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「Essential Mahalia Jackson」 マヘリア・ジャクソン
マヘリア・ジャクソンという女性シンガーを知っているだろうか。1911年に生まれ、1972年に没した米国のゴスペルを代表するシンガーだ。彼女の生涯についてはWikipediaなどを参照してほしいが、ゴスペルというジャンルを代表するシンガーであり、アレサ・フランクリンであろうと、ホイットニー・ヒューストンであろうと、1960年代以降に活躍したソウル/ゴスペル系の歌手で彼女の影響下にない者はいない。
ゴスペルとは、讃美歌とブルースが融合してできた音楽と言われている。主に米国の黒人コミュニティで1930年代から発展してきたものであり、田舎の教会で礼拝のときに歌われていた。その内容は聖書の引用や神への愛を述べたものではあるが、司祭と信者のコール&レスポンスを交えながら強烈なシャウトとパワフルなリズムで演じられる熱狂的な音楽である。
ブルースがどれも同じような12小節のフォーマットであるのに対して、ゴスペルのレパートリーは讃美歌を元にしているゆえかバリエーションに富んでいる。だが両者は意外にも密接な関係があるようで、昼間は教会でゴスペルを歌い、夜は酒場でブルースを歌う者も多かったようだ。ゴスペルの父と言われるトーマス・A・ドーシーも元々はブルースマンだった。マヘリア自身もベッシー・スミスのような先輩世代のブルース・シンガーに強い影響を受けている。
そんなマヘリア・ジャクソンは、幼少期から教会で歌っていたが、歌で生計を立てることを決意し、シカゴに活動の場を移した。そして、レコーディングやコンサートの機会を得て、次第にその実力が広く知れ渡り、ゴスペルの女王と認められるようになった。しかし、そもそもキリスト教は金儲けに否定的な宗教であり、教会の中だけのものであったゴスペルをレコードやコンサートといった商業活動に使う彼女の姿勢に批判的な声も多かった。そして当時は、アメリカ公民権運動のもっとも激しかった時代でもあった。マヘリアはキング牧師とともに抗議運動の先頭に立ち、その歌唱で民衆を鼓舞し続けたのだ。20万人が参加したと言われるワシントン大行進での有名な「私には夢がある」というキング牧師の演説は、マヘリアが提案したものだったとも言われている。
つまり彼女の活動は宗教や歌手といった枠組みを超えたものであり、教会という閉鎖的な空間からをゴスペルを、そして黒人の尊厳を解き放つものだったのだ。
どの曲でも良いが、ひとたび彼女の歌声を聞けば、その湧き上がるようなパワー、草木一本まで慈しむような優しさ、そして黄金のような輝きに圧倒されるだろう。それはオペラ歌手のような器楽的な美しさではなく、生きた人間の美しさだ。泥をすすりながらも気高く生きようとする私たちのための歌なのだ。
この当時はアルバムという概念がなくシングルが中心だったため、現在において彼女の作品を楽しむにはベスト盤ということになるが、さまざまなものがあり、甲乙をつけるのは難しい。とりあえずはサブスクでも聴ける「Essential Mahalia Jackson」が良いだろう(というかYoutubeでほぼ全曲聴けるのだが)。ほとんどの曲がピアノやオルガンによるシンプルな伴奏であり、それゆえに彼女の歌の魅力を余すことなく感じ取れる。
冒頭の「How I Got Over」を聴けばゴスペルの何たるかが分かるだろう。ときに手を叩き、足を踏み鳴らしながら、語りかけるようにゆっくりと確実に聴衆を熱情の渦に巻き込んでゆく。そのヴォーカルは力強く伸びやかであるだけでなく、ブルース節も織り交ぜた深く豊かな表情に溢れている。
同様に7分を超える「In the Upper Room」はおごそかに始まるものの、強烈なビートの熱狂に変わってゆく。ゴスペルの魅力が詰まった名演だ。
「Take My Hand, Precious Lord」は、神への絶対的な信頼が空気を揺るがす名唱だ。深いヴィブラートと果てしないロングトーンは彼女のヴォーカリストとしての最高の瞬間をとらえている。
土砂を踏み鳴らす音が聞こえてきそうな「Didn't It Rain」、強烈なブギーの「Come On Children, Let's Sing」やコール&レスポンスの「Great Gettin' Up Morning」には、まさに当時の教会の熱狂を体験できる。このドライブ感は、日々の憂鬱を歌うブルースでは得られないものだろう。
一方で、西部劇のテーマのようなアップビートの「Joshua Fit the Battle of Jericho」にはマヘリアの多彩さが見て取れる。
ブルージーにスイングするお馴染みのクリマスソング「When the Saints Go Marching in」を聴くと、"あれ、こうだったっけ?"と思われるかもしれない。しかしこの土着性からは、クリスマスというのが必ずしも商業イベントではなく、宗教的な祭事であることをあらためて実感できるのだ。
そして、私が最も心打たれるのは「The Lord's Prayer」だ。これは日本語で「主の祈り」と訳されており、"天にまします我らの父よ、"というお祈りの言葉にメロディをつけたものだ。歌のような朗読のようなこの不思議な演奏は、1956年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでのライブ・パフォーマンスであり、そのドキュメンタリーである映画「真夏の夜のジャズ」のハイライトとして映像化もされている。マヘリアは観衆をなだめるように、静かに厳粛に歌い始めるのだが、やがて闘牛のように肩を振るわせ、ほとばしる霊感で大地を揺るがす。人類は神が創り賜うたものではなく、天体と気象が織りなす生物進化の一幕であることを我々は知っている。しかし、そのアカデミックな確信すらも彼女の前では霧散してゆくようだ。
私はすべての人がマヘリア・ジャクソンを聴くべきと思っているが、彼女の信仰にどこまで共感するかはまた別の話だ。マヘリアを聴けば、限りない感動を得る一方で、神への賛辞と愚かな人間への戒めを嫌と言うほど聞かされることになる。確かに彼女の歌を極限の高みに押し上げたのは、その宗教的信念だったのだろう。しかし、我々は行きすぎた信仰が善良な人間を残忍な殺人鬼にしてしまうのも知っている。いったい宗教が救った人数と殺戮した人数はどちらが多いのか。その歌唱からマヘリアの凄まじいまでの信仰心を目の当たりにすると、いま世界中で起きているの紛争の背後に渦巻く激情を感じずにはいられない。
いずれにせよ、我々はエンターテイメントとしてのゴスペルを楽しみつつも、偏った思想に陥らぬよう十分警戒するべきだろう。