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『信号点滅小走り』
20240202
街中で、信号が点滅し始めて小走りをしている人を見ると、全力疾走ではないものの「あの人、走ってるな~」と思う。
歩きの速度を少し上げるためだけの、ただこの信号を渡るためだけの、目的地にたどり着くまでの微調整の小走りといった感じが、全力疾走とは違う躍動感を生み出している。
妙にダイナミックに見えるのはなぜだろう。
足を高く上げているわけでもなく、腕を全力で振っているわけでもないのに、信号を渡るためだけのダッシュは、「走ってるな~」と思う。
ただ、同じ場面での僕は絶対に信号を渡らない。点滅しているからといった理由で小走りして横断歩道を渡ろうとする行為をダサいと思っている。
常に余裕のある大人でありたいという気持ちもあるのだが、単純に走っている時の周囲の目が気になるという理由も挙げられる。街で走っている大人は周囲から滑稽に見えるだろう。
また、信号が点滅して小走りしていた人が、横断歩道を渡りきって「走り」から「歩き」になる瞬間がある。
あの時の「走り」から「歩き」に移行するグラデーションの感じも恥ずかしい。
例えば、横断歩道を小走りで渡りきってから歩いている姿を、向こうの角から曲がってきた人に見られたとしたら、その人はきっとなぜこの人は歩いているだけなのに息が上がっているのだろうと思うに違いない。見た側のその人の勘がよかった場合、「ああ、わかった、なるほど。この人はこの信号をギリギリで渡ってきた人なんだ」と気づいてしまうかもしれない。
もし、自分がどうしても約束の時間に間に合いそうになく、信号が点滅している時に小走りで渡る必要がある場合、もう思い切って「いや、自分あれですよ、普段から常にジョギングで移動してるんですよ、何なら普通に点滅してない青でも走ってますよ」という顔をして、横断歩道を小走りで渡り切った後も、そのままジョギングし続けるという方法を取ればよいと考えている。
そうすれば、この人は急いでいるから走っているのではなく、走ることそれ自体が目的の人なんだと周りに思い込ませることができる。
しかし、この場合でも、「走り」から「歩き」に移行する瞬間は見られてはならない。もしその瞬間を見られてしまうと、「この人、急いでいっぱい走って、いまちょうどこのタイミングでスタミナが切れたんだ」と思われてしまうからだ。
「走ってました」が明らかであることは、「走ってるな~」と思われることと同じくらい恥ずかしい。
やはり、こんなことにならないためにも、常に一定のペースで歩き続けて移動を終えたい。
そうして乗りたい電車に間に合わず、約束の時間に遅れたとしたら、その時だけ「走ってきました顔」で乗り切ろう。