
オーヴィル・ヘンリー・ギブソン
こんにちは南仙台の父です。
今回はGibsonブランドの父ともいえるオーヴィル・ヘンリー・ギブソンに
ついて記事にしました。
この方は元々個人的な工房でマンドリンを製作していましたが、1894年に
米国ミシガン州のカラマズーでマンドリン製作をしたという記録が残って
います。
これが歴史的なGibsonの始まりとされているようで、130年以上の歴史を
持つブランドということになります。
1894年といえば日清戦争の時期なので、この時期から存在する老舗ブラン
ドということになります。
オーヴィル・ヘンリー・ギブソンについては細かい資料があまり残されて
おらず、Fenderの創始者であるレオ・フェンダーとはかなり異なった記録
になっています。
オーヴィル・ヘンリー・ギブソンは1894年に工房を興した後に販売会社と
してのGibson社が設立されています。
本来であればオーヴィル・ヘンリー・ギブソンが社長となって、そういう
のが普通なのですが、実際にはそうはならずにジョン・W・アダムスらの
手によって会社は運営されていたようです。
オーヴィル・ヘンリー・ギブソンは根っからの職人さんだったので、経営
や販売といった仕事は好きではありませんでした。
オーヴィル・ヘンリー・ギブソンとGibson社との関係性も少し変わってい
て、オーヴィル・ヘンリー・ギブソンはコンサルタントとしてGibson社に
関わっていたという記録があります。
彼は工房に出向いて、マンドリンやギターなどの製作に関して助言などを
行うだけであり、その対価として僅かながらの年俸を特許の使用許諾料と
して受け取っていたそうです。
記録にはマンドリンに関する特許の記録なども残っています。
経営にはまったく興味がなく、道楽に近い形でマンドリンやギターなどの
製作に形上関わっていたようです。
もちろんのこと、1950年代にソリッドボディーのエレクトリックギターが
開発された段階では存命ではないので、こうしたプロジェクトにはまった
く関わっていません。
記録では1918年没とあるので、エレクトリックギターの最初のモデルにも
関わっていないくらいだと思います。
そもそも晩年は入退院を繰り返していたそうなので、工房に出向くのもそ
う多くはなかったのかもしれません。
Gibson自体はエピフォンやティアックなどを傘下に収めながら大きく成長
していきますが、2010年代に入ると経営的な問題が生じていきました。
Gibson自体は誕生の地であるカラマズーからナッシュビル、メンフィスと
生産拠点を拡大していった中で経営的な問題から大幅に縮小されており、
今も限定した規模での製作が行われています。
この時期はFenderなども経営的に厳しい時代であったので、特にGibsonだ
けが厳しかったわけではありません。
拡大路線の問題から大きな痛手を受けた結果なのでしょう。
現在は採算重視での製作が続くため、レスポールモデルやES-335などの量
販が保証されるモデルの製作に留まっており、高級機で工芸品のような扱
いとなっているL5やES-175などの製作は行われていません。
そのため、これらの中古ギターでもかなりの高値で取引きされているとい
った状況が続いています。
世界的な規模でギターの販売が低迷した背景もあるので、日本のメーカー
も含めてかなり厳しい状況にあることは間違いありません。
今の状況をオーヴィル・ヘンリー・ギブソンが見たらどう思うのかもあり
ますが、技術的な基盤はオーヴィル・ヘンリー・ギブソンの頃とあまり変
わっていないという事実もあります。
Gibsonの場合はカラマズーに残った職人さんたちが立ち上げたヘリテイジ
ブランドもあります。
ヘリテイジは古き良きGibsonとも形容されているので、ある意味オーヴィ
ル・ヘンリー・ギブソンの遺志は脈々と続いていると言ってもいいかもし
れません。
昨年は歴史的なGibson創業から130年という節目になっていました。
楽器が使えない、持っていなくても音楽が制作できる・演奏できる時代を
迎えているので、ギターの需要自体はもっと減るのかもしれません。
どれだけAIやテクノロジーが進化しても、骨董品や芸術品としての価値が
残るのがGibsonのギターともいわれています。
こうした先人たちの努力の継承でブランドや製品が続いてきたのは大きな
資産かもしれません。