痛みにふれることからの癒やし。
ここ2年で僕がしてきたことは、あらゆる自分の声を丁寧に聞くこと。それが楽しさや嬉しさのときもあれば、怒りや絶望や残念さや、とてつもなく同しようもない声まで、いろいろな声を聞いてきた。そしていまも聞いている。これって結構エネルギーを使うし、最初は怖い。
僕も初めてその場にいたときは、もうその場にいることがしんどすぎてエッジアウト(その場からいられなくなる)してた。
でも、何度も足をはこび、自分のなかに在ることを表現することを選んできた。そこには、「みんな」がいて、わたしの声はわたしだけのものじゃない。あなたのなかにもある声ということがどんどん腑に落ちる感覚を得た
ひとりで自室で、こんなに向き合ったらもう戻ってこれないんじゃないかと思うほど怖い。
でも、みんなでやるから、だから大丈夫と思える。
場を作り続けているひとも、みんながいるからやっていけるという感覚がすごくあるなぁと思う。ひとりにさせてはいけないと思う。
人間どうしてもひとりでは生きていけない。
どんなに願ったとしても、能力をつけたとしてもだ。
それならば、みんながそれぞれの役割をとって、世界でエネルギーを放てば、それはそれはすごいだろう。
痛みにフォーカスすることは怖さをともなう。年齢が上がれば上がるほどこわくなるんだろうなと思う。でも、痛みの声を聴き、その声にスペースができたとき、自分の可能性がふわっとあがってくる、癒やされていくあの感覚をたくさんの人が味わえたらいいなと心底思う。
ひとりでは、こわいから、みんなでやったらいい。
こうやってかきながら、自分にいってるんだろうな。
夏に向けて、1dayや半日の企画してみたい。
怖いけどやってみたい。