私は片付けられない
タイトル通り、私はなにかを収納するのが苦手だ。下手くそだ。母はよく「お店が開いてるよ」と言ったが、まったくその通りで、なにかを始めるといつの間にか周りが散らかっている。
今は別居の両親宅に遊びに行けば、必ずものを1つ忘れて帰ってしまう。自分では、すべてカバンに詰めたはずが、たいして大事でもない、失ってもすぐに代わりが手に入るような、ひどくささいな品を置き去りにする。ホテルであっても同じだ。チェックインするやいなや、カバンからあらゆるものを出し、なにかを忘れる。
そして、私は持ち物を整理できない。あれもこれもと、欲しいものを手に入れるくせに、どこにしまったか分からなくなる。友人に、「いらないものは捨てたら?」とアドバイスをもらっても、そうなると部屋のすべてが大事に思えてしまう。
手放せないのだ。無駄に抱え込んでしまうのだ。ミニマムな暮らしなんて、夢のまた夢。ひたすら増えていく書籍やグッズを、綺麗に整えることもなく、雑多に部屋に溢れさせている。
おそらく、この「片付けられない」理由は、3つほどある。
1.元々の性質
こればかりは、そう簡単に改善できない。例えば綺麗好きな人が、掃除しないで下さいと言われても、きっと無理だろう。落ち着かないはずだ。同列にしてはいけないだろうが、私も、気がつけばなんでも辺りに散乱させる。
だが一方で、よりよくすることが可能なのは、この領域かもしれない。意識にないだけで、意識するようになったら、習慣になる可能性がある。とても難しいが、やってやれないこともない。行動はとても有効だ。ただ、実行に及んでいないだけだ。
2.母が綺麗好きだった。しかも短気。
これは、幼少期に経験したことなので、さらに厄介だ。
小さい頃から、「出したらしまう」と教わっていたのだが、結局、しまう前に母が片付けていた。そもそも実家にはそう物がなく、せいぜい父の小さな書棚がひとつ。自分の部屋には、学習机とラジカセがあった程度。高校時代にでかいキャンバスを立てかけていたが、それはゴミ扱いではなく、必要品として扱われていた。
となると、なにが散らばるかと言えば、教科書やら体操着なのだが、教科書は使うからランドセルに入れることになり、体操着は母がいつのまにか洗っていた。
結局、自分は片付けをしなくても、快適に過ごしてしまっていた。経験として、放っておいてもいい、という理屈が根づいてしまっている。思い出補正がかかっているのだ。
3.物がないと落ち着かない
中二くらいまでは、書籍さえあれば幸せだった私だが、高校に入ってオタクになり、同人誌やら雑誌やら、気になるものを片っ端から集めるようになった。抑制していた煩悩が解き放たれたのだ。我慢していた分、我ながら発散の仕方も豪快だった。
また、ゲーム機は一通り買った。いつ来るかわからない、数少ない友人のためにとコントローラーやシューティング用のガンやハンドルなど用意し、山積みになるほどソフトも準備した。当然、それだけで場所はとる。割と邪魔だ。仕舞うに仕舞えない。
今ではだいぶ、ゲーム機は減ったが、今度はパソコンに移行した。キーボードのタッチ感覚が使いづらい、と外付けキーボードを買い、マウスの感度が悪い、とマウスを買い、そもそもパソコンが古いと新しい製品を買う。ノーパソなのにモニターも買う。
昨今、パソコンは簡単に廃棄できない。メーカーか、それを扱う業者に処分してもらわないといけないが、これがまた面倒で、何台も棚に投げ込んで、そのまんまだ。
もう絵を描かないのに、画材道具もある。バッグやリュックが好きで、衝動的に購入する。小物も増える。そして、ものがあふれる。収納が追いつかなくなる。
おそらくこの話は、なぜそうなるのかと疑問に思う方と、あるある分かると共感してくれる方と、双方いらっしゃるのではなかろうか。
私の場合、ゴミはとっとと捨てる。水まわりもそれなりに掃除する。ただ、ものが片付けられないのだ。あちこちに放り投げてしまうのだ。
Googleで検索してみたところ、片付けられない性格の特徴は、「物事を後回しにしがち」「ものを捨てられない」「片付けを一度にすべて終わらせようとする」とあった。私は、どれもが当てはまる。
基本的に「明日できることは今日やる」なのだが、それは仕事の面で、私生活となると途端に「明日でもいいや」となる。
「ものを捨てられない」は前述の通りだ。「一度にやろうとする」に関しては、急に思い立つと、夜中でも掃除を始める癖がある。気が済むまで、徹底してやるので、とても時間がかかる。疲れてしまう。そして次の掃除が嫌になってしまう。
また、他の説明では、「おまけやノベルティ、限定品が好き」「不安や決断力の欠如」「自分の持ち物を把握出来ていない」とも。どれもが耳に痛い。思い当たる節しかない。散々、教師や親に注意されてきたことだ。無自覚ではない。けれどうまくいかない。習慣はなかなか直らない。どう暮らせばいいか、重々承知の上で、なにもしないことを選んでしまうのだ。
この先、不精で飽き性の私が、どうやってこの悪癖を克服できるのか。日々、頭を抱えながらも、「好き」であふれている部屋が大好きだ。心の栄養だ。体の休憩所でもある。
きっと私は、余程のことがない限り、片付けられない女から抜け出せそうにない。人は簡単には変われないのだ。それが自分の性分であれば、なおさらに。