有田民族資料館と泉山磁石場
佐賀の有田焼の歴史は、17世紀に秀吉の「朝鮮出兵」の被虜として、この九州の地に連れてこられた「李参平」が、泉山で陶石を発見したことから始まったといいます
明の滅亡により、中国で作られていた「景徳鎮」の輸出が困難となり、有田焼にスポットが当たることになりました
明治3年、有田を訪れたドイツ人ワグネルの科学知識は、これまで経験のみに頼っていた有田焼に大きな影響を与えた
李朝の技術者から始まった有田焼は、ヨーロッパで白い金と呼ばれ人気となり、貴族社会に繁栄の
証として多く輸出をした