ラジコンにハマったきっかけ

最近というか、私が知る限りここ数年は特に、日本でラジコンがおじさんを中心にかなり流行って来ているようです。
一方、詳しくはわかりませんが、海外では以前から一定のニーズがあったのは確かですが、最近、さらに人気が上昇しているようです。
それが顕著なのが、海外のラジコンメーカーがどんどん新作をリリースしたり、今までないような高性能なものをどんどん新設計してリリースしたりと、各車かなり投資しているようです。

そんな背景から、私もそんな昨今の流れに乗って・・・というわけではなく、偶然、そのタイミングに重なっただけというのが本当のところです。(笑)
私は、コロナ禍になってから人からの勧めでラジコンをはじめたのですが、今はどっぷりハマってしまいました。

もちろん私の年代の男子でラジコンを知らないと言う人は稀だと思います。
私は家庭事情的に子供の頃には、結局のところガッツリとラジコンを楽しむことはできなかったので、実質、2年ほど前までは何も知らない素人だったといって過言では無いと思います。

元々、私の子供時代は、ラジコンが非常に流行っていて、老いも若きもラジコンをやっている感じでした。
当然、同級生の多くも少なくとも1台はラジコンを持っていた時代で、空き地、公園、通りの少ない道路などなど、その辺で子供から大人までラジコンをやっているのを見るのは珍しくなかった時代でした。
学校でも男子はラジコン雑誌やカタログを持ってきて、休み時間にはみんなで見るというほど流行っていました。

ただ、我が家は”子供に金は持たせない!”という強い親のポリシーが徹底施行されており、私がラジコンを買うほどのお金を貯めることは至難の業でした。

そんな家庭環境だったので、子供の頃、周りでラジコンを見かけると、
”いいな~。おれも一台欲しいな~。”
と羨ましく思う一方、毎日、野球、虫取り、その他もろもろ、友達と遊びに行っていたので、すぐにそんなことは忘れて、ラジコンにさほど深く興味を持つこともありませんでした。
逆に、ラジコンをその辺で見かけることが当たり前すぎて見慣れていたこともあったと思います。

初めて身近なところでラジコンが走るのをじっくり見る機会があったのは、たしか小学4年生の頃だったと思います。

小学生4年生になると、私の学校では放課後には、クラスも男女も関係なくやりたい人は誰でもおもむろに参加する形で、30人から40人ほど集まって、ほぼ毎日、校庭でドッジボールをやってから帰るという流れになっていました。

その日もひとしきりドッジボールをやり終えて、ランドセルを置いていた校庭の木の下で帰る用意をしていると、友達4,5人が、その後、みんなでラジコンを持ち寄って近所の公園で走らせようという話をしていました。私も彼らに誘われて一緒に見に行くことになりました。この時、初めてそばで実際の1/10のホビーラジコンを間近で見たり、実際に走行する様子をそばで見ることになりました。また、当時のラジコンなので、5~10分程度しか走行できなかったと思いますが、ラジコンの走行後にみんな集まって、どのラジコンがどうだったとか次はどういうパーツを取り付けたいなどといった雑談をしていて、私もその話に交じってラジコンへの興味が強くなりました。

その時、友達が持ってきたラジコンは、全てタミヤ製のラジコンで、ホーネット、マイティフロッグ、ブラックフット、​ストライカー​、グラスホッパーでした。当時の私は、タイヤのでっかいブラックフットにかなり興味をひかれたのを覚えています。

父親の影響で、少々車に関する知識は子供のころからあったものの、それまで見たことのない飛んでもなく大きいタイヤを履いたトラックがものすごくパワフルに格好良く見えました。
実際、ブラックフットを持っていた友達が、他のラジコンの上を彼のブラックフットで乗りかかって見せたり、少々の段差を大きなタイヤで乗り越えていく様を見て、”迫力があって格好いい!”と思いました。
また、間近で見ると、トイラジコンと違ってかなり迫力があって、自分もラジコン欲しいな~と思ったものです。
とはいえ、当時、私は習い事をいくつかしていたり、友達とスポーツをしに行ったりすることが多く、日々の生活でその興味も少し薄れていました。

次に間近でラジコン走行を見たのは、当時の親友の一人でカーディーラーの息子のI君に誘われて、彼がラジコンを走らせに行くのに付いていった時のことです。
当時、私はスポーツをするのが大好きな子供で、この親友とは本当に気が合いました。カーディーラーの息子だったI君とは、よく自動車レースについての話をしたり、お互いスポーツがかなり得意だったので、何かとスポーツをする時にはライバル視しながらプレーを楽しんだり、その上、性格的にも合ったこともあり、何かと良く一緒に遊んだものです。

