闘病生活35年+ガン治療
21日は病院にてガン手術1年後検査ですレントゲン血液検査色々と検査が有ります飲食はしては成りませんのである今から
考えること心配です再手術になるかも?7月検査後先生から注意事項がありましたその時の事についてサインして下さいとの事でサインしてありますまだまだいっぱい、私の内臓は幼い時から疾患だらけ自分は思う
肺心臓部は少し走る針で心臓部刺す痛み苦しくて休憩
しばらくしないと動けない社会人になって、走る事出来ませんが、他人両親さえにも話していませんが、会社のトイレで倒れた気がついた時は額から出血し顔は血だらけ🩸恥ずかしいので顔洗ったその後またしても実家に帰って台所で倒れるこのときはオシコを漏らしたパンツは🩳びしょびしょまた母親いたので、恥ずかしい直ぐ様別室では着替える誰にも言えない内向的な人間であった家は貧しく幼い時は母親は入院していた
兄弟下の妹生まれてから入院した私はまだ七歳です母親の里から祖母が泊まりがけでお手伝いに来て居ましたが、当時それそれは、大変今では、施設が有りますが、当時全部家庭で解決していた中々色々とあったが、そんなこんなで自分は内向的な人間になった時代がそうであた、仕方がありません
今なら生活保護なんて、あります当時とは社会的に制度役割り仕事などなど内容も変わり
食べ物なんか家庭でつくつて食べた
外食産業なんてありません都会は食堂はあったと思う少し横道それましたが、会社退社して次の会社では遼がありません此処も都会一般家庭で部屋はたくさんありました学生さんに部屋貸している
部屋5千圓で借り入居させてもらった仕事から部屋に帰り当時は布団着替えだけの生活ですそんな折何故か
背中が痛み苦しくてこれて何だ
仰向けで布団をかぶって寝ることなく一年間ぐらいは座る姿勢で寝ましたー恥ずかしいやらで何にも言えません当時青春時代結婚話もありました恋愛もしましたが自分だけの心に秘めた身体の欠陥が有るのは自分しかわかりませんだから恋愛したが相手の親御さんが会いに来ましたが、自分の方から身を引いた又次の結婚話も積極的では有りません相手をデイトに誘うなんてありません結婚後の事を考えたら
相手を不幸してしまうと思うから
勇気とかの問題では有りませんですから自分で失脚するしかありません
今思えばその時に
私はすでに自然界からは見放され孤立しての心が、揺らいで情け無い人生だたその後ヤケクソ人生まだまだとは思うたが時は遅い色々困難有り優越感は少々ありました人生設計などは全く無く
持ってなかったそれも身体が不調でいたからだ
誰にも言えない心
恥ずかしい差を感じる自分なんで自分が此処いるのか
物心ついた時に思った、最後まで罪滅ぼしの為に生かして欲しい中身は省略して早足で書きました身体だるくなりますこの辺
ありがとうございます