本当に自分の力を使うとはどういうことでしょうか。
自分の力を使うとはどういうことだろう。僕はこの問いに対しても学んでいます。
僕のよくあるパターンは、「自分をすり減らしてでも、相手に尽くすのが貢献すること。自分を傷つけて勇気を出して行動する。」
僕は本当に無自覚にこの勇気を自分の存在価値と思ってました。でもそれは長続きしないし、なにせ一番自分のことを大事にする自分が一番傷ついてました。それが特に僕の場合、「家族」「仕事」「ジェンダー・セクシュアリティ」。このあたりは無自覚にいっぱい自分のことを傷つけていた、いるし、そもそも痛みと思っていない部分も大いにあるのが事実。
今朝、友人と話していて「ジェンダー・セクシュアリティ」の話題になった。僕はカテゴライズするとセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)。友人はマジョリティの人。僕は、マイノリティであることでセクシュアリティのことに繊細に気づきやすかった。社会の当たり前が自分の当たり前ではないからいろいろなところに「?」を持ちやすかった。みんなと違うから、ぼくはマイノリティの友だちや仲間を探した。
でもマジョリティの人は、あえて自分のセクシュアリティに向き合うことや、「女らしさ」「男らしさ」の刷り込みを自然に受けながらこの世界で暮らしてる。例えば、学びの場が近くにあったり、近くにマイノリティの人がいないとなかなか考えないだろうテーマだと思う。
でも、結構マジョリティと言われている人も傷んでいるなと思った。お母さんや、お父さんや、上司や、部下や、先輩後輩、会社の構造は「〜らしさ」がすごく求められやすい。自己否定はジェンダー・セクシュアリティに関連するものが多いんじゃないか。
僕はそう思いました。
僕自身自分のジェンダー・セクシュアリティのアイデンティティと向き合い中。まだまだ探求中。
でも、いっしょに探求できる仲間がいたらめちゃくちゃいいなと僕は思います。マイノリティもマジョリティも、すべての人に。