『恥』
20230521
私が尊敬してやまない又吉直樹さんは、よく「恥」という言葉を様々な場面で使われている。そこで、自分のこれまでの人生で最も古い記憶にある「恥」について思い出しつつ、考えてみようと思う。
これまでの人生で、最も初めに感じた「恥」の記憶は小学校低学年の頃の話だ。私は小学校一年から高校三年までずっとサッカーをやってきたのだが、小学生の時は地元のチームに入っていた。
小学一年生の夏ごろ、ちょうど同じ小学校に転校してきた市川君が同じサッカーチームにもやってきた。彼はサッカーを習い始めたばかりで、当時の自分は市川君に学校のことやサッカーのことを色々と教えてあげようという優しさをもって毎日接していた。市川君は、サッカー初心者にはよくあることだが、ボールを蹴る際に足の内側や甲ではなく、つま先を使うトーキックを連発していた。つま先でボールを蹴ることはボールのコントロールが難しく、よいとされていないことを僕たちはすでにコーチから教わっていたため、チームの皆は市川君に注意しようとしたが、あろうことか彼がつま先で蹴っ飛ばしたボールは、当時マンチェスターユナイテッドで背番号7を背負い、大活躍していたクリスティアーノロナウドしか蹴れないと噂されていた、『ボールが全く回転しないブレ球』となりゴールネットを何度も揺らしていた(クリロナは当然ながらつま先ではなく、くるぶしのあたりを使う技ありのテクニックで蹴っていた)。正確無比かつ頻繁に蹴り込まれる様子を何度も見ていた僕たちは、小学一年にしてクリロナばりの『ブレ球』を蹴れるやつがチームに来たと全員が大興奮していた。
しかし、そのキックには弱点があった。シュート以外の場面では全く使えないことだ。もし試合中にトーキックで味方にパスをしようとすると、味方に色々なことを考えさせることになってしまう。
こ、こ、こいつは本当に味方なのか、味方だとしたらなぜトーキックなのだ、トラップが難しいのに。昨日何か彼にいじわるしたか、たしかサッカーで遊んでいるときに、いまだに靴紐ではなくマジックテープタイプのシューズを履いていることを少しばかにしたかもしれない、それか彼がサッカーではなく野球をして遊んでいたことがなんとなく嫌で、自分がまるでサッカーの神様の使いになったかのごとく野球に対抗するため「お前野球のほうが好きなのか?サッカーやらないのか?」と聞き取りをしたことが影響しているかもしれない。いや、彼は「どっちも普通に好き」とかいう嫌いではないことだけがわかる返事を、バッターボックスにゆっくり向かいながら言っていたはずだ。それ以外は特に心当たりはない。いや、待てよ、もしかしたら彼は僕に対して、どんなに雑なパスでも正確にトラップしてくれるという絶大な信頼を寄せているのかもしれない。いや、彼とはまだそこまでの信頼は築けていないはすだ。なぜだ、なぜトーキックなのだ。
サッカーの試合中にこんなことを考えている暇はないため、味方に向かってトーキックをかますことは得策ではない。
そんなトーキックの市川君と、ペアを組んでロングパスを蹴りあっている際のコーチの一言で、僕は初めて恥を自覚することになる。