大人の、大人による、大人のための「読書感想文アンソロジー」
このnoteを書き始めるきっかけにもなった、様々な試みで楽しませて頂いている、比呂ころくさんが、最近、素敵なアンソロジーを発行した。「令和4年度 読書感想文アンソロジー」である。とても魅力的な企画で、私も執筆者として参加したかったが、変な照れがあり、心残りはあれど、純粋な読者として拝読できたので、それはそれで良かったのかもしれないと思っている。本当に待ち遠しかった一冊だ。
読書感想文と聞くと、学生時代の課題のイメージだが、それを社会人を中心に作品を募る、という発想がまず素晴らしいと私は感じた。あとがきにもあったが、成人してしまうと、夏休みの宿題がなくなり、特に読書感想文とは縁遠くなってしまう。8月31日、慌てながら作文した思い出を、歳を経て追体験できることは、書き手としてはきっと面白いだろうし、読み手からすればどんな本が紹介されるのかと楽しくなる。大人になったからそこの感覚ではないだろうか。宿題で、面倒くさがりながら書くものとは違う。純粋な趣味が集まる本は、それだけで十分に心躍る。
実際、アンソロジーでは様々な書籍が題材になっていた。純文学・海外小説・ノベルゲーム・ミステリー・俳句に関して等々、多岐に渡り、すべてを取り上げられないほどのボリュームだ。これぞ大人の読書感想文、と目次を見ただけで私は嬉しくなった。なじみのあるものから、申し訳ないが存じ上げないもの、知ってはいるがまだ手に取ったことのないもの、どれも内容が気になり、しばらく目次ページを眺めてしまったほどだ。
表紙もとても雰囲気があってよかった。学生時代の文集を思い出した。こういうセンスは、ころくさんならではの見事さで、上から目線になってしまって恐縮だが、見せ方がうまい、と感嘆した。ページをめくる前から、学校の図書館の片隅で見つけたような懐かしさを感じ、私の心の底に住んでいる子供心をくすぐられた。妙な高揚感すらあった。
そしてやおら読み始めると、皆さん文章がお上手で、驚くと共に、きちんと拝読せねばと改めて気持ちが高ぶった。少し緊張もした。熱のこもった、それでいてしっかりとした感想文を、勢いで読むのはもったいないと思ったのだ。私は、昔のような、1日に何冊も本を読破するだけの集中力が欠けてしまっている。日々の仕事で疲れていることもあるし、年齢もろもろからくる気力体力のなさもある。しかし、このアンソロジーは特に、隅々まで、一言一句、込められた想いも含めて、大事に読み進めたかったのだ。おかげで、1日に1、2作ほど、なぜそんなに時間がかかるのか、と我ながら呆れるほどスローペースで、読了まで長くかかってしまったが、満足している。
読書感想文は、小学生などが書かされる宿題のイメージだが、実は難しいのではないだろうか、と私は常々、考えていた。数枚の原稿用紙(もしくは、それに匹敵する文字数)で、読んだ作品の感想を述べなければならないが、あらすじを合間に入れないと、誰にどう共感したか、あるいは共感できなかったか、どんな一文が心に残ったか、なにが自分の結論として浮かび上がったか、などが分からなくなってしまう。その作品を読んだことがない方に、魅力が伝わりにくい。しかしあらすじばかり書いてしまうと、感想文から遠くなってしまう。そのバランスが、意外とシビアな気がするのだ。下手をすると、杓子定規なものになってしまいかねない。
その点、この読書感想文アンソロジーでは、書き手の数だけ物語があった。作品そのものの説明から、または出会ったきっかけから、問いかけから、自身の気持ちから、と書き出しからバリエーションに富み、飽きることなく、私のようにのろのろ読んだ者には、毎日、違うお料理をその方の並べ方や盛り付けで頂いた、という気分になり、贅沢をした感覚だった。幸福なひとときを過ごせた。
多くの感想文について、ひとつひとつ想いを綴りたいが、さすがにそれは無理なので、ころくさんの「黒猫」について語りたい。
出だしの一文から、心惹かれた。人は衝動に弱い。たしかにそうだ。自制は「自分を制する」ことであり、しかし理性を超えた一撃が加われば、それは呆気なく崩れてしまいがちだ。「人間の最大の敵は"自分自身"なのかもしれない...」という言葉に、大きく頷くと同時に、己の過去を振り返り、身震いした。私は過去に、衝動に負けて、犯罪まではいかなかったものの、愚かしい真似を何度も行った。見透かされているような気さえした。
エドガー・アラン・ポーの「黒猫」は、私は中学の頃だったかに読んだ話だ。なんだか怖くて、薄気味悪かった。主人公に同調できなかったからかもしれない。その頃の私は、多感ではあったが、同時に両親から褒められ、自慢に思われたくて、模倣的な学生として振舞っていたことも多分、根底にあった。
ころくさんの文書を読み、するりと私が感じていた得体の知れなさを、その原因を教えられた。ように思った。私は「黒猫」で、内面に抱えていた、自身のちぐはぐさを暴かれたくなかったのだろう。いい子でいること、いい成績をとること、変人と陰口を叩かれながらもいい人間関係を築くこと、それらを実践しながらも、心の奥底では暴力的にすべてを壊したかったこと、相反する心のもろさを無意識に自覚していたのかもしれない。
その後、2度ほど「黒猫」を読んだが、最初のインパクトから、未熟にも怖さにばかり目を向けていた。これを機会に、己に巣食う負の部分、実際に発作的な衝動で浅はかな言動に及んでしまった経験を見つめ直し、もう一度、「黒猫」に向かい合ってみたくなった。次は違う景色が見れるのではないかと思った。ころくさんのおかげである。
素晴らしい作品ばかりの、珠玉の一冊、読書家も、そうでない方も、できれば読んでみて欲しい。私のように、新しい世界を知る方も多いのではないだろうか。己の好みもあり、目にしたことのない作品もあるのではないだろうか。
それはきっともったいない。私も、再び書店に足を運びたい。たくさんの出会いを求めて。