私の親友の話
私には面白い幼なじみがいる。
友人K(以下K)とは、長らく連絡をとっていないが、年を経れば、それぞれ家庭やら社会やらが絡み、だんだん疎遠になるものだ。そもそも、べったりくっついた仲でもなかったので、なにかの折、また交流を持つことがあれば、その時はきっとあっさり元の鞘ではないかと思っている。
Kとの思い出は、覚えている限りでは小学一年生、中庭の草をむしっていたことだ。別に授業でも課題でもない、無意味に二人で草むしりしていて、会話もろくになかった。たしか、ほかには誰もいなかった。放課後、無心に雑草を抜いていた。なぜか、そんな些細なことを鮮明に覚えている。
彼女と急速に縁が深まったのが、中学の部活。廃部寸前の体操部で、意気投合し、日々くだらない遊びをしていた。私は前の部活をやめ、しかし内申に響くからどこかに所属しなくてはならなくなり、部員の少なさから2年後にはなくなる部を選んだ。そこにKがいた。
そもそも期待されていなかったので、三年が卒部し、一年は入部してこない、自分たちの天下になると、それこそ好き放題した。体操用具を舞台装置に見立て、即興の劇を始めたり、人気のなくなった教室の黒板いっぱいに落書きしたり、歌を歌い始めたり。およそ何部かわからない有様だった。顧問も滅多にこなかったせいで、いつも数人で校内をふらふらしていた。
今でも思い出すのが、突然Kが私に、「とうちゃん、子犬飼ってもいい?」と言い出し、「だめだよ、うちは貧乏だからね」と咄嗟に返したことだ。所属では、しばしばそんな突拍子もない会話が飛び交った。平均台を使って、「マスター、1杯おごってくれよ」と、唐突にハードボイルドな展開にもなった。「明良ちゃあん、飲みすぎは体に毒よ」と、どこからともなくママが登場し、「深酒したい日もあらぁな」と常連のおじいちゃんが口を挟む。それぞれが、会話だけで繋げていく物語。あまりに自由すぎて、真面目に練習している者など皆無だった。私は奔放な体操部が居心地よく、オタクの素地もそこで培ったと思う。
腐れ縁は続き、Kとは高校も同じだった。クラスこそ違ったが、同じ校舎の同じ棟。気軽に声が掛けられる距離だった。
Kとの高校時代は濃密だった。学校の試験が終わり、試験休みになると、彼女の部屋に集まって、ビデオ鑑賞会になった。年頃もあり、そこそこお小遣いもあった私達は、レンタル屋で気になる作品をぼんぼんカゴに入れ、夜通しそれを観た。
「ベニスに死す」「恐るべき子供たち」という古い映画だの、「ミスター味っ子」「おにいさまへ」「トップをねらえ!」等のアニメ、「ロボコップ」「スーパーマン」などと、もうハチャメチャなラインナップで、それを数人でわあわあ盛り上がりながら夜を過ごした。
借りた本数はそれこそ明け方になっても見終わらないほどで、さすがに四時過ぎくらいに、いったん、寝る時間となった。
しかしここでもおかしな儀式というか、お約束があり、友人のひとりが持ち込んだXJAPANの「紅」映像を流しながら、全員で「くーれない!にそーまぁったー!」とひとしきり熱唱後、「じゃ、おやすみ」と布団に入った。今でも意味が分からない。ただ、その頃は同じノリで騒ぐのが楽しかったのだ。嬉しかったのだ。
しかしおかげで、私は「紅」を聞くと、寝なきゃ、と思うようになってしまった。とんだ後遺症だ。
やがて私は東京で、Kは地元で働くようになり、直接なにか二人ですることは減ったが、ちょこちょこと彼女は上京し、そのつど交友を深めた。時にコミケ。時に観劇。時になにもないけど連休だから。行動力の化身のようなKだ、夜いきなりホタルイカ漁に行きたいと愛車を他県へとかっ飛ばすバイタリティは、遠く離れて暮らすようになった私にも活力をくれ、勇気をもらった。まあ、一方ではコンビニに買い物のノリで、なぜ夜中にホタルイカ漁に行ってしまうのだこの親友は、と謎ではあった。
他の友人らからすると、Kと私は、なにかにハマった時のスタートダッシュが異様に早く、さらに購買や作品作りへの意欲が高すぎて、皆を置き去りにしてしまうらしかった。自分では意識したことはないが、少なくともKは、例えるならば趣味の世界を縦横無尽に泳ぎ回るサメだ。目当てがあれば、がぷりと噛みつき、飲み込んでしまう。そしてひたすらに咀嚼して、味だの歯ごたえだのを、いちいち教えてくる印象だ。
一時期、私とKは同じ名前のため「W○○が同時に走り出したらとまらないし、とめられない」などと言われていた。あるいは「燃料をどんどん勝手に補充しながら焼け野原を行く暴走列車」とも。ちょっと大袈裟に思うが、若い頃はなんでも手を出し、なんでも挑戦したので、懐かしく感じる。
私のようなタイプは、友達ができにくい。自分の領域で相撲をとってるようなものなので、はたから取っ付きにくいし、あるいは見落とされて人が通り過ぎていくだけだ。私自身、積極的に声をかけることに遠慮がちで、うまく話もできない。最近では、登録しているYouTuberさんの配信を見に行くことが前より増えたが、どこに行っても、こんにちわ(こんばんわ)と、おつかれさまでした、しかコメントできない。多分、なにか面白いこと、楽しいこと、ためになることを言わなきゃいけない気がして、声や言葉にためらってしまうのだろう。
そんな私が、ずっと会っていないけど、次に会えたら間違いなく喋り倒すし笑い合えるだろう、と信じられるKの存在は貴重だ。時間なんて、私たちにはおそらく関係がない。蓄積してきた記憶も、もしかしたらあまり理由にならない。ただ、お互いがとても好きだから、ただそれだけだ。
私のお気に入りの、Kのメール文がある。
彼女は某劇の当日券をとるため朝から上京し、私は仕事だった。来ていることすら知らなかったが、それは日常茶飯事だった。
午前中、私の携帯にKから連絡があった。
「某劇の当日券は、とれませんでした
やむなく高尾山に向かいます」
私は、職場なのに吹き出した。おかしすぎて、涙まででてきた。
Kの目的の劇は有楽町。しかし、向かっているのは遠く離れた高尾山。このふたつの地点に、なにが「やむなく」となるのか。点と点が繋がるどころか、明後日の方向に散らばっている。それが面白くて、私はしばらく口元がだらしなくゆるんでしまった。
私はKの、Kなりのストレス発散、おそらくこの時は当日券がとれなかったことに対して、やけ食いでもショッピングでもなく、登山を選んだセンスが心から愛しかった。めいっぱい、自分のパッションを弾けさせていて眩しかった。
親友は、私の宝物だ。
お互いの線が交差し、手を取ることになったら、また私は親友Kに憧れと、ほんの少しの恋をするだろう。たった二人で草むしりしていた、あの情景を振り返りながら。また会っちゃったね、と。