そんなある日、そのI君が​当時憧れの的だったタミヤ ホットショットを購入して早速組み立てたので、一緒に走らせに行こうと誘ってきたので、一緒に行くことになりました。

I君のホットショットはイエローで塗装されていて、それが予想外に似合っていて格好良かったです。
また、ホットショットの最大の特徴である、前後一本ずつのショックにもかなり目を惹かれました。
I君も私も自動車に興味があったこともあって、メカには非常に興味があったもので、どういう仕組みで一本のダンパーがサスと連動しているかなど、説明を聞いたものでした。
また、その時、実物のホットショットを見て、なんだかタミヤフラグシップのバギーというオーラ的なものを感じたのを覚えています。(笑)

本人からは、さらにフルボールベアリング仕様でモーターはタミヤ ブラックモーターのスプリントを搭載している聞きました。
当時は確か、ボールベアリングがかなり高価な時代だったし、タミヤのフラグシップ ホットショット、そして、チューンドモーターのブラックモーターを搭載と言うことで、走行前から期待はかなり膨らみました。
また、ブラックモーターのブラックのモータ缶、赤のエンドベル、金色の文字で小さく何か書いてあったかと思いますが、外見にワクワクさせられました。

二人で自転車をこぎながらそんな仕様についての話をしつつ、目的地の空き地に到着しました。

空き地自体はかなり広いのですが、元々、片側1車線の2車線道路の真ん中に大きな用水路が通っており、最終的には用水路の上を蓋して、片側2車線の道路を作るという工事をしている工事現場でした。
ただ、理由はわかりませんでしたが半年以上工事は止まっており、工事現場を囲う柵なそもしっかり無く、工事現場のオレンジの低めのポールがポツンポツンと適当に置かれている程度で、実質、近所の住民はその工事現場を空地として、キャッチボールやラジコンなど自由に使っていました。
また、地面は元々のアスファルトは全面積の半分ぐらい剥がされた状態で放置されている状態でした。

最終的にはそれからかなりの月日が経ってから、工事が再開され、最終的には綺麗な片側2車線の道路になりました。ただ、今から考えれば非常に不思議な道路整備でした。
というのも、その道は大通りにつながっているわけでもなく、住宅街の中の交通量が非常に少ない道路で、距離としても100mも無かったと思います。
なので、工事が終わった後もちょっと違和感がありました。
そこだけ4車線で綺麗になっていたものの、それにつながる道路は全てセンターラインが無い片側一車線で、周りにあるのは民家だけでしたし。(笑

とりあえず、ラジコンをするには十分に広くて、人の邪魔にならない良い場所でした。
なので、一組、二組は先客がいることはままありましたが、その日は誰もいなかったので、”今日は思いっきり走らせられるぞ”とか二人で話ながら走行準備をしました。

実際に走行がはじまると、当時見た他のラジコンたちよりI君のホットショットは圧倒的に速くて、”さすがフラグシップはすごいな!”と思いました。
操縦していた本人も、
”おお!さすがホットショット!レベルが違うわ!”
と興奮していました。(笑)
そんなこんなで、バッテリー2本分ほど彼が走らせた後に、私にも操縦を勧めてきたのですが、当時としては他の初心者向けラジコンと比べても、ホットショットは非常に高価なラジコンだったので、もしものことがあると困るし、見ているだけでも十分楽しかったので私は遠慮しておきました。
すると、彼が引き続き3パック目のバッテリーに入れ替えて走らせることになりました。

3本目のバッテリーに入れ替えて、I君がホットショットを走らせだして間もなく、彼のホットショットが暴走しだしました。
当時は頻繁にあったことですが、電波が混線したらしく、突如、ホットショットが全開ですごいスピードで突っ走っていきました。
プロポを握っていない私は、すぐには暴走していることに気づきませんでした。
ただ、操縦していたI君は、ホットショットが暴走しだして即座にプロポを投げ捨ててホットショットに向かって走り出したので、私も”あれ!?暴走か???”と思いました。

I君はプロポを投げ捨てるや否や、俊足を飛ばして全力でホットショットめがけて走っていき、最後はラグビーのトライのような態勢で、ホットショットに飛びついて抱きしめた後、しばらく起き上がらずに放心状態でした。
私もすぐに彼がトライした現場に駆け寄ったところ、I君はぜいぜい肩で息をきりながら、”・・・あ、あぶなかった・・・”とつぶやきました。(笑)
大きな用水路にホットショットが飛び込む1mほど前のギリギリで暴走を阻止したところでした。

この件で、速いラジコンの魅力を知ると同時に、暴走した時の怖さを知りました。(笑)高額投資が一瞬で無くなるような怖さというか・・・。(笑)
と同時に、スポーツ仲間でもあるその親友の反射神経と運動神経の良さに、内心あらためて”さすがおれの親友・・・”と全く関係の無い感動もしたのを覚えています。(笑)

恐怖は時と共に薄れるのが人間だと思うのですが、恐怖が抜けると良い思い出しか残らないので、私もとうとう一念発起して、それまでの人生でコツコツ貯めてきた貯金をはたいて一台買うことにしました。

私は当時から自動車に興味があったことも関係して、”金属部品を多用したラジコン=より実際の自動車に近くて性能が高い”といったイメージを個人的に持っていました。
金属部品を多用していたと言えば京商というイメージがあったので、京商のラジコンが欲しいと思っていました。許されるなら、当時、タミヤ ホットショットと並び、憧れの的だった、京商 オプティマが欲しいと思っていました。
ただ、京商製品は金属部品が多かったせいか、これまた高価だったと記憶しています。言い方を変えれば、大人のラジコンといいますか・・・。(笑)
子供はなかなか手が出なかったといいますか・・・。
まあ、私の当時の全財産をはたいたところでオプティマには手が届きませんでした。

なんとかならないか試案していたそんな時に、確か本家オプティマの廉価版としてリリースされたと思うのですが、グッとお求め安くなったのがオプティマプロという情報を雑誌で知りました。
ふと気づいたのですが、当時の私はラジコンを持っていなかったのに、ラジコン雑誌は持っているのは、今思うとちょっと面白いですね。(笑)

オプティマプロは、モーターガードが無いとか少々いくつかのパーツを省いたレベルで、本家とさほど大差無かったにも関わらず、本家との値段差がけっこうあったことを記憶しています。
逆に当時画期的だったアンダーカウルが付いているということで、子供ながらに”これはダウンフォースが発生するんじゃないか?”などと購入前からワクワクしたのを覚えています。
まあ、そんな効果も生むはずもありませんが。(笑)

とりあえず、当時の私に”手が出る京商ラジコンはこれしかないし、今しかない!”と思い、急いで模型屋さんに予約しました。
商品を受け取りに行った日は興奮が止まらなかったのを覚えています。(笑)

組み立てに関しては、当時小学生5年生の私にはかなり難しかったのを覚えています。
結構、物作りが好きで手先が器用なほうでしたが、それでも小学生の私には結構大変でした。
ちょいちょいネジのサイズを間違えながら、”チッ!どれが正解のネジだよ!”と適切なネジ探しに苦労しながら組み立てたのを覚えています。

また、予算が非常にタイトなのにも関わらず、模型屋さんのおじさんに、
”このモーターは30000回転をゆうに超える最速モーターだぞ。
そうそう出てくるものでもないから無理してでも買ってけ。”
とビジネストークに煽られて、
"ええ!?30000回転???そんなのF1エンジンでも回らないぞ・・・
まさにスペシャルモーターだな・・・"
と興奮を抑えきれず、京商 SPA 240WSというモーターを購入しました。
まだ速いラジコンを操作するスキルも無かったのは言うまでもないのですが。(笑)

実際に当時最速かどうかはわからないのですが、相当速かったのは確かでした。
ただ、実際に走らせに行くと、当時の小容量ニッカドバッテリーでは2分半持てばいい方だったか・・・3分持ちませんでした。
非常にタイトな私の予算ではバッテリーを2本買うなどできなかったので、実質、一日に可能な走行時間はその2分~3分に限られていました。(笑)

その後、2、3度ぐらいだったと思いますが、私のオプティマプロを友達と走らせに行ったのですが、2分半しか走行できないと思うと走行時間を一秒も無駄にできないという強いプレッシャーから、走行を楽しむことができず、正直、楽しくなかったです。(笑)
ただ、その怒涛のスピードに”うおおお!"と感動したらバッテリー切れる感じでした。
だいたい、その後は、友達が走行しているのを眺めている感じでした。(笑)

その後、家の前の道路で走行中にアンプから煙が出て故障してしまい、アンプを再度購入する貯金も無く、そのままラジコンとはお別れでした。
その時、親からは、私が一念発起して貯金を叩いて手に入れたラジコンだということはわかるし、壊れた部品など親からすると大した金額でもないけど、ここで親がお金を出して部品を買ってあげると私が良い大人に育たないなどと、論理的にさっぱり意味が分からないことを言われたのを覚えています。(笑)
だいたい友達も何かと親から似たようなことを言われたらしいですし、流行りだったのかもしれませんが。(笑)

ここまで長々そのころの出来事を混ぜて長々と書いたものの、実際にラジコンと触れた時間というのはかなり短いものでしたが、その後はラジコンとは無縁の人生を過ごしていました。
なので、正直なところ、私の周りの友達や大人たちよりラジコンに触れた時間はかなり短いと思います。
その後、21歳で車を買って間もなく、車にどっぷりとハマり、一時期は自分で整備・チューニングを含む商売をしたり、とあるショップやメーカーから仕事のお声がけをいただいたほど自他共に認める車好きでした。
今でも車は好きで好きで仕方がないというか興味は尽きませんが・・・。

ラジコンと再度接点ができたのは2年ほど前の話になります。
コロナ禍になって仕事がリモートワークとなり、外を出歩くのはあまりよくないという風潮になったことや、リモートワークになって仕事の切れ目が曖昧になってしまい、結果的に、以前より長時間労働を余儀なくされるようになり、家からおいそれと遠くへ離れにくくなってしまいました。
そういう経緯から、車で遠出して走りに行ったり、長時間の整備をすることが難しくなってしまいました。

仕事のストレスは溜まる上に車に触れられないストレスが蓄積していた時に、車に興味がある同僚がラジコンを薦めてきました。
今のラジコンは昔のラジコンとは違ってかなり進歩しており、バカにできないし、車好きならハマるはずだからとりあえずやってみれば?とのことでした。
彼も最近知り合いに薦められて、やってみると彼が思っていたよりかなり進歩していて猛烈に速くできるしハマってしまったとのことでした。

そんな彼の幾度とない薦めの後、ちょっとかじってみることにしました。
非常に仲の良い同僚だったのですが、友達とはやはりちょっと違って仕事上の関係もあるので、それなりに話のネタの為に薦められたことはちょっとやってみるという流れになるのは私だけではないかとは思います。

そういう経緯だったので、ちょっとだけやってみて、
”最近、ラジコンやりはじめましたよ~。
いや~、結構楽しいですよね~。
ただ私の場合、やっぱり自動車に大枚を投資しちゃってるからね~。ハハハ~”
といった感じの流れにもっていくか・・・思っていました。
要は、全く期待せずにあるラジコンを購入しました。

ラジコンの知識はすでに皆無というか元々あまり無いことや、その同僚の言う通り、メカ的に進歩していることもあるのかと思いますが、何をどうしたらいいのか、どういうものを選べば良いのか全くわからず、とりあえずWebで適当に激安なものを探していました。

拘りは一つで1/10スケールのものを買うということだけで、その括りで探していたところ、当時偶然、在庫処分品か何かそんなような理由だった思いますが、​​京商 NeXXt​​のフルセットが5000円台で売られていました。
お店のサイトに載っていた小さな写真を見た時の最初の印象はチンケだなー・・・って思ったのですが、頭の片隅に”京商=信頼性が高い”というイメージがかすかにあり、また、付き合いの一環だしこの程度でいいだろ・・・という気持ちでとりあえず購入しました。
ただ、実物が手元に届いてみると思った以上にしっかりと作られたもので、なんだかちょっとうれしくなったのを覚えています。

ここから、わからないことは何かとWebで調べつつ、しばらくするとラジコンの操作にも慣れていきました。
NeXXtがビギナー向けラジコンだったこともあり、もともとの走りっぷりは言うまでもなく性能を求めたものではありませんでした。

私がラジコンの操作に慣れるにつれて、NeXXtの走りに不満がでてくると、その都度、それをどうチューニングして改善するかなど考えつつ、少しずつチューニングしていくことで自分の思う通りに走ってくれるとちょっと楽しくなりました。
こんなことを何度か繰り返していくうちに、気づけばラジコンにハマっていました。

このハマっていく過程は、自動車にハマった流れと大きくは変わらないなとは思いました。(笑)


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