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舌の根のエバーグリーン

 そのとき、私は力について考えていた。
 十数年来のその友人は、黒塗りのベンツを乗り回し、よく知った曲を全開の窓から大音量で垂れ流しながら、神奈川県S駅のロータリーに現れた。運転席を覗くと、彼は片手をハンドルに添えて首を傾げながら、ニヤニヤと愉快そうに笑っていた。高校卒業後にも連絡を取り合う数少ない友人の1人ではあったが、顔を合わせるのは3年ぶりくらいだった。ベンツは、親の庇護のもと5浪し、私立医学部入学祝いに買い与えられたものだと前に話していたのを思い出した。彼は未だアルバイトもしたことがなかった。
「車から爆音で流れとお曲って大体ダサいのに、ええ歌流れとったから見てもうた。そしたらお前やったわ。」音量は下げられることなく、私は助手席に座り大きな声で言う。車が荒々しい急加速で発進する。カーステレオは私達の地元、神戸の言葉のグルーヴでフロウしている。ネガなことは言っとれんで、ちょけんねん、と。彼はリズムに首を振り、明るい茶色に染め上げられた髪が揺れる。彼にしては控えめなピアスが見え隠れする。
「ええやろ、それよりやっぱよっちゃんがここおんの変な感じするわ。よう来たなこんなとこまで。」含み笑いのような締まりのない笑顔には、受け取り手に余計な意図を感じさせる作用がある。しかし今日の私に向けたこの笑顔には言葉通り違和感と歓迎だけが込められていて、それ以外に混ざり物はない。それなりに長い付き合いの中で自然と分かるようになった。
「思ってたより栄えてんなあ、このへん。ええとこやん。」
「せやろ。飯は肉で言うとったけどジンギスカンでええか、旨いとこ知ってんねん。来てくれてんから御馳走すんで。」

 彼は中学時代からの悪友だった。ニヤニヤとした笑みにある浅薄さは、持ち上げるようにする片口角の動きと、重そうな一重瞼で作る三白眼による印象の問題以上に、彼のパーソナリティが大きく関わっていた。
 出会い以来、彼は今日まで過度に俗っぽい態度を貫いている。彼にそのパーソナリティの由来をいつか訊ねたことがあったが、母子家庭で育った父親に依るものだと言い張った。旅館で幼少期の彼とその兄が館内の廊下で立小便をしていると、それを他の客に見つかり叱られたことがあった。その時に叱られている息子たちを見て父親がその客に、ワシ医者やねん、お前ワシより偉いんか、この子ら医者の息子やねん、お前ワシの子より偉いんか、と怒鳴り返したことがあったのだと彼は説明した。男の子は男親を見て育つが、躾けられた経験のない父親を見て自分も同じように育ってしまったという理屈だった。納得できる部分もあったが、私は彼の境遇に依るものもあるのではないかと、考えていた。不良の多い地元で交友関係を広げながら、苦労を知らないボンボンの多い私立の中高一貫校に通った。その境界で彼は10代の大半を過ごしアイデンティティを育んだ。その2つの世界の間にあるギャップは、その目に優越感と劣等感を色濃く映るように演出したのではないかと、近くにいて思っていた。
 彼は当時から物知りで、話術にも長けていた。特に面白いものを探り当てる嗅覚に優れていて、まだ有名ではなかったネットのコピペやマイナーなラジオの小話を発掘しては、同級生相手に自身の体験のように話していた。それは、地元で舐められないための彼の処世術でもあった。クラスで話すエピソードのレパートリーには自身のものもあったのだが、借り物にも遜色なく刺激に満ちていて面白かった。地元の友人が恋人のイニシャルを墨汁とまち針で肩に彫る話と、不良2人が立会人を付けたタイマンを設定したにも関わらずたった2.3発の肩パンで勝敗を決めた話が私は好きだった。彼ほどの嗅覚はなかったが、私自身も刺激的なものに飢えていて、彼の話のひとつをネットからの転用であることを見抜いてしまった。だからといって皆の前で告発するようなことはしなかったし、告発を受けても彼は悪びれることも話を辞めることもなかっただろうと思う。その時からかその少し前くらいから、私と彼は仲良くなった。一種の秘密の共有をしていたのかもしれないが、秘密の共有などなくとも私達は遅かれ早かれ意気投合していただろうと思う。境遇や性格は似ても似つかなかったが、私はいつも閉塞的な気分に苛まれていて、彼の好む刺激を私も好むようになったからだった。彼とは、映画やお笑い、その他の娯楽を持ち寄り合うようになった。中でも夢中で漁ったのが漫画と音楽だった。山本英夫や新井英樹の描く世界は今までに触れたどんなものとも違っていた。音楽も同じだった。初めて出向いた三宮のクラブもフーディを被った大の男たちが重低音に体を揺らしていて、まるで未知の世界だった。煙草で白みがかった小さなフロアで一夜を明かすと鼻糞まで真っ黒になる。所詮は子供の夜遊びだったが、その時はその発見すら楽しかった。

