音の激流を体験させてくれる。ドラムだけでこれだけの世界観を現出させてしまうのはまさに圧巻だ。
「Sweet Sweet Surrender」は短いが哲学的でもあり宗教的な響きもあるバラッドだ。夢や希望、あるいは虚構を追い求める者にとって、現実の世界に目を向けるのは勇気のいることだ。ジェフのギター・ソロは戸惑いながらも恐る恐る振り返り、やがて力強い奔流となって大地を揺るがす。人生で迷いが生じた時にはいつも聴きたい名演だ。
「Livin' Alone」で再びバンドはギアを上げる。火花を散らすジェフのギターと失走するボガートのベースが織りなす緊迫感がアピスのテンションをさらに煽っているようだ。
「I'm So Proud」でまた少しクールダウンされるのも束の間、「Lady」で再びバンドのヴォルテージは最高潮に高まりこのまま終盤まで駆け抜ける。いかにボガードのベースが轟音とはいえ、このバンド構成ではコードを演奏できるのはジェフのギターだけだ。全曲に渡ってギター・ソロとコードワークを細やかにスイッチして楽曲の構成を支えつつきらびやかな彩りを与える演奏は、まさにロック・ギタリストの完成形と言って良いだろう。
「Black Cat Moan」はジェフのボーカルとトーキング・モジュレータがフューチャーされている。このトーキング・モジュレータというのは私はどうも好きになれないのだが、いまいちなジェフのボーカルを補うギミックであったことがこの曲を聴くと分かる。しかし、アピスが歌う中盤のスローブルースにおけるギター・ソロの方がむしろ彼の"歌"に近しいのだろう。
「Why Should I Care」は緊迫感とドライブ感に溢れた熱演だ。中盤のジェフとボガートの掛け合い、終盤のアピスと観客のコール・アンド・レスポンスでこのショウは興奮のるつぼと化す。「Plynth/Shotgun」はそれぞれ第1期ジェフ・ベック・グループとヴァニラ・ファッジの曲を組み合わせたものだが、中盤にヤードバーズの「Heart Full Of Soul」のフレーズも織り交ぜ、土砂崩れのようなクライマックスを迎える。
このライブが行われた1973年と言えば、日本ではフォークソングが流行っていた時代だろうか。会場となった大阪厚生年金ホールを崩壊させんほどの凄絶な演奏に当時の観衆は度肝を抜かれたことだろう。
なぜ結成後間もないベック・ボガート&アピスのライブが突如日本で行われることになったのか、今となってはその背景は知るよしもない。日本武道館を含めて4ステージが行われたらしい。実際のライブはアルバムとは全く異なる曲順で演奏されたが、2枚組LPへ収録するためにこのような順序に変更されたようだ。2013年には本作の40周年記念として実際の曲順にしたリマスター版が発売されている。
本作はさらにその10年後にロンドンのレインボー・シアターでのライブを追加したものだ。追加されたトラックは1974年のライブであり、ベック・ボガート&アピスとしては最後期の演奏だ。まず驚くのはその音質だろう。明らかに日本公演とはその音の厚みと細部の鮮明さが違う。まるでライブ会場にいるような迫力だ。もちろんバンドの習熟度も向上しており、特にアピスのヴォーカルは成長著しい。
このような素晴らしい音源が追加されたにも関わらず、日本公演のパートはその価値を全く損なってはない。メンバーがあまり興味を示さなかったゆえ、オーバーダビングなどの編集が全くされなかったことが、ライブ演奏そのままの生々しさを今に伝える貴重な記録となった。そして結成間もないバンドの緊張感と未来への期待感が演奏の端々から聞こえてくる。この素晴らしい作品に出会えた幸運に感謝せずにはいられない。
だが、ベック・ボガード&アピスは2年足らずで霧散してしまった。そもそも三者のアドリブを合戦を中心としたアンサンブルは、結成当初からすでに完成形であり、その後大きな飛躍が期待できるものではなかった。三者が対等な立場で絶対的なリーダーがいないという編成は、バンドの方向性やコンテンツ管理を迷走させたかもしれない。結果的にこのバンドはその後大きなヒット作を作り出すことができないまま、自然消滅して行ったのだ。
ある意味ベック・ボガート&アピスというバンドは大艦巨砲主義のようなものだったのかもしれない。強烈なメンバーを集めてでかい音を出せば最強だろう、という考え方は1973年当時にはすでに過去のものだった。そして、その主砲は鳥一匹すら撃ち落とすことなく、ゆっくりと沈んでいったのだ。
この後、ジェフ・ベックは「Blow By Blow」という歴史的名作で新たなキャリアを切り拓いたのみならず、ロック・ギターの世界をさらなる高みに押し上げた。一方、ボガートとアピスは様々なミュージシャンのサポートをしつつ、ヴァニラ・ファッジの再結成やベック・ボガート&アピスのセルフ・コピーのようなことをして余生を過ごした。このライブ・アルバムはボガートとアピスが最も輝いていた時の、そしてジェフが普通のギタリストだった時の最後の記録でもあったのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?