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気に入っていた保育園との別れとDV旦那
「お母さんあと少しですね」
まだ2歳の息子の靴を脱がしていると
私に声掛けする保育園の先生
「さみしくなるけど、今日もたくさん遊びますからね!」
引越しまであと16日
息子の靴下と上着を脱がせながら私も先生の声掛けに答える
「本当はずっとここでお世話になるつもりだったんですけどね。今日もお願いします」
離婚して県外にいくからこの大好きだった保育園もさよならしなきゃいけないときが刻々と迫ってきていた。
始めは引越し先も保育園から近い場所で探していた。
新居で暮らして、居場所がわからなければなんとかなると思っていたからと同時に、彼と本当の意味で「別れる」って覚悟がその時の私はまだなかったんだと思う。
「離婚しても手伝うことがあったら呼んでくれていいから」
「別れても俺らは家族だろ?」
この時はまだ徹底的に離別するって状況でもなかった。
離婚を決めて弁護士の助言で警察と連携を取るように言われ、警察に今までの経緯を話すと全く予想もできないことを言われた。
「旦那さんのタイプはストーカーになりやすいことが多い、いくら引越すといっても保育園が知られている以上後をつけられる可能性がある。」
「今すぐ住ん出るところから離れ県外に行きなさい」
彼はいわゆる暴力。DVする人間だった。
感情のコントロールがとにかくできない人で、瞬間湯沸かし器のようにキレ散らかしてすぐに手が出る男だった。
そんな男とずっと一緒にいた私も、まだ現実を直視出来ていないアホな女だった。
警察の言うことも分かるし、納得できたけど今までの私だったら警察の言うことも聞かずまた彼の機嫌がなおった頃。
いびつな家族関係を続けていたことだろう。
今回違ったのは、今の私は一人で立ち上がる行動力があったのとお世話になっているメンターの言葉がきっかけ。
「この流れに乗りましょう」
突然のことでしかも県外なんてどうしたらいいかわからず相談して、私のこれからの未来はこんな言葉ひとつで変化した
これはまだ子供が産まれたばかりで育児に疲れていた時の話。
「おいおっっぱいの時間じゃないか?あげなくていいのか?」
「うるさいな。それくらい自分でやれば?」
これだけ聞いたら私は最悪な女に映るかもしれない
けどこれはいつも私が何度も何度も何度も何度も言われてきた言葉
おむつも食事もお風呂も子供の世話をするのは当たり前で、産後帝王切開で動きにくくても関係ない
なにかお願いしても
「それくらい自分でやれよ」
これが数十回続いたときいつか言い返してやろうと思っていた
けど、私が言い返したことが許せなかったんだろう
「は?お前ふざけんなよ!!」
言葉と同時に頭をグーで殴られてお腹を蹴られた
はじめに殴られた所が熱くなって激しい痛みに変わる
少し痛みに耐えたあとに私もカッとなった
「なんで私だけが今まで言われたことと同じこと言ってて殴られなきゃならないんだよ!!いつも自分が言ってたことでしょ!?」
「うるせぇよ黙れ!!」
ミルクのお湯を子供のために振って冷やしていたけど、その中身をぶっかけられた
「やめてよ!!」
「お前がくだらねぇこというからだろ!」
熱いしヒドイし理不尽だ。
もう怒りと涙で感情もぐちゃぐちゃで昼間にも関わらず大声でずっと泣き続けた
身体中痛いし、息もしにくい。
されたことがショックすぎて子供のようにわんわん泣いていた。
「お前ぴーーぴーーうるせぇんだよ!」
更にいろんな場所を何度も蹴られた
私は痛みに耐えながら大声で泣いてるフリしながら警察を呼んでいた。
「痛い。やめて。やめて!!」
ってあたかも悲劇のヒロインぶって
大げさに泣いてるフリしながら彼の気を引いていた。
警察に助けを呼んでること悟られないように・・・
後から警察に来てもらってお互いに事情聴取を受け、旦那の引受人にお母さんが来たようだった
今回の事件では私は罪にしてほしいと警察に頼んだ
何度暴力するなって言ってもなおらないからだ。
彼は私に対してDVしてもいい存在って認識が抜けないから一生なおらないだろう
昔からよく歴代彼氏からもDVされてきた私
DVされることが当たり前になってたんだと思う。
今私は抜け出せたけど、もし同じ人がいるのであれば星の数だけ男も女のいるんだからそんな男やめなって今の私なら言えるよ
幸せになるために
新しい一歩を私は歩み出す