 一時停止の標識や踏切前では律義に必ず一時停止し、都度急発進で動き出し目的地へ向かった。ちょっとまっててな、と道中にハンズフリーで通話し、駐車場の有無を確認し予約を取ってくれた。ジンギスカン店までの道中も、神戸のラッパーの曲を流していた。安らぎをもたらすような発声で、伊川谷、新神戸、大蔵海岸、明石大橋と地元の地名をライミングしていく。
 カーステレオの声の主は小林勝行といって、前述した通り神戸に根差し活動しているラッパーだった。神戸の中でもアウトローな出自を持ち、スリリングで臨場感のある情景描写と、ストレートな激励のメッセージを話し言葉のままラップするのが特徴的だった。一時、神戸のシーンを全国に知らしめる立役者となるのだが、躁鬱病が悪化して精神科病院に入院することになる。幸い現在は躁鬱病も寛解しており、介護職の傍らでラップを続けている。彼のキーワードのひとつに、1stアルバムのジャケットにも採用されている蓮の花というのがある。泥中花。それが彼のスタイルを表したものの中で最も相応しいものだろう。街のチンピラが詩に目覚め音楽に向き合うストーリーも、監視カメラしかない真っ白な隔離室から、自分を見つめ直し紙とペンを取り戻そうとするストーリーも、美しく花開く泥中花を連想させる。
「かっつんの歌ってさ、鬱っぽい時に聴くと支えんなんねん、ちょけんねんってあるやろ、俺の好きな上ネタのビートやねんけど、それにドンピシャで乗せんねん、ネガなことは言ってれんでってホンマやで、そういう時こそちょけんねん、泥から芽ぇ出す蓮の花ってのもええよ、ほら俺さいろいろ、まあええわ、なんかなぁ、救われてん。」彼は感傷的な話題を口にするとき、ある種の照れ隠しで過剰な言葉を使用する傾向にあった。言い淀んだのも使用すべき過剰な言葉が見つからなかったのだろうと思った。
 ジンギスカンまでの往路では、彼の小林勝行への思いを聞いていた。俺は助手席の窓から外を眺めながら相槌を打ち、蓮の花について考えていた。蓮の花、泥濘んだ土壌のような逆境からも返り咲く花、汚れに塗れた浮世に産まれながら清らかに開く花、そんな意味が込められているのは重々承知の上で、俺には栄養を潤沢に蓄えた土壌から花を咲かせるというのは当然の摂理で、むしろ羨望の対象だと高校当時から思っていた。自身の無菌的とも言えてしまうような環境での見かけの成長に疑問を持ち始めていたのかもしれない。そしてその羨望は当時の教室で彼に向けていた感情にも確かに混じっていた。彼はあのとき、俺の知る限りで唯一泥に根を張った芽だった。親の庇護のもと生活する人間の土壌を泥と言うべきかは分からないが、その羨望は敬意へと形を変えて未だ私の視線の中に残っていた。
「そういやさ、そのジンギスカン屋って旨い言うてたけどホンマに行ったことあんの?」
「へへ、初めて行く。」

 ジンギスカンを平らげ、ボウリングをして、スーパー銭湯に行った。ジンギスカンは、タレ焼きどころか塩胡椒すらなく提供された。幾つかの部位を2人前ずつ注文したが全て旨かった。下処理で臭みを消すようなことをしておらず、強烈な獣の風味を残していた。ボウリングでは、お互いにスコアは100前後だった。彼の所属するゴルフサークルで2週間後にボウリング大会が開かれるとのことで投げ方に試行錯誤を重ねながらゲームを進めた。しかし、あまりスコアが伸びることはなく、ボウリングの綺麗なフォームってどっか痛いよな、せやな、と隣のレーンにも聞こえるくらいの悪態を吐きながら退店した。銭湯では、彼は自前のサウナハットを被って階段状になっているサウナ室の最上段を陣取り、前の男の油ぎった首筋の玉の汗が滑り落ちていくのを眺めていた。俺はというと堪え性がなく、整う準備がなされる前にサウナを出て外気浴と露天風呂を楽しんでいた。彼はその一連で、とめどなく彼女と3人のセックスフレンドの話をしていた。高校の時に福原の風俗を覚えたときと同じ熱量だった。
 脱衣場で彼は左の脹脛の内側に貼られている4センチ四方のテープを剥がし、タトゥーを露わにした。小林勝行の1stアルバムのジャケット、蓮の花だった。いつかタトゥーを彫りたいと言っていたのを思い出し、大きなリアクションで驚くようなことはしなかった。彼は右膝に左足を乗せて背中を丸めている。俺はすぐ隣に立ち、2人して肌色に映えた黒い花を眺めていた。それって、と言いかけると彼は、そうやねん、と話し始めた。
「そうやねん、蓮の花や、俺やぁ、浪人時代ホンマにキツかってん、暗黒期言うかなぁ、このアルバムやないけどかっつんにえらい救われてなぁ、医学部受かってな、自分のこと泥中花やな、やっと花咲いたな思てん、5浪させて貰えるような恵まれた環境にあって何言うとんねん思うか分からんけどな。」彼は下を向いていて表情は見えなかった。しかし、丸まった背の白い皮膚に、春の日差しが作る木漏れ日のような斑ら模様が一瞬浮かんだような気がした。淡い赤だった。ええんちゃう、と思ったままに伝えた。

 彼の家は綺麗に整頓されていた。彼女が定期的に出入りし掃除をしてくれているらしい。青のクレヨンで、まゆのいえ、と書かれたA3サイズの色紙が画鋲でテレビの斜め上に貼られていた。まゆという女の献身と意地らしいマーキングはこの部屋を構成する一要素となっているのにも関わらず、その呑気さ故か少しだけ神経に障った。復路の道中で買い込んだつまみや菓子を広げて、韓国のノワール映画を見た。人が死ぬ映画が見たい、という彼の希望に沿ったチョイスだった。画面の中の韓国は、大都市は先進国に負けないくらいに街が整備されているのに、少し郊外に出ると全く雑多で前時代的だった。私達は2人してその荒い街とそれに似合うバイオレンスにしばらく没頭した。
 エンドロールが中盤に差し掛かり余韻が少しずつ薄れ始めたときに、俺さあ、と彼はHIPHOPフェスに行った話をおもむろに始めた。
「俺さあ、こないだPOP YOURS行ってきてん、Jin Doggが見たくてな、まあ錚々たるメンツやねん、BAD HOPとかも居ったけどJJJとかも居ってさ、そのライブの合間にニューカマーライブっていう勢いある無名の若手のライブをやっててな、みんな大体酒買いに行ったり物販行ったりで席外すねんけど、そういう無名の奴らでもちらほら一定数の客は残ってライブ見てんねん、カッコいいこともないし曲もダサいねん、でもそういうやつら見てええなと思ってもうてん、男なら死ぬまでに1回くらいはチヤホヤされたいっていうかさ。」
「フェイムやな、泡とフェイムは溶けてく掟。」高校時代に一度芸人になろうと話し、それを卒業の数年後に蒸し返したことがあった。その時は浪人も嵩み後に引けないという現実的な理由で断られた。そのことをふと思い出した。
「そう、そのフェイムでええから欲しいねん、最短距離は一発バズるPV作って、Awichあたりに見つけてもらって曲作ることや思うねん。」
「確かにそうかもな、ルーツは沖縄なんですとか適当なこと言うて。」
「いやほんまそうやねん、米軍の捨て子って設定にしよかな思て、詳しいことは小さいときのことやから覚えてないってことにして。」
 じゃあ久しぶりにラップしてみろよ、と適当なトラックを流し、フリースタイルをした。私は大学時代や初めての勤め先でのことを、彼は泥水を啜ったという浪人時代のことをラップした。俺は中学の時、学校の連中じゃなく地元の仲間とつるんだ。学校の連中は根暗で面白くなさそうだったからだ。中3にはサッカー部もクビになり孤立して、もっと地元の奴らとつるむようになった。そんな時にコイツらとも仲良くやろうと初めて思えたのはお前だった。そこから出来た仲間、それも5年の浪人生活で居なくなった。本当は俺の方から距離を置いた。嫉妬や劣等感だ。いま振り返るとちっぽけだった。いま誰かに伝えたいことなんて特にない。そういうようなことを彼は吐き出した。
 気付けば外が明るんでいた。俺には無理だと悟った、周りの人を笑顔にしようと思った、と締めて、おもむろに洗面台に立ちリステリンで口を漱いで照明を落とした。閉じられたカーテンの繊維を縫って、この部屋の底にも僅かに忌まわしい陽の光が入ってきていた。私は目を閉じたが眠れず、瞼の裏で明滅するように姿を変える斑ら模様の形を見て既視感を覚えた。銭湯の脱衣室で彼の背に浮かんだ淡い赤と同じだったのだ。彼の背に浮かんだ表情と同じ斑ら模様は、押しつぶされるようにその範囲を瞼の裏で広げた。視界を覆えば覆うほど、私は何かから逸脱したくなった。何かというのは彼の背に浮かんだものと同じ、卑屈な赤ではない。そういえば最近文章を書き始めたんだ、と言おうと目を開くと彼が深い寝息を吐いていることに気付いた。まゆ、という青い字がスポットライトのようにちょうど朝の光にくり抜かれていた。それからほどなく私も眠りについた。私達はそれぞれ何処かで、人は在るがままでなんていられないことを学んでいたのかもしれない。

 それから1か月後にも顔を合わせる機会があった。髪色が紫になっていて、何故かと問うと彼はトランクスになってみたかったのだと答えた。
「そういえばさ、もう1個増やしてん。」とその日の帰りがけに、同じ足の脹脛に逆さにした愛という文字のタトゥーを見せてくれた。色んな人の愛を受けてここまで来たってことを足元を見た時にすぐに思い出せるように、との理由だった。なるほどな、とは答えたものの、なぜ脹脛なのかよく分からなかった。なんか1個入れたらハードル下がってん、と笑いながら言った。ええんちゃう、と思ったままに伝えた。

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