私の野球人生⑤「コロンビアでの3ヶ月」
コロンビアに行くのも大変
独立リーグの一年目が終わり、私はコロンビアに行くことになった。人生で初めてパスポートを取得しに行き、手取り約十万円の独立リーグの給料から見るとパスポートの発行手数料は高い出費だった。さらに、コロンビアへの航空券も球団に立て替えてもらっており、3か月の遠征中も家賃や光熱費がかかる。ほぼ貯金がない私には、現実から逃げたくなる気持ちが芽生えたが、コロンビアでの報酬は月15万円で、住まいや移動費は球団が負担してくれるとのこと。かかるのは食費だけだから、何とかなるだろうとお金の不安を一旦脇に置くことにした。
初めての海外で私は成田空港でソワソワしていた。すると、独立リーグの別のチームの方が2人と代理人が合流し、よく分からない契約書にサインをした後、その場で初めて顔を合わせた日本人3人でコロンビアに向かうことになった。
1人は当時30歳近くで、マイナーリーグでの野球経験があり、多少の英語も話せる方で、この方にはかなり助けてもらった。もう1人は同じ23歳で、甲子園に出場した経験もある勉強もできるエリートのような人物だった。彼とは性格が合わず、一緒に生活する中で何度も揉めたが、翌年には同じチームでプレーすることになり、プロを目指して切磋琢磨する親友のような存在になった。
まず韓国を経由し、その後アメリカに向かって就労ビザを取得することになった。皆お金がないので、最も安い方法で移動することになり、コロンビアに着くまでに2日かかると言われた。アメリカでも飛行機の乗り継ぎがあり、次の便を待つため空港で何時間も過ごした。Wi-Fiが使えるところ以外では携帯も使えず、英語ができないため税関を通過するのにも苦労し、持ってきた食材もいくつか没収された。マイアミに着くと、その足でコロンビア大使館に向かい、私と30歳の先輩は無事に就労ビザを取得できた。しかし同級生は何故かビザを取ることができず、「翌日にまた来てくれ」と言われた。その日はコロンビアへ向かう予定だったが、急遽マイアミでホテルを探すことになった。英語ができない私たちは先輩に頼るしかなく、なんとかホテルを取ってもらったが、これも大きな出費となった。翌日、同級生も無事に就労ビザを取得し、航空券の変更も先輩に頼ってなんとか手配でき、ようやくコロンビアに到着した。
コロンビア到着後もトラブルが続いた。先輩は持っていた現金を空港でコロンビアペソに両替したが、球団の迎えの車に乗り込むと球団の人から「空港でお金を換えていないだろうな?」と確認された。私はマイアミでのホテル代や食費で手持ちが少なかったため両替はせず、同級生はクレジットカードがあるからと両替をしなかった。ところが先輩の両替した金額を確認すると、0が1つ足りなかった。どうやら空港で騙されてしまったようだ。空港では特に騙されやすいと聞かされた。
給料日までは、私のわずかな手持ちと先輩が両替したお金でやりくりするしかなく、最悪の場合は同級生のクレジットカードを頼ろうと思っていた。しかし、確認するとそれはクレジットカードではなく、海外で使えないキャッシュカードだった。こうして、予期せぬ形で貧乏生活が始まったのだった。
続く:「私の野球人生⑥ コロンビアでの生活」