「自我」と「環境」の狭間で
皆さん初めまして、私の名前は怪人ムカデチェーンソーと言います、変な名前ですが今回はスルーしてください
初代からスプラトゥーンをプレイしていて総合計プレイ時間は6000時間は超えています、実力はありませんが本当にスプラトゥーンが好きで好きで好きです、今からするお話はタイトルの通り「自分の使いたいギア」と「環境で使われているギア」の狭間で彷徨ったときの話です。
現環境がよくわかってない浅い知識の怪人の話ですが、一プレイヤーの視点の話としてお楽しみください
井の中のイカ、環境を無視す
2の頃の私はヴァリアブルローラーが好き且つこだわりが強く、当時環境で強いと言われていた、ゾンビもスペ減も積まずイカ忍は正々堂々じゃないというしょーもない理由で自分のギアに採用していませんでした。
ギアのコンセプトは「俺が一番動きやすくなるギア」イカ速とメイン強化、安全靴と受け身で身内の間でブイブイ言わせていました、それが楽しかったし強かった、ウデマエオールエックスもスプラ3発売2日ほど前に達成し、所謂環境で戦った事はありませんでした。
自分だけのこだわりの世界に私は生きていました。
井の中のイカ、環境に狂う
それが現在の私はデスを恐れ、ゾンビを積み、打開のためにスペ減を積み、前線で戦うためにイカ忍を積んでいます。
エンピツに屠られ、ボトルに屠られ、ドリンクをがぶ飲みし、死に、死に、死に…
+25!
+25!
-75
正直作業になっていました、何度も縦振りをしてスペを貯め、味方の打開を祈り続けるだけの作業、それでもパワーが上がっていくのは楽しかったですが、2の頃より死ななくなったしキルもできなくなった、つまらない安寧がそこにはありました。
知識が増えた分ギアへの考え方も変わっていきました、これが強い、あれは積んでも意味がない、エックスマッチをやるにあたり、先人たちの教えを基にギアを環境に適応させ、ローラーなのでアクション強化を外し、使わないサブの為のサブインクを外し、環境の為に取捨選択をしていきました。
最後の砦「受け身」
しかしそんな私にも変えられないこだわりがありました、それが受け身ギアです。
受け身は今の私に残された最後の砦、こだわりです。
受け身には数多もの命を救われ、着地狩り狩りに貢献してもらいました、受け身の後は能力が上昇するというのもドラゴンボールの界王拳みたいで好きでした、受け身は私のアイデンティティと言ってもよいものでした。
正直25という大きな目標を達成し、モチベは少しづつだが下がっていっていきました、25に到達したエリア以外のルールの勝率も振るわなく、しばらく離れてみるか~、と考える事もしばしば。
これまであったスプラに対する心の炎がゆっくりと冷めていく感覚、これまでで1番のスランプだったかもしれません、それほど私は素直にスプラトゥーンを楽しめなくなっていました。
井の中のイカ、井の中を思い出す
ある日、寝る前に今のヴァリアブルローラーのギアを調べる為に黙々とネットサーフィンをしていました。
どこのギア構成にも受け身はありません、私は強いと思うのに。
「やはりこだわりだけでは環境では上手く勝てないのだろうか、近距離ブキはゾンビやスぺ減、カムバックを積まなきゃならない程デスは恐ろしいものなんだな」
眠い目を擦りながらネガティブな事を考える中、頭の中で一つの疑問が浮かびました、それは一つのシンプルな疑問
「死なないとしたら俺は何のギアを積むんだ」
深夜でしたが部屋の中に光が灯りました。
井の中のイカ、大海に井戸を持ってくる
まず前提として全てのゾンビ、スペ減等デスを前提としたギアを全て外しました、死ななければ良い、という赤い彗星みたいな考え方のギア構成にしました。
自分は気づいたのです、デスを恐れる余り肝心の対面関連のギアによるアドバンテージの事を疎かにし、自身の対面の強さという強みを殺していたと。
無駄に有り余ったギアのかけらをスプラ3最初期に作った受け身ギアやイカ速ギア達に注ぎ込み、このギアが完成しました。
このギアでオープンを潜った所デスもするようになりましたが驚くほど動きやすい、頑張って練習中の慣性キャンセルと前イカロールを混ぜ込んだ動きの為のアクション強化も、ギアの圧迫になるからと付けなかった安全靴も、全てが追い風の様に自分のキルとデスを後押ししました。
このギアは2の頃の「俺が一番動きやすくなるギア」、それを主軸に今まで培ってきた知識を全てを投入した今の私の為のギアなのです。
自我丸出しのこのギアは長射程による理不尽キルが蔓延る現環境に、合っていない、とも言えなくないと思っています。
周りの近距離がデスを前提とし、ギアを組んでいるとするのなら、こちらはデス上等のノーガード対面大好き狂人、デスの為のギアを積まない分こちら側にその分のアドバンテージがあると考えます。
自我の井戸、大海に挑む
そう、この自我こそが環境vs環境渦巻くXマッチに対する一矢報いる刃、メタになり得るのではないかと私は考えました。
環境ブキというものは多くの人間が使用し、研究し鍛錬を積んだ上で持たれています、シンプルに試行の回数が多いんです、だからこそ強く美しく、勝利の為に洗練されている。
環境は基本的に対環境を考えて作られている、その意表を突くこだわりという刃、私は環境に適応する為に環境という考え方を捨てました。
つまり何が言いたいんだよ
このブログは決して現環境を否定する物ではありません、寧ろ環境の発展を肯定したいとも思っています、ただこのブログで一つ言いたい事があるとするなら環境という言葉の傀儡になってはいけない、という事でしょうか。
私は環境に恐怖し、環境に服従し、こだわりや自我を捨てました、私の考察や思考はそこで止まっていたんです。
環境という物は別に運営に与えられた訳でも勝手に出来た訳でもないんです、プレイヤーが日々切磋琢磨研究に研究と鍛錬、ギア考察を重ね、初めてできる物です。
事実ジムワイパーがそうでした、シリーズ当初は彼にさまざまな意見が飛び交っており、使う人はあまりいませんでした、しかし研究が進み彼の力が認められていくと共に数々の上位勢がジムワイパーを握り、環境を越権していきました、彼は環境にいる全プレイヤーが作り出した環境の子と言っても過言ではないでしょう。
詰まるところ私が言いたいのは、「これが良い」「これが強い」「それは弱い」という言葉に惑わされ、ゲームへの探究心の炎を消してはならないという事です、一つの出来事で思わぬブキが環境に躍り出る事だってある、今この1秒にだって環境は変わり続けている、我々も変化を恐れずに変わり続けなければならないのではないのでしょうか