東行庵(高杉東行)
天保10年8月20日、萩市に生まれた「高杉晋作」
慶應3年4月14日に、病死するまでの高杉の人生は激しく、短い一生となった。
ここ、「東行庵」は、高杉東行の菩提を弔う為に旧友の、伊藤、山縣、井上馨らにより、創建された。
故、安倍晋三の寄贈とある。
東行の死後、側室の「うの」は尼になり、谷梅処と名乗り墓を守り菩提を弔った。
墓石の高さは61センチ、幅は24センチと小さな墓。
1862年に上海に渡航したのをきっかけに、「攘夷」を決意し、翌年には「奇兵隊」を発足している。
同じ年に、久坂玄瑞らと共に英国公使館に火をつける。
長州藩の正規軍「先鋒隊」との衝突もあり、幕府側からは疎まれていたが、下関戦争の休戦講和交渉の正史として活躍した。
1866年には、幕府との講和が成立し、翌年に幕長戦争は終結する。
明治維新により、外国への外交の扉は開かれたが、国内での反乱により多くの犠牲者が出た事も事実で、こうしたやり方で無ければ新しい時代を築く事が出来なかったのだろうかと考えさせられる。
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