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『ミュータンス・ミュータント』百景episode11…「葉山と桧山」

「ほんと、よく食べるよなぁ」
高2になった4月の新年度にクラス替えがあり、初めて一緒になったクラスメートがいたのだが、実に何とも不思議なやつだった。

いつも周りを友達に囲まれ、楽しそうに談笑している愉快なやつだが、とにかく食いっぷりが凄かったとでも言おうか。

初めて話した会話も、そんな彼の食べる姿に感心して、思わず出た言葉だった。

*  *  *

高校に入り、昼食の基本は弁当になった。
俺の場合は母親が毎日作ってくれたが、父親や姉、中には自分で作ってくるクラスメートもいた。

一応、購買部でおにぎりやパン、ドリンクなど、簡単なものは買えるようにはなっていたが、大半の生徒たちは弁当を持参していた。

あいつもとりあえず、弁当派だった。とりあえず、というのは色々と事情というか、何というか…とにかく彼の食スタイルは独特だった。

まず、あいつは朝、登校して席に座るなりカバンからゴソゴソと菓子パンを取り出し、もそもそとむさぼり食う。

後に聞いた話では、家ではちゃんと朝食を食べてから学校に向かうとのこと。つまり、朝は2食。

そして、昼休み。
クラスメートたちが自由にグループを作って弁当を囲み、楽しくワイワイと昼食タイムが始まるのだが、あいつは一人で大きめの弁当箱を開け、黙々と食べる。そして食べ終えると、再びカバンの中をゴソゴソと漁り、朝とは別の菓子パンが現れて…。

そんなあいつのひたすら食べる姿勢に、驚愕を通り越して、尊敬すら感じるほどだった。

何しろあいつは、一口味わうごとに実に美味そうな表情を浮かべていたのだ。しかも、食べ終えた後は満足げに笑みを浮かべて手を合わし、「ごちそうさま」と小声で呟く。食事中は「邪魔するなオーラ」を存分に醸し出しており、近寄り難い雰囲気でクラスメートを寄せ付けないようにしていた。

彼にとっては、食事は単に空腹を満たすものではなく、むしろ儀式に近いような神聖な域に達していたのかもしれない。

男女共学だったので、そろそろ異性に対する恥じらいも芽生えてくるものだが、あいつだけは驚くほどに、そんな感情を微塵も感じさせなかった。

もちろん言うまでもなく、彼の体型は丸。まるで、…何かに例えるまでもなく丸かった。そんなイメージが強烈に、今も脳裏に残っている。

*  *  *

そんなあいつの崇高とまで言える姿や振る舞いを毎日見ているうち、俺は友達以上に、ファンに近い感情を持つようになった。

それは、彼のユーモアのセンスが大きく関係している。彼の周りにはいつも笑いが溢れ、そんな彼の姿に憧れていたのかもしれない。

彼に、ある質問をしたことがある。

それは10月に入ったばかりの、でもまだ残暑が続いている暑い日だった。

4月の新学期の席順は、いわゆる「あいうえお順」だったから、俺とあいつは前後で隣同士だった。それもあって、1学期早々には仲良くなっていたのだが、(もちろん、それから席替えがあって、今は席は離れているが)その質問だけは、なかなか訊けずにいた。

「次は古典の授業か。苦手で、さっぱり分からん。コテン」
葉山は得意の駄洒落でクラスメートをゲラゲラ笑わせると、コテンと机に突っ伏した。それを見て、さらに笑いが大きくなって…その日も、彼の周りは笑いに満ちていた。

俺にはないセンスだった。だから、彼には一度、「どうしたら、そんな言葉のセンスを持ち得るのか?」と訊いてみたかったのだ。

「なあ、葉山」
2限目の数学の授業の後の休み時間、彼がコテンとしてクラスメートとふざけ合った後、合間を見て彼に声を掛けた。

「なんだ、桧山。何か用か。明日は8日、なんてな」
相変わらずの葉山節が炸裂する中で、俺はついに質問した。

「お前のその言葉の発想というか、駄洒落もそうだし…ユーモアのセンスを、とにかく見習いたいんだ」 
そう言うと、俺は彼に頭を下げた。

「おいおい、いきなり生徒会長様にそんなことを言われるなんて、名誉なことだな。うめーよ、この麦茶」
彼は水筒の麦茶を飲みつつ、さりげなく駄洒落を交えてそう答えると、思案するように腕組みした。ちなみに、俺は先月の9月に生徒会長に選ばれていた。任期は来年の高3の夏休みまで。

「駄洒落か。ま、とにかく言葉の韻を踏むことが大事だな。面白いか、面白くないかは、駄洒落を言う時には意識しない方がいい。その良し悪しを判断するのは、周りの人たちだ。自分では面白くなくても、意外とウケたりすることもあるし、また逆も然り。つまり、思いついたら、結果は考えずに、まずは言葉に発することが第一だな。言い換えれば、勢いに任せて言葉をハッスルさせるわけだ」
葉山らしく駄洒落を盛り込んだ返答は期待通りだったが、果たしてそんな簡単にできるものなのだろうか?

「なるほどな。ハッスルして言葉を発する、か。頑張って意識してみるよ」
彼にそう言って礼を述べると、俺は窓際の席に戻った。

*  *  *

あの日から、俺の意識は変わった。言葉に対する意識だ。

それまでは何気なく素通りしていた言葉たちが、意味あるものとして脳裏に引っ掛かるようになった。

夜、月を見上げてみる。
それまでは「ああ、綺麗だな」というような感情や感想しか持たなかったが、今は「夜に寄る、月に付き合う、なんてどうかな?」なんて無意識のうちに言葉遊びしている自分がいる。

さすがに高2の秋だから受験もそろそろ念頭に置きつつ、かつ生徒会長という重責も担いながらの言葉遊び。ストレスのかかりやすいこの時期にとって、意外にいい気分転換にもなった。

ただ、葉山が言うように、まだハッスル、じゃなくて言葉を発することができていない問題があった。

邪魔しているのは、やはりプライドか。

もし、この俺が下らない駄洒落でも発しようものなら、「あの生真面目な桧山が」「おい、生徒会長たる者が何たる発言だ。けしからん!」と友達や先生から叱責されるかもしれない。

「そんなこと気にするな」
葉山なら、そう言うだろう。

いや、彼なら「そんなことは損なこと。気にするな」と言うかもしれない。とにかく、彼は思うままに駄洒落を発するだろう。

だが、俺にはできなかった。一線を超える。これがいかに難しいかを思い知った。一線じゃなくて、一千。1000もの苦難を乗り越えるくらいの高いハードルに思えた。

新たな悩みが俺に加わった。

*  *  *

ホテルのラウンジ。
待つのは苦にならない俺は、約束の時間より早めに到着し、彼が来るのを待った。

時は1998年11月24日。
首都圏を中心に、歯のない多数の遺体が大きな脅威として、世間を騒がしていた只中だった。

彼は少し遅れてやってきたが、久々の再会を喜び合うとともに、予定通りに今夜の目的としていた相談事などを無事終えた。

そして、酒も入ってくると、懐かしい思い出話が始まった。
「なあ、桧山。俺はお前に期待していたことがあるんだが、一皮剥けなかったように感じるのは、俺だけか?」
葉山が、ふとした話題を向けた。

「えっと、何のことだよ」
そんな風に曖昧に訊かれると、余計に気になるじゃないか。

「ほら、あの駄洒落の。アドバイスくれよ〜、みたいにお前、相談に来なかったか?」
「あ、あったな、そんなこと。よく覚えているな」
「そりゃ、言葉には相変わらず敏感だからな」
「さすが編集長だな」
「まあな。でも俺は、未だにお前が発する駄洒落を、一度も聞いたことがない記憶なんだが」
葉山は、残念そうな顔を向ける。

ここは酒の勢いに任せてハッスル、いや発することにするか。しばし、自問自答する。いや、それ以前に、今の状況に適した駄洒落を思いつかなくては。

「おい、桧山。どうした。えらい汗、かいてるじゃないか。汗かくほど焦ってる、なんてな」
くそ、先越された。
更に焦ってしまうじゃないか。

ここは酒の力を借りるしかないか。
アルコールのメニュー表をめくり、特製の泡盛を頼む。しばし待つ。
葉山は3年漬けの濃厚梅酒に舌鼓を打っている。
「この梅酒、うめ〜」
すでにほろ酔い気分なのか、顔はほんのり紅潮しているが、逆に駄洒落の質は劣化しているような…。

泡盛がやってきた。
青いグラスに注がれた高濃度のアルコールを、一気に煽るように流し飲む。
ガツンと後頭部を殴られた感覚。
思っていた以上にキツイ。
だがその分、普段思いつかないアイデアが…おっと、逆に眠くなってきたぞ。体が熱い。
ヤバい。
もはや、こんな俺は…。

「ホテルで火照るダメ男か」

思わず出た言葉。
意図せずして、ハッスル、いや、駄洒落を発してしまった。

「お、桧山。今、何て言った?空耳かな?」
葉山が茶化す。
えっと、俺は今、何て言ったっけ。酔いが回って思い出せない。えっと…

「『ホテルで火照るダメ男か』だよ」
葉山が教えてくれた。
「桧山、まさに火照っているよ。あの生徒会長様が、快調!こりゃ、たまらん。梅酒、ますますうめ〜!」
もはや葉山もほろ酔いを通り越して、ただの酔っ払いだ。
「ついに一線を超えて一皮剥けたニュー桧山に、乾杯〜!!」
葉山はグラスを掲げると、声を張り上げた。

「あのー、お客様。こちらはホテルのラウンジになります故、…」
つい調子に乗ってしまったようだ。急に酔いが覚める。もう店を出るか。楽しかったよ、葉山。サンキュー。

*  *  *

店を出て、夜風に当たる。
晩秋だけに風は冷たいが、火照った体を覚ますのには、ちょうどいい。
左手の腕時計を見る。まだ終電を気にするほど、遅くはない。街のネオンは明るく、周りには、ちらほら人通りもある。
あれ?葉山は?

振り返ると、通りの脇にあるベンチに座って、こっくりと居眠りを始めている。さすがに、風邪を引くぞ!おい!
「葉山、起きろ!駅まで行くぞ!」

相変わらず丸い彼を力ずくで起こし、ペチペチと頬を叩く。葉山は眠たそうに目をこすりながら、顔を起こした。
「あ、桧山。すまんが、タクシー呼んでくれないか?わたくしにタクシー、なんてな」

ぷっ。
思わず、笑ってしまった。
こいつは、まだ元気だ。
これで安心した。
でも、やっぱり。こいつには勝てないよな。

これからも、よろしく頼むぞ、親友。

episode11 完


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