ムーの助言・その4「準備はできているよ」
20年前の今日がどんな天気だったのか覚えていない。
だけれど、今日のような快晴ではなかったことは確かだ。
通っていた助産院で是が非でも産みたかったが、まさかの緊急入院。
いやいやそんなはずはない。
健康には自信があったし、食事も気を付けていた。
まさか手術台の上で出産することになるとは青天の霹靂である。
検査結果を見て担当医が両手をテーブルに置き、頭を下げてこう言った。
「日本全国の産科医の、98%の医者が、いますぐ、いますぐの手術を勧めます」
観念した。
それが20年前の一昨日のこと。
術後、担当医が言った。
「腹水が1200CCもありましたよ」
「それって多いんんですか?」
「(呆れた顔で)普通は多くても50CCです」
ぎりぎりセーフ。だったようだ。
娘自身の命と、私の命が救われた日。
そしてこの世で彼女とはじめて対面した日。
あの日から今日で20年。
娘、ムーの私への初めての助言は、その20年前の今日だった。
本当は2月半ばが予定日だった。
山すその疎水沿いに建つ一軒家。その二階にある畳の部屋で生まれくるわが子が最初に見る景色は、一面雪に覆われた銀世界だと信じて疑わなかった。
なのに機械に囲まれたなかで、身体にメスを入れ、陣痛やそれに続く一連の段階を経ずの出産になるなんて、思いもよらなかった。
しかし、いたしかたない。出産は病気ではないと人は言うけれど、病気にもなり得るということを身を持って体験した。ひとつの体に二つ(双子ならそれ以上)の臓器を持つことで悲鳴をあげることもある。その状態を脱するには、妊娠していること自体が体に負荷をかけるのだから、それを中止するしかない。つまり、胎児が十分にお腹のなかで育って「もういいよー」と出てくるのを待たずに、無理やり出してしまうのだ。
畳の上でなくていい。
自然出産でなくていい。
だけれど、せめてあと4日お腹にいさせてあげたい。
なぜならあと4日で正常な出産時期に入るからだ。
同じ低体重であっても1日でも長くお腹にいた方がよいと伝え聞く。
面談室で病状について説明する担当医に、
この期に及んでまだ同意書にサインするのをためらっていた私は、
「4日後ではだめですか?」
と聞いてみた。
その答えは先に書いた通りである。
2005年1月13日、数時間後に帝王切開術を控えていた私は、病室でお腹に手をやり、謝り続けていた。
「ごめんね、ちゃんとお腹にいさせてあげられなくて。
ごめんね、小さく生まれてしんどい思いをさせてしまうかもしれなくて。
ごめんね、勝手にお母さんがあなたの生まれる日を決めてしまって」
するとムーは、それまで動きが微弱だったにも関わらず、
はっきりと大きく、お腹を蹴って答えてくれたのだ。
「大丈夫だよ、お母さん。私は元気だよ。生まれる準備はできているよ」
20年前の今日生まれた小さなちいさな赤子が、
いまは私の背を越え、
ときおり私にダメ出しをする。
その後も青天の霹靂は私の身に何度となくやってきて、
晴れの日が長く続くことはなく、嵐や大雪も経験した。
これからもきっとそうだろう。
だからこそ今日の晴れは格別だ。
成人の日に20歳になったムーへ。
あなたといたから人生の荒波を乗り越えられた。
一緒に生きてきてくれてありがとう!