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 この夏はじめてトライしたこと。
 しめつけからの解放「ノーパンノーブラで歩いてみる」の実践。
 ノーブラは割とよくする。けれど、ノーパンで外を歩くのは初の試み。   試みというほどチャレンジングなことでもないけれど、やはりちょっとした勇気はいる。
 いるけれど、さほどのことではない。

 結果。超ウルトラ級のおすすめがまたひとつ増えた。

 15年ほど前、あるメーカーの圧力鍋を友人、知人に結構売った。いや、特段わたしが会社からマージンをもらったわけではないから、売ったというのは正確ではないな。彼らがそれを買うことに貢献したぐらいにしておこう。わたしと同じように、圧力鍋に興味はあっても、重いし、シュワッシュワップッシュー、ピーヒャララという激しく身を震わせながら調理する奴らを使いこなすのは手ごわいぞ、しかも一回一回圧力表示部分のピンを外して洗ってという手間も面倒くさそうだし。料理上手な友人の家で見かけた古いタイプのそれしか知らず固定概念を払拭しきれないでいる、そういう人たちがこぞって購入した。わたしの営業トークにそそのかされて。もとい、「いいものはいい」を信念に熱く語る(たぶん、おそらくそうでしょう)内容にひきこまれて手にとってくれた人が多かった。

 それから、さかのぼること5年、つまりいまから20年前、布ナプキンの普及につとめた。普及といっても「いいよー」としゃべり回っただけだけれど。これは圧力鍋ほどには多くの人に買ってもらうことはなかったが、月経時の腹痛や不快感が激減したと感謝された。

 さらにその10年ほど前、そう、かれこれ30年になりますかー。いまでは誰でも知っている、耳にしたことがある、自分でも使っている、美容院ではいつもそれよ、そんな反響がすぐさま返ってくるだろう、あれ、はい、あれです。
  ヘナを広めた。これは文字通り、わたしがインドで仕入れたものを友人、知人に買ってもらい、あっという間に売りさばいた。自宅に招き染めてあげることもした。写真家の友人は、ヘナで白黒写真をセピア色に仕上げるのに使っていた。まだフィルム写真が主流のときのことだ。

 商売の才はなく、その後億万長者になることはなかったけれど、ミーがリコメンドするものでまわりがハッピーになることに生き甲斐を感じるわたしはそれでいい。それがいい。

 そして、この夏発見したおすすめは、なにせお金が一銭もかからないのが良い。準備もいらない。明日からでも、なんならいますぐにでも出来る。ちょっとした、えいやっ! という気持ちさえ整えば。

 この夏は死ぬほど暑かった。暑さで亡くなった人もいるので不謹慎に使う言葉ではないけれど、そうとしか言いようがない。地球の悲鳴が聞こえてくる。生きとし生けるものの声に耳を傾けず、欲望のすすむまま邁進してきた傲慢なニンゲンの足元にもとうとうやってきた。悪影響が目に見える形になって襲ってきはじめた。敏感な人はとうの昔に警鐘を鳴らしていた。これは序章だ。どうなってしまうのだろう。

 と思考が螺旋階段を昇って行く。ひとまず立ち止まって呼吸を整えよう。

 夕方、日がかげる頃、散歩に出かける。

 インド綿の、足首近くまである裾長のノースリーブワンピースを着る。ブラジャーは着けず、パンツもはかない。ワンピースの下はすっぽんぽん。

 右足、左足、足を運ぶごとに揺れるスカートの布。心地良くふわっふわっと風が下から入って来る。遮《さえぎ》るものが何もない快感。ときおり強い風が吹き、軽いインド綿の布がおもいのほか上にめくりあがる。ちょっとした緊張感が走る。

 縛り付けているものは下着だけじゃない。

 ねば・べきにさらされている心。〇〇せねば・〇〇すべきと日々追い立てられ、追い込んでいるわたしたち。

 そういえば、男女問わずフンドシがちまたで流行っているらしい。赤ちゃんにいたっては、紙おむつから布おむつへ逆返りがさらに進んで、おむつなし育児という言葉も市民権を得ている(わたしの周りでは)。

 なれば、ことさら大仰に言うこともないか。ノーパン、ノーブラで街を歩こう。まずは近所一周からはじめてみませんか。下着の歴史を振り返れば、縛り付けられる常態は、さして長い伝統でもあるまいし。

 

 

 

 

 

 

 

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