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『とうもろこし』

20240728


 電車の優先席に近いドアのところに立っていると、香ばしいにおいが鼻をついた。
 
後ろを振り返ると、そこには優先席に座った一人のおばあさんが、ビニール袋から取り出したとうもろこしを手できれいに一粒一粒むしりながら静かに食べていた。

とうもろこしを久しぶりに見たなとか、優先席だからって何をしてもいいわけではないのではとか、思うところは一気に7個くらい頭を駆け巡ったが、僕の頭に残ったのは、「肥沃(ひよく)な三日月地帯」という言葉だった。


 
 この言葉は、高校時代に世界史を習う際に出てくる言葉であり、古代オリエント史において、中央アジア周辺のあたりに豊かな土壌ができて、そこで文明が栄えたみたいな話だったと記憶している。

しかし、とうもろこしを優先席で食べるおばあさんと「肥沃な三日月地帯」は何ら関係のない言葉だ。
 
 
 
「肥沃な三日月地帯」という言葉は、世界史の授業で初めて目にした時から、なんとなくずっと自分の頭から離れない。どこかのタイミングで思い出すというより、ただ自分はその言葉を知っているだけであり、深く説明できるわけでもない。

それなのに、言葉そのものとしての印象が強烈だった。

 
 まず、「肥沃」は読み方が難しい。「肥沃」の読みが「ひよく」であることを知った時、より一層自分の頭から離れなくなった。さらに、三日月地帯がどのような場所なのか全くイメージできない。当時の世界史の教科書で詳しく調べればわかるのだろうけれど、三日月地帯の意味を知ったとしても、この言葉は僕の頭からより離れなくなるだろう。


 
なぜ、優先席でとうもろこしを手でむしって食べるおばあさんを見て「肥沃な三日月地帯」という言葉を思い出したのか。

 
僕の勝手な自分への推測だが、おそらく、
おばあさんが食べていたとうもろこしの穀物感と肥沃という言葉がどこかで結びついたか、

または優先席というイメージと肥沃がリンクする部分があったのか、

とうもろこしという作物と肥沃な三日月地帯という豊かな土壌感がつながったのか、

とうもろこしの形が三日月のような形だったのか、いや、これはさすがに違う可能性が高い。

自分でもよくわからないと言いつつ、電車で見た状況とこの言葉のつながりが完全に理解できないというわけでもない。
 
 直接的ではなくとも、何か細くて薄い糸のようなものでつながっているような気もするのだ。
 
 
 「肥沃な三日月地帯」という言葉が徐々に自分の頭から離れかけたとき、僕は電車を降りた。おばあさんが食べていたとうもろこしも終盤で、きれいな裸のとうもろこしが完成間近だった。



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