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「地獄の猟犬が追ってくる」 ロバート・ジョンソン

リーマンショックの直後ぐらいに、私は仕事で200人ほどが参画するプロジェクトに携わっていたことがある。そこには多くの下請けが入っており、私は中堅業者の管理者として10人ほどのチームを率いて参画していた。毎日の勤務時間は朝9:00から夜0:00までであり、休日は年に3日ほどだった。
日中の業務内容は、延々と続く会議で顧客や元請企業への進捗報告であり、実際に作業をして進捗させる時間はない。翌朝、再び遅延の原因と改善策を報告させられる日々だった。チームの中には心を病むものも多く、毎年1〜2人はうつ病を発症するものがいた。なぜか世代的に小さい子供を持つものが多かった。長引かせると本人もチームも苦しいので、すみやかに診断書をとって交代要員を手配する。実に手慣れたものだった。当時の私は、個人のキャリアや家庭を犠牲にしてなんとも思わなかったのだろうか?
思わなかった。全く何にもだ。他人を思いやる気持ちというものは、生活や心にゆとりのある人間だけが持てるものなのだろう。疲労と重圧は人間から感情を奪い、心を石のようにしてしまう。やがてはスポーツや芸術を楽しむ心も失ってしまうだろう。妊婦にすら出勤を命じ、地下鉄の電車をじっと眺めていた私には、過美な映画や音楽は楽しめないどころか苛立たしくさえあった。
しかしそんな私の心に唯一しみいった音楽がある。それがブルースだった。特にもっともプリミティブなデルタ・ブルースが私の救いだった。

動かなければならない、動かなければならない
ブルースがあられのようにふってくる。

夢も希望も人としての尊厳も失った私の心をとらえて離さなかったのは、ロバート・ジョンソンが歌う「地獄の猟犬が追ってくる(Hellhound on my trail)」の冒頭の一節だった。

ブルースとはアメリカの黒人奴隷がプランテーションでの労働の中で歌っていたものが、奴隷解放後に娯楽音楽として形成されたもののようだ。特に黒人差別が苛烈だったミシシッピ・デルタ地帯で盛んに歌われ、やがて都会に伝搬し、エレキ化したものがシカゴ・ブルースとなった。このブルースが後にエルビス・プレスリーのようなロックン・ロールやローリング・ストーンズのようなブリティッシュ・ロックを生み出すのだが、そんな現代音楽史のような豆知識はさして重要ではない。問題はこのブルースが21世紀においてもなお、実用的な救いの音楽として機能するという事実なのだ。

ロバート・ジョンソンは1911年に生まれ、1936年から1937年に30曲ほどのレコーディングを行い、1938年頃に27歳で亡くなったようである。デルタ・ブルースとしては最後期の人物であり、先輩世代のチャーリー・パットンやサン・ハウスから引き継いだ激烈なパッションはそのままに、西洋的なすっきりとした音世界を構築しているのがその特徴だ。ギターだけの弾き方りスタイルではあるが、昭和フォーク・ソングのようにジャカジャカとかき鳴らすのではなく、低音のリズムパターンと高音のスライドギターの二役を同時にこなしながら歌うという現代では死に絶えた超絶テクニックを披露している。もちろん残されたレコーディングの音質は良くないのだが、コンピュータ処理もエコーすらも効いていないストレートなサウンドには、まるで隣の部屋で演奏されているような臨場感がある。そしてブルースというフォーマットが固定化する前の世代であるがゆえか、当時の多彩な民衆音楽の影響も透けて見える。
彼のレパートリーの多くは「心優しい女のブルース」のように、当時の主な聴衆である黒人労働者の心情を歌った生活歌であった。「Sweet Home Chicago」、「Walking Blues」、「Rambling on My Mind」など後年スタンダードとなったものも多い。一方で激情と創造のまかせるままに歌われたいくつかの作品が異彩を放っていて、爆発する「説教ブルース」、そしてあまりにも不気味な「地獄の猟犬が追ってくる」などがそれである。

「説教ブルース」はおそらくチャーリー・パットンの「High Water Everywhere」やブッカ・ホワイトの「Special Streamline」のようなことをやりたかったのだろうが、この切迫感はロバート独特のものだ。暴風雨を思わせるような叩きつけるベース音と吹き荒ぶスライド音のさなかで絶叫するヴォーカルは30年後のロック・ミュージックを完全に先取りしている。当時の人々が夜な夜なこんな曲を酒場で興じていたのかと思うと空恐ろしい感覚すらおぼえる。

一方で、地獄の猟犬につきまとわれる彼の毎日は悲惨そのものだった。クリスマスにも彼を救うものはなく、一夜を共にする女友達を探してさまよい歩く。市中の人々には魔除けの粉で追い払われ、彼自身が"地獄の猟犬"になってしまったことを知ってか知らずか、風のうなる音を聞いている。繰り返される不協和音に恐怖と安らぎを感じるのは私だけだろうか。

なぜこのような曲が作られたのか、今となってはその背景はわかるはずもない。だが、この当時にはロバート・ジョンソンのようにレコーディングの機会に恵まれることのなかった多くのブルースマンがいたようだ。彼らは日々切磋琢磨する中でさまざまな音楽表現を生み出しており、その一部がロバートの音楽に現れていたのかも知れない。
そしてロバート・ジョンソンが残した音楽からは、苦しいながらも楽しく、たくましく生きる当時の下層社会の人々の日々の生活が垣間見れる。それは美しくも生臭い。彼は決して「私を産んでくれてありがとう」などと儒教めいたことは言わないが「俺のレモンを絞ってくれよ」とうめいてくれる。
ビジネスという名の苦役に耐えようとするあまり、人であることを諦めつつあった私がロバート・ジョンソンのようなデルタ・ブルースに惹かれたのは、少しでも生きた人間の心を取り戻したかったからなのかも知れない。

ブルースが現代のポピュラー音楽の基礎になっているのは間違いないが、当の黒人たちにはあまり聞かれることはないらしい。あまりにも奴隷時代や黒人差別との結びつきが強いことがその要因とも言われている。確かに、ブルースの素晴らしさが、人種差別の"成果"であるとは受け入れ難い理屈であろう。まして特定の肌の色や人種でなければ再現できないフィーリングやグルーヴがあるとは思いたくない。ブルースの伝統を受け継ぐ若い世代がいなくなり、衰退してゆくことは悲しい事実ではあるが、差別の歴史を前提として特定の音楽の魅力を語ることはもはや許容されることではないのだ。純粋に彼らが残した素晴らしい音楽が、今も多くの人たちを慰めるという事実だけあれば良いのではないだろうか。

列車の後ろには2つのランプがついている
青いランプは俺のブルース
赤いランプは俺のこころ

残念ながら私はミシシッピ州に行ったことはない。しかし彼がこう歌うのを聴くと、きしむ音を立てながら、私を置いて去ってゆく列車の姿が見えるのだ。


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