【短編小説】はじめてのスポットライト⑥
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店員が出てきた。続いてニット帽も。銃は手にしてはいるけれど、なんだか雰囲気がおかしい。殺気だった空気が消えている。店員が弁当の陳列棚のところに行き、ルーティーンをこなすように無造作に、カゴのなかに弁当の蓋を確認しながら次つぎと放り込んでいる。
ニット帽がこっちにやってきて、私たちには視線を合わせず、手首のロープをゆるめはじめた。つーんと鼻をつく匂いがした。顔をしかめたくなったけど、気づかれないように口を細め、喉の奥から息を短く吐き、連打してごまかす。堂々と見入るのは憚れたけれど、この男、こんな大胆なこと出来るような目つきをしていないじゃないか。
「うわぁーっ」
木佐貫が店員に肩を触れられ、異常に大きな声をあげた。沈着冷静を装っていたのに何たる醜態、スーツ姿が泣きまっせー。
次に何が待っているかわからないが、とりあえず縛られたロープは解かれ、木佐貫と一心同体だった私の体は自由の身となった。
「あのぅ、ちょっとトイレに行かせてもらってもいいですか?」
どぎまぎしながら口にしてみたらば意外にあっさり認められ腰をあげる。
ったたたた、冷たい床にお尻をつけていたけど、背中は木佐貫のぬくもりを否が応でも感じていたから、足の先にしびれがいっていたことには気づかなかった。
よたつきながらトイレに駆け込んだ。
窓のないトイレのなか、便器に座り、膀胱にかなりたまっていた尿を一気に出しながら、最後の一滴をしぼりきると頭の中が爽快になった。非常事態でも生理現象というやつはやってくるものだし、ちゃんと用途も果たしてくれる。これが生きているってことなのかしらとしみじみ感じ入りながら、人間の底力を見たような気がしてきた。
そうか、火事場の馬鹿力をためすときかもしれない。隅に置かれた掃除用ブラシを手に取り、劇団研究生だったときに少し習った殺陣を思い出し、その場で振り回して見る。
スコーン、勢い余って壁に当たり、いともたやすくバリっと音がして、プラスチックの柄が折れた。
こんなことなら合気道でもなんでも実践に役立つマーシャルアーツを身に付けておくべきだった。発声練習もストレッチも、ひたすら顧客データを入力するだけの派遣仕事先では珍重される特技にさえなりえない。いままさに試すことができるとしたらそれしかないのに、あさはかな私は殺陣だったら演歌歌手のバックダンサーとして紅白歌合戦に駆り出されることもあるかもしれないと思い、男性に交じって受講したことがある。安易だった。
そう、私の人生、安易な選択の末の流れ流され行き当たりばったりで来てしまったから、だから、こんな年末ジャンボに当たるより確率の低い、嬉しくない貧乏くじを引いてしまうことになってしまったのかもと思うと、もう一度生まれなおしたい気になる。
あのニット帽、暴力とは無縁そうなおとなしい顔をしたああいうやつほど何をするかわかったもんじゃないし、何が地雷を踏むかしれないし、これからどう対処したらいいのだろう。
それにしても洋平、遅すぎない? まさか寝ちゃったとか? さすがにこれだけ遅かったら、私のこと、どこで何してるんだろとか心配するよね?
不安を解消できぬまま、トイレから出ると、男3人の姿がない。
その⑦へ、つづく……