「Strong Love Affair」 レイ・チャールズ
レイ・チャールズとは何者なのかを説明するのは難しい。かいつまんで言うと、彼は主に50・60年代に活躍したシンガー/ピアニストであり、ゴスペルとブルースを融合した彼の音楽は後にソウルと呼ばれるようになる。その後も彼は活動を続け、2004年に73歳で没している。詳しくはWikipediaや「Ray」という彼の自伝をもとにした映画を参照してほしい。
フェアに言うならば、ゴスペルを世俗化するというアイデアは彼だけのものではなく、同時代の多くの黒人アーティストが抱いていたものだった。教会と聖書から解放されたゴスペルが、アフリカン・アメリカン発祥の偉大な文化として世界を席巻するのは必然だったのかもしれない。
とはいえ、スティービー・ワンダーやプリンスに続くブラック・ミュージックの基礎を築いたひとりがレイ・チャールズであったことは間違いない。後年多くの音楽賞や文化賞を受賞した彼は、さまざまな軋轢を生んだかもしれないが、それ以上に愛された男だった。
しかしこう思う人もいるだろう。「偉大な人物だったのは分かった。では2020年代にBTSではなくてレイ・チャールズを聴く意味はなんなのだろう?」まして、全盛期ではなく晩年の作品であるこの「Strong Love Affair」を。まったく当然の疑問である。
このアルバムが発売されたのは1996年であり、当時はセリーヌ・ディオンやスパイス・ガールズが大ヒットしていた。レイ・チャールズは特にリバイバルしていたわけでもなく、旧友クインシー・ジョーンズのプロダクションで作られた本作は、チャート圏外にとどまり話題にすらならなかった。現在でも配信サービスのカタログになかったり、Amazonでは中古が100円という屈辱的な値段で売られている。
だが本作で聴けるレイ・チャールズは最高なのだ。50・60年代の彼の録音ももちろん素晴らしい。しかし、それらはどちらかというと歴史的な"資料"であり、当時の時代背景に思いを馳せることなく評価するのは難しいだろう。その一方、この「Strong Love Affair」や前作の「My World」では、伝説というフィルターなしに現代的なひとりのアーティストとしてのレイ・チャールズの魅力を存分に楽しめるのだ。
実際のところ、彼の歌はそれほど"上手く"は聞こえない。むしろひどくかすれた声でリズムも音程も外しまくり、歌というよりは酔っ払いのぼやきや囃し立てが、ギリギリのところで音楽として成り立っているという有り様だ。近代的な音楽教育を受けたミュージシャンとはあまりに異なるアプローチだろう。しかし、この起伏に富んだゴツくて儚い歌唱こそ、AIには再現できないものであり、人間が聞く価値のあるものなのだ。
本作ではどの曲でも、最新の(と言っても30年前だが)録音技術と一流ミュージシャンのサポートによって、そんなレイ独特の歌唱が鮮やかに浮かび上がる。
1曲目の「All She Wants to Do is Love Me」からワイルドにスイングするレイが聴ける。デジタル技術とアナログサウンドのバランスも素晴らしい。
マイナー調のバラードである「Angelina」や「Strong Love Affair」は彼らしくない曲だが、いずれも陰鬱なメロディーがレイの肉感溢れる声で歌い上げられることで、哲学的な深みを持つ名演に仕上がっている。
一転して「Everybody's Handsome Child」や「The Fever」は絶妙なタイミングでヒット・アンド・アウェイを繰り返す、まるでボクシングのようにエキサイティングなナンバーだ。まさに、50年代のクラブで彼の演奏を聴いていた人たちはこんなスリルを楽しんでいたのだろう。
「Out Of My Life」は愛らしい曲だが、あまりに染みるので頻繁には聴けない。所詮は根無し草だった彼自身の人生を振り返っているのだろうか。
レイ・チャールズが生まれた1930年代のアメリカは大恐慌の只中にあり、社会的立場の弱い黒人たちの多くは苦境に喘いでいた。彼ら人種的マイノリティたちは第2次世界大戦後の好景気の恩恵を受けることもなかった。レイもまた両親を失い、自ら生計をたてざるを得なかったが、その類まれな才能と個性で成功を掴んだ。しかし、酒や麻薬で瞬く間にその生活は荒れ、後にイギリスからやってきたポップグループたちに追いやられるように活躍の場を失くしていった。多くの同世代のミュージシャンたちが同じように身を持ち崩し、消えてゆく中で、レイ・チャールズだけが細々とはいえ、2000年代まで活動を続けられたのはなぜなのだろうか。
彼は、ゴスペルとブルースの融合を試みただけでなく、アメリカ白人の伝統であったカントリーミュージックも積極的に取り入れた。しかしこれは純粋に音楽的な興味からだけではなかったかもしれない。
当時のアメリカは人種や宗教によって生活圏が分割されており、聴く音楽もそれぞれ異なっていた。問題は、ゴスペルやブルースは黒人コミュニティという限られた市場でしか消費されない一方で、カントリーミュージックは人口の大半を占める白人層に好んで聴かれていたと言うことのだ。そして彼は、カントリーミュージックの優れた楽曲を、第一線のソウルシンガーが歌うことで双方の市場にアピールできると思ったのだろう。つまり、音楽が繋げる巨大なマーケットがあることを予感していたのだ。
レイはジャズやビートルズのナンバーにもチャレンジしているが、これも同じく多様なファン層を構成したいという狙いだろう。日本においても「Ellie My Love」で彼を知ったという人は多いはずだ。そして時代が移り変わっても、人種を超え、宗教を超え、国を超えて彼を求める人の列が消えることはなかったのだ。
そして本作を聴けばわかるとおり、実家のような生ぬるさと、から騒ぎのにぎやかさをもつレイ・チャールズの歌声には何者をも拒まないおおらかさがある。残念ながら、彼の歌の中にしか安らぎを見出せないという人が、世界にはたくさんいたということなのだろう。
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