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『ちゃんとできたほうが恥ずかしいとき』

20241013


 「お前は人生棒読みなんだからさ」

 
 意味の通ってないよくわからない日本語を吹っ掛けられた。

この言葉を真に受けて落ち込んでいるわけではない。なぜなら、その人とはまだ会って1年くらいしか経っていないし、愛情表現の裏返しだと信じたいからだ。

 
 これを言われて、自分のこれまでの人生で棒読みだった瞬間はどんな時があったか思い返してみた。

「棒読み」ということは何か台詞を与えられたときに起きる現象のはずだから、学校の国語の授業で物語文を読むときや、劇で何か役を演じるときに発生する。

一つだけ思い当たる節があった。

 
 それは中学の英語の授業で、自分一人だけが教科書の英文を音読させられる瞬間だ。

 英語の発音なんて良いに越したことは無いのだが、僕は発音が良すぎるほかの同級生を少し疑っていた。「r」や「l」の発音の仕方を先生は教えてくれていたが、それを露骨に実践しようとしている友達を見て、僕は狙ってるなあとかやりすぎでしょ、と思っていた。そのため、自分が英文を読む時には、良すぎない発音を心がけた。

 もちろん、アメリカで暮らしたことがあるわけでもない自分は英語の発音など全くうまくないのだが、僕は発音を正しくやろうとし過ぎて「r」や「l」の舌を巻くあれを強調している人にはなりたくなかった。

英文を読むときだけは、感情のこもっていないただの棒読みだった。

なんとなくそれっぽく発音して、無難に自分の番を切り抜けることだけを考えていた。勝手に気にしすぎていただけかもしれないが、発音がちゃんとできているほうが恥ずかしいと思い込んでいた。

 常に周りの目を気にして日々の生活を送り、常に自意識に翻弄されていた中学時代であったことは間違いない。
 
 当時、英文を棒読みで読んでいた自分が、将来「お前は人生棒読みなんだからさ」と人生そのものが棒読みだと宣言される日がくるなんて思ってもみなかった。

自分では棒読みのつもりでなくても、周りの人にはそういうふうに聞こえてしまっていることもあるのかもしれない。

 そうだとしたら、誰か早く指摘してほしい。


もう今はちゃんとできたほうがかっこいいと思っている時期だから。



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