もはや名探偵コナンvsルパン3世でも良かったんではないか
※この記事は名探偵コナン「100万ドルの五稜星」のネタバレを含みます。
名探偵コナンの映画が公開されている。今年も映画館で映画を観に行った。IMAXで観たことも相まって大迫力の映画だった。
大迫力ということは、アクション映画の如く壮大な仕掛けがいっぱいだったとも言い換えられる。ここ最近のコナン映画の「有り得なさ」は語り尽くされているところである。
もうコナン映画は「そういう」アクションものだと割り切って観る方が精神安定上いいなと思っている。
記憶に残っているのは『沈黙の15分』の映画。冒頭の地下トンネル爆破事件の「有り得なさ」に納得ができず、当時の自分は大分憤っていた。これが罷り通るなら、コナンが推理する必要なくないかと。
そういった映画が続いて、感覚が麻痺してきたのか、吹っ切れたのか、アクション映画だと割り切って、頭を空っぽにして観るのがいいなということに気がついた。『緋色の弾丸』で赤井秀一があり得ない距離の狙撃を決めたところなんかは、昔の自分なら怒り心頭だったかもしれないが、有り得なさに失笑してしまったものの、穏やかな心で観ることができた。
話が大分それてしまったが、今年の映画である。お宝をめぐり三つ巴の争い。刀剣がメインなので、拳銃でのドンパチは少なかったが、街中で真剣を振り回すという面白い光景が見られた。
法の秩序なんか誰も守っていない、無法地帯の札幌と化していた。事件に全く関係のない大岡紅葉一行が街の中にスタングレネードを撒き散らす光景は、倫理観がおかしくなっているとしか思えなかった。
お宝を所有する小物感満載の財閥御曹司と、それを付け狙う湧いて出た謎の武器商人、その間でお宝を盗もうとする怪盗キッド。
警察は(嫌々?)財閥御曹司の警護に当たる。コナン達は警察側と怪盗キッド側を行ったり来たり。この構図どこかで見たことがあった。
そう、「名探偵コナンvsルパン3世」の構図にまさにピッタリである。
探偵と怪盗に活躍をして欲しければ自然とこの構図に落ち着くのかもしれない。どちらにも見せ場を作り、双方いい感じに引き分けの結果に落ち着く。怪盗キッドをルパンに、中森警部を銭形警部に置き換えても話として成立するのが面白い。
でも、こうして突っ込みどころ満載であっても、年に一度映画が公開されると観に行きたくなってしまうというのは、ここが「名探偵コナン」の魅力なんだろうなと思う。
映画を観ている間は、「いやいやあり得ないでしょ」とツッコミこそすれ、それを超えるだけの魅力がある。結局犯人は誰なんだというのもあるし、各映画によってフィーチャーされるキャラクターの魅力でもある。あえてツッコミどころを持たせることが、逆にスリル満点の映画を作り上げているとも言える。
こんだけ言いながらも来年もまた観てしまうんだろうなと思いつつ、筆を置きたい。