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旧伊藤伝右衛門邸

筑前国穂波郡大谷村幸袋に伊藤伝六、ヨシの長男として生まれる
幼名は吉五郎
幼少期の伊藤家は貧しく、日々の食事もままならない程の暮らしだった
寺子屋に通うこともなく、丁稚奉公に出ながら父の仕事の手伝いの日々が続いている

伊藤家は父の代から小規模な炭鉱業を興している
筑豊の炭田は、明治22年国の「選定鉱区制」により大規模な炭鉱が作られ、三井、三菱などの大手の資本が進出することになる
その後にできる八幡製鉄所の建設が後押しとなり、炭鉱業は一大産業へと向かうが…

筑豊の炭鉱王と呼ばれた伊藤伝右衛門の時代も、石炭の時代と共に終わりを迎える

現在は、飯塚市の有形文化財として有料で公開されている

今回訪問したタイミングで「いいづか雛まつり」が
開催中!
「粋な江戸の夢話」と題して、伊藤伝右衛門邸では20畳の大広間に座敷雛が並び、江戸の街を彷彿とさせている

表玄関正面
書斎
次之間
貝桶と貝合わせ

貝合わせには、二枚で一つの絵になるように描かれている
トランプの神経衰弱のように、絵柄を合わせて楽しむもの
合わせ貝は「男女の永遠の契りの象徴」として、婚礼道具として用意されたものらしい

知り合いもひとりもいない飯塚に、嫁いできた「柳原白蓮」こと柳原燁子は、華族という華やかな世界から川筋もの上がりの炭鉱王の元へ嫁いだ
伊藤家での伝右衛門の妾との共同生活や、伝右衛門に子供が作れないことなど、ふたりの結婚には障害がありすぎた
この飯塚で過ごした短い年月とは裏腹に、その後におこる「白蓮事件」がふたりの存在を世間に知らしめることになる…

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