【エッセイ】ヒトカラで号泣した話
初めてヒトカラ(1人カラオケ)に行ってきました。持ち時間は2時間、持ち込みokなとこだったので、温かい緑茶をマイボトルに詰めて。(次回からは冷たいのにします。喉の負担過多)
表題の通り、号泣してしまいました。
ある歌詞に心を射貫かれたからです。
歌唱ラインナップは中高生時代流行って好きだった歌ばかり。連続で歌うのは喉がきついので、低音で歌えないけど好きな歌手のPVを挟みつつ。
さて。
若いときは普通に恋愛の歌として聴いていたのに、今になって、親のコト歌ってるよなって歌、ありませんか?
視点が変わると歌詞の世界観も変わって見えるような。
ただの思い込みかもしれませんが…
ドリカムの晴れたらいいね、なんて完全にそうだし、深読みするとPRINCESS PRINCESSのMなんかも、理由があって離れざるを得なかった母娘の、娘からMamaへのMという歌にも聞こえます。歌詞の「出会った秋の」、から恐らくは男女の歌でしょうが、こじつければそこだって、何年かぶりに会ったのが秋だったのかも…。ストーリーが浮かびます。
そしてまたひとつそんな歌を見つけました。
JUDY AND MARY 手紙をかくよ
ただの男女の別れ、友との離別。だと思っていたのですが。
確かにそれにしては優しい歌なのです。
歌いながら、ああこれは、子が親を思って歌ってるなと気付いた瞬間、もうダメでした。
嗚咽にちかい、込み上げる涙がしばらく止まらず、この日のカラオケ最低点を記録しました。
歌い出しはこんな。
これはわがまま言って困らせる幼児から少女の頃
そしてだんだん成長していく主人公…
そしてその歌詞の続きは…?考察してみてください。
母方の祖母の体調が思わしくないことで母の気持ちにもシンクロし、また、我が子から、いつかわたしも
そんな風に思ってもらえるんだろうかと。。
そう思うと胸から涙が込み上げて。。
そう思ってもらえるように生きなくてはとふんどしを締め直す気持ちで涙を拭ったのでした。
島崎和歌子さんの如くハンカチさばきで。
しかしここでふんどしって。
歌って、歌詞とメロディと、歌声とその使い方と、楽器の煌めきで、こんなにも心に響くものなんだなと改めて感心した日でした。