いしころおじさんは選挙があると荒ぶってしまう
毎回、毎回、同じ繰り返し。もう飽きた。
でもこの怖さを言わずにはいられない。
私は選挙というシステムが大嫌い。ほんとうに恐ろしい。
争いごとが怖い。
選挙の度に、大衆の本当の姿、ストレス、分断が可視化される。
Xで「選挙が嫌い」と呟いたら、痛い人扱い。
「良い大人が何を言ってるのだ、社会人として失格だ!」ぐらいの拒否反応なのだろう。
みんな選挙というシステムを盲信してしまっている。そのシステムを維持して自分たちの都合の良い感じにちょっとずつ変えたりしている権力者の思う壺だ。子どもの頃から「選挙ポスター」など書かせたりして、用意周到に洗脳している。権力者は賢い。姑息である。
小学校での多数決で、私は深く絶望してトラウマを植え付けられたのだけれど、クラスの皆は何も感じていなかったのだろうか。私の脳がやはり異常なのだろうか。
野党候補を推して毎回毎回、勝手に熱くなって残念がるのを繰り返している層は、「政治の現状を変えたい!」と言いつつ、一票でどうにかなると本当に思っているのだろうか。自分たち仲間内以外の世界が目に入らないのだろうか。
本気で変えたいのなら根本的なところに疑問を持たなくてはならないし、根本を破壊して新しいシステムを作り上げるぐらいを目指さなくては変えようがない。しかしそんな気概などあるはずない。
まず自分たちが何故に毎回負けるのか、勝つ方に投票している層はどんな人達なのか、知ろうともしていない。なぜ冷静に分析しないのだろう?
俯瞰すればすごくシンプルな構造。
簡単に説明すると、集団がまとまって大きな力を持てば、富の分配や地位や立場でそれにあやかることができる。複数の流れがあれば、一番大きな流れに乗るのが安全。誰もが勝ち馬に乗りたがる。
毎回負けてる層は、普段から小さな流れに乗るのを好んでいる。大きな流れのおこぼれはもらえないけど、小さな流れの心地よさや独自性は捨てられない。
勝ちたいと思いつつも、大きな流れの方には乗りたくないと思ってるのだから、多数決の選挙で勝てるわけがない。
選挙の嫌いな事象①
自分の推し候補以外に対して、敵意丸出しで、〇〇って呼びつけにする人が当たり前のように出現すること。会ったことも話したこともない人を何故そんなに憎しみを抱けるのだろう?虚像がどんどん大きく膨らんで、自分の集団だけが正義のような錯覚を生み出す選挙、怖い。
選挙の嫌いな事象②
自分の属する集団や組織、階層に対する真信が試されているかのように、猛烈になりふり構わず同調して、攻撃性が増して、被害妄想は膨らんで、心身不安定になっている人を見なくてはならないこと。怖い