【短編小説】はじめてのスポットライト④
その③からのつづき。
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入口の手動の扉は閉められ、シャッターが降り、外は見えない。少し前から24時間営業ではなくなっていた店だから、外から見ても不自然ではない。
腕と脚をロープで縛られ店内隅の床に座りながら、「私たちどうなっちゃうんでしょうね?」と、名案があるとは思えないサラリーマン男に、「はじめまして」というトーンと変わらぬ調子で聞いてみた。
木佐貫と名乗るその男は、向い側の天井の防犯カメラを顎で指し、「ほら、全部壊されてないから大丈夫ですよ、時間の問題でしょう」と、自信ありげに答えた。
扉を開けたままの奥の事務室からは、とぎれとぎれに、ニット帽の男の怒声が聴こえてくる。どうやらこの店のバイト面接で落とされたことがこの非常事態を招いた原因らしいことがにわかに暴かれる。
たったそれしきのことで?
あとがないと追い詰められた人間は何をするかわかったもんじゃない。派遣切りにあい、寮を追い出される前の住所がある間に、なんとか食いつなぎたいとあちこちアプライしたがどこもかしこもだめだったようだ。
急募という店の張り紙に藁をもすがる思いで駆け込んだ時の、店長のひとことに殺意を抱いた、要約するとそういうことらしい。
店長は奥さんが救急で運ばれた病院へ行っているので携帯電話はつながらないと思うと半泣き状態で答える店員が、店長の代わりに謝るので許して欲しいと懇願している様子が、静まり返った店内まで漏れ聞こえてくる。
ニット帽は何を望んでいるのだろう。店長に土下座して謝ってもらいたいってこと?
面接で彼を落としたことを撤回して、働かせろっていうこと? でもこんなことされて給料払うオーナーがどこにいるというのだう?
私の隣にはちょっと前まで赤の他人だった男がいる。正確には背中合わせにだから真後ろにということになるのだけど。お互いの手首を一本のロープで縛られて一心同体でこの難局を乗り切らなければならないバディのはずなのに一向に親近感がわかない。
私が心をシャットアウトしたからだ。木佐貫徹と名乗られて、当然のように自分の名を名乗った。これを限りの仲だから偽名でもよかったのだけど、それもなんだか不誠実だし、そんなことが原因で神様から見放されたらと思うと心もとなかった。
木佐貫は大笑いした。いや実際はそこまでではなかった。扉の向こうのニット帽を刺激してはならないから、声は押し殺したまま、身体を揺らしていた。振動が伝わり、私はそれを必死に止めようと背筋を正して体育座りの不安定な足裏を踏ん張るため両膝の内側をぴたっとくっつけようと努力した。私は絶対一緒に笑わないんだから、恥ずかしいとも思わないんだから。ずっと、ずっと、ずーーーっと耐えてきたんだから。
「失礼ですが、お名前は?」と聞かれ、「余野綾乃です」と返した。
噛んだ。いつものように、でも、気づかれぬように開き直って、名乗ったあとは言い直さなかった。そのまま放っておいてほしかった。しかし、木佐貫は他の人が何度となく繰り返したような「え? よ、よなよな? なに?さん?」と聞いてきた。私はそれ以上繰り返したくなかったので、今度ははっきりくっきり滑舌よく言った、つもりだった。けれど結果さらに噛んでしまった。
「噛み噛みですねー」と小さく呆れながら、自分の指摘に全くその通りだとツボにはまったのか、自己紹介の度に噛んでしまう不幸を不憫に思ったのか、人質になっている現実を受け入れられないからか、そこまでおかしくはないだろうに、木佐貫は笑いがとまらないようだった。
笑い収まったあとも、クラス替えのたびにつらい思いをしたろうにとか、僕は噛まないで言えますよ、ほら、と人の名をいくつものパターンで声に出し呼び捨てた。
たぶんいま自由に手が使えて目の前に刃物があったら、刺していた、かもしれない。
たったそれしきのことで?
それがいつだって当事者が理解されない理由だ。
木佐貫は言うだろう。「そんなつもりじゃなかった。」
怒りで真っ赤になった私の顔に向かって、刃が自分に向けられていることに気づいても、なおそう口にするだろう。
傷口に塩を塗ってしまったら、安易な問いも謝罪もすべきではない。できることはただひとつ。傷口がひりひりと痛んでいる相手の言葉に耳を傾けることのみ。
それで全てが解決するわけではないけれど、少なくとも、傷口を広げることにはならないだろう。
ゆえに、刃物で切りつけられることもなく、引き金を引くきっかけを与えることにもならないはず。
木佐貫の首がうなだれている。寝息が聞こえる。おったまげた。この状況でどうしてそんなことが出来るというのだ。
その⑤へ、つづく……