
悩みの根っこには、夫の愛があった。
最近、めずらしく夫が悩んでいる。
職場での人間関係だった。
毎日のように「攻撃的なこと」を言われて参っているという。
夫の感情は「怒り」「困惑」だった。
それまでも一緒に悩みを聞きながら、
「ああしてみたら?こうしてみたら?」
と色んな対策を提案していた。
夫はそれをやってみては、
「やっぱり何も変わらなかった……」
と、しょんぼりして帰ってくる。
そんな状態が1ヶ月ほど続いた、今日の夜。
いつもよりも饒舌な夫に
「今日は随分おしゃべりだね」
と何気なく私が言うと、
「喋らないとやってられなくて… …」
と夫。
何かしていないと、すぐにあの悩みに脳が支配されると言うのだ。
(これは、結構きてるな)
直感的にこの問題は放置したらダメだなと感じ、夫に聞き取り調査を開始。
どんなシチュエーションで
どんな気持ちになるのか
客観的事実とその自分の「反応」を分けて整理してみた。
すると
「攻撃的」だと思っているのは、自分の思い込みかもしれない
という結論に至った。
「これまでの自分の人生を振り返って、攻撃的にされて嫌だったことはない?」
と聞いてみると、いくつかの経験が出てきた。
しかもそれは私も何度も聞いたことのあるエピソードだったので、
夫の中に強く入っているんだなと感じた。
「その経験があったから、今回のことにも強い拒否反応が出るのかもしれないね」
と私。
全ての「反応」はその人の経験が生み出す「思い込み」だ
ということを最近学んだ。
反応が出るということは、自分の心の中を覗くチャンスなのだ。
もっと夫の心の中を掘り下げてみた。
「その人から何か言われたら、他にどんな気持ちになる?」
「ワークライフバランスを守りたいのに、この人が毎日時間を奪ってくるという感覚になるんよ。だからすごく腹がたつ」
そっか。
確かに、ここ数年の夫はかなり「ワークライフバランス」にこだわりがある。でも、結婚当初はそうでもなかったのに、いつの間にそんなにこだわるようになったのだろう?
不思議に思った瞬間、私の中に(もしかして……)とある考えがよぎった。
「もしかして、8年前に私が倒れて救急車で運ばれた時のことが強烈に残っているとか?」
そう言いながらも、まさかね、と笑った。でも、それを聞いた夫はハッとした表情をして、少し黙った。
「そうかもしれん。その時、本当に花が死ぬかもしれないと思った。あの時のことは、今でも思い出すと涙が出るんよ……」
そう言った夫の目は、少し赤くなっていた。
びっくりした。
冗談半分で言ったのに、本当だったんだ。
あの時、仕事一筋だった夫は朝も早く、帰りも遅かった。
幼い子を二人抱え、必死で育児をしていた時に私は疲労困憊で倒れたのだ。
一時は命も危なかった私をみた夫の中には、強烈に
「仕事人間にはもう二度と戻らない」
という決意が芽生えていたのだ。
夫も私も驚いていた。
今の職場での人間関係の根っこの根っこには、
「もう仕事人間に戻らない」と決めているのに、時間を奪い、心に余裕がなくなることをしてくる(と思い込んでいる)相手が嫌だー!!
という夫の心の叫びがあったのだ。
それがわかった夫は、なぜか急にすっきりとした顔をして、何度も何度も「ありがとう」と言ってくれた。
状況は何も変わっていないのに、悩みの根っこを見つけるだけでこんなに人はすっきりとするんだなということに驚いた。
さらに驚いたことに夫は即席でお手紙を書いてくれた。
「生きててくれて、ありがとう」
「花に話せてホッとした」
その言葉に、心の奥がジーンとした。
人は悩みがあると、つい「それをどう解決するか」という目先の対策ばかりに目がいく。
でも、悩みの根っこの根っこを掘り下げていくと、
「な〜んだ!そういう気持ちがあったのね!」
というものが発見できて、
なんだか状況は何も変わってないのに、全てがうまくいきそうな気持ちにすらなる。
心って不思議だね。
でも、なんだかおもしろい。
もっと日々の中の色んなこと、見つめていって、
そしてこうして誰かが少し元気になっていく姿を見てみたいなと思った。
それが私のやりたいことかも!
と思えた、秋分の日。