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大善寺玉垂宮

久留米市大善寺町にある「大善寺玉垂宮」
御祭神は、玉垂の命、八幡神、住吉大神です

玉垂宮と鬼夜の由緒

西暦818年、嵯峨天皇の皇子、三池郡司師直により造営され、御船山大善寺として始まる…
毎年、正月には「鬼夜」と呼ばれる祭が行われており、13m、1.2tの大松明を若い男性400名で担ぎ、神殿の周りを2周するとされています
この神事の始まりは、西暦368年に肥前国から来た「ゆすらちんりん」という悪徒を亡したことに由来している
ちんりんが暴れ回っていた為に、藤大臣が指揮をとり征伐したとされる
(束ねた竹槍で水中に逃げたちんりんを炙り出し、出てきた所を首をはねたという… しかもその首を焼き払った)

しかし…300年後にまた鬼火が現れ、ちんりんの怨霊と思い、玉垂宮にお宮を建てそれを封じたという

実際に使う松明の1/5のもの
1900年大祭記念碑
御拝殿

この玉垂宮には、神功皇后の伝承もあり、三韓征伐の際にこの地に船で漂着されたとある…
御祭神の玉垂の命については、はっきりとした人物が特定されていないが、竹内宿禰ではないかと推察する…

般若面の瓦止め
末社 祇園社
末社 恵比須社
産の神 生産の神 授恵の神
幸神社
生目八幡宮

生目八幡宮…「平景清」を祀るとされている


玉垂宮の横に併設する公園には、旧三潴郡、大善寺町の明治期の繁栄の様子が分かる記念碑がありました
明治5年に西洋文化の流れを受け、「宮本洋学校」外国語学校を設立するも、わずか2年で閉鎖となり「宮本高等小学校」へ変わるとされている
当時、最盛期は500名近い生徒がここで学んでいたとあります